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Sven Donat(スヴェン・ドナート)について

/ ニッケルハルパ奏者

今回はスモーランド地方(Småland)の昔の演奏家Sven Donat(スヴェン・ドナート)について、簡単にご紹介したいと思います。

この人はスウェーデンの伝統音楽の中ではとても有名なのですが、時代が古いので、彼に関する情報はあまり残っていないそうです。

できる範囲で紹介したいと思います。

Sven Donat(スヴェン・ドナート、1755-1815)

Sven Donat(スヴェン・ドナート)、1755年~1815年です。

スモーランド地方(Småland)のフィドル奏者です。

Sven Ingemarsson

彼の名前ですが、もとはSven Donatという名前ではなく、「Sven Ingemarsson」(スヴェン・インゲマーション)という名前だったのではないか、と言われています。

彼は1755年、スモーランド地方のVislanda(ヴィースランダ)地区の、Trästen(トレーステーン)で生まれました。

(※Trästenで調べると、湖の名前などいくつか地名が出てくるのですが、湖の方では無くてVislandaのエリアの方の地名です)

兵士になり、Sven Donatへ

1777年(22歳頃)にKronobergs regemente(クロノーベリィ部隊/連隊)に所属し、兵士になります。

その後、Ormesberga(オーメスベリヤ/オルメスベリヤ)という所に、家(※Soldattorp=ソルダートトルプ。兵士にあてがわれる家)をもらい、住んでいました。

また、Donat(ドナート)という名字を得たのもこの頃ではないか、と言われているそうです。

(※Soldattorp(ソルダートトルプ=兵士の家)は以前も少し書きましたが、軍から兵士にあてがわれた家のことです。こういった家に住むことによって、兵士にとっては住む場所が保証されるのと同時に、軍としても「必要な時にすぐに兵士を招集できる」という利点があったそうです)

(※また、Soldattorpとよくセットで語られるのが、「Soldatnamn」(ソルダートナムン=兵士の名前)で、これは「兵士になった際に与えれらる名字」のことです。Sven Ingemarssonも、ここでDonatという名字をもらい、それ以降はSven Donatと名乗っていたのではないか、と言われています)

結婚、子どもが生まれる

1791年(36歳頃)、彼と、(同じ地区の別の屋敷で)メイドをしていたAnnika Jönsdotter(アンニカ・ユーンスドッテル、1761-。当時30歳)との間に子どもが生まれます。子どもは父親と同じくSvenと名付けられました。

当時はまだ2人は結婚していなかったそうですが、翌年の1792年に結婚。

その後、3人の子どもを授かります。それぞれ、Peter Jacob(1792-)、Stina(1795-)、Sven(1797-)。

(最初の子どもSvenは1793年に幼くして亡くなったそうで、一番下の子どももまたSvenと名付けられています)

兵士を引退

理由はわからないそうですが、1794年(39歳頃)に彼は兵士を引退しています。

(記録には「これ以上兵士を務めるのが困難であるため、引退」とだけ書いてあったそうですが、今回参考にした資料では、「おそらく足のケガか何かが原因ではないか」と推察されていました)

兵士を引退したので、Soldattorpにはもう住めませんでしたが(※現役の兵士とその家族しか住めないため)、彼ら一家は同じ地区(Hörda Norregård)の別の家に何年間か住んでいたそうです。

農業(小作人)をしたり、兵士の時の年金(退職金)を使ったり、また、ダンスなどの演奏をして生活費を工面していたかもしれません。

当時の記録を見ると、同じ村のオルガン奏者Peter Berglund(ペーテル・ベリィルンド)の名前が、Sven Donatと隣同士で書いてあることが多く、彼ら2人の間に交流があった(一緒に演奏していた)のではないか、とも見られるそうです。

「Sven Donatの残した曲が技術的に高等なものであったり、音楽の教育を受けたかのような要素を持っているのも、このオルガン奏者Berglundとの交流があったからなのかもしれない」ということです。

237曲がおさめられた曲集(楽譜集)の存在

さて、彼の人生についてはここまでで、ここからはもう少し後の時代の話になります。

彼が現在でも非常に有名な理由の1つとして、「彼の伝えた曲や作った曲の、曲集が存在しているから」というのがあるのかなと思います。

この曲集には、237曲のメロディが集められています。

内容は、138曲のポルスカ、41曲のメヌエット、38曲のコントルダンス、5曲のカドリール、2曲の行進曲、その他の曲が11曲。そして、これらの曲のうち少なくとも25曲が、「Sven Donat自身によって1783~1804年に作られた曲」と言われているそうです。

(※コントルダンス(kontradans)…男女が対面になって踊る集団のダンス。踊る相手が次々に交代していく。→Wikipedia「コントルダンス」(日本語)

(※カドリール(カドリーユ)(kadrilj)…男女のペア4組が四角い形を作って踊るダンス→Wikipedia「カドリーユ」(日本語)

これらの楽譜は、現在はSvenskt Visarkiv(データベース)のページで見ることができます。←このリンクはトップページへのリンクで、「Sven Donat」で私が検索した画面(検索結果)はこちらです。

237曲というと、伝統音楽ではかなり珍しいくらいにたくさんの曲が残されていることになるので、この曲集の存在は当時からとても大きなものだったのではないか?と思います。

1912年にOlof Anderssonが複製→現在まで伝わる(オリジナルは散逸)

そもそもこの楽譜がどうやって現在まで伝わったのかについてですが、もともとオリジナルの曲集を持っていたのは、スコーネ地方のマルメに住んでいたAxel Boberg(アクセル・ボーベリィ)という人でした。

彼はオルガン奏者であり、楽譜の記録者でもあったそうなので、この曲集を記録したのも彼なのかなと思います。(※私の推測が入っていますが)

そのAxel Bobergが持っていたオリジナルの曲集を、Olof Andersson(オーロフ・アンダーション)という人が1912年に複製したものが、現在伝わっているSven Donatの曲集だそうです。

また、オリジナルの曲集の行方はわからないそうです。

(※Olof Anderssonは、のちに『Svenska låtar』(スヴェンスカ・ロータル、1922-1940)という、スウェーデンの各地方の伝統音楽を記録した集大成のような曲集を出版する人の1人です。彼自身も演奏し、また、曲の記録を本格的に行う前は、美容師として働いていたそうです)

音源

Sven Donatの曲についても私は全く詳しくないのですが、スモーランド地方出身の演奏家が中心となってよく弾いている印象があり、彼らの演奏はどれを聞いても良い(素晴らしい)のではないかなと思います。

Johan Hedin(ヨーワン・へディーン、男性)とIda Meidell(イーダ・メイデッル、女性)による演奏↓

さきほどのオルガン奏者の話でもありましたが、Sven Donatの伝えた曲は16分音符が多く、どこか優雅な雰囲気がある曲が多い印象です。

さきほどの動画と同じJohan Hedinと、Pelle Björnlert(ペッレ・ビョーンレート)による演奏↓

Sven Donatの曲は色々な人が演奏しているので、もし興味があればYouTubeで調べたり、楽譜を調べたりしてみてください。

参考

今回メインで参考にしたのはこちらです。

“Sven Donat och Torsten Lacjström -Två polskekompositörer identifierade-, Eric & Katarina Hammarström”(PDF)

その他、参考にしたページです。

Wikipedia「Sven Donat」(スウェーデン語)

Wikipedia「Olof Andersson」(スウェーデン語)

Wikipedia「Kronobergs regemente」(スウェーデン語)

Wikipedia「Soldatnamn」(スウェーデン語)

Wikipedia「Soldattorp」(スウェーデン語)


今回はSven Donatについてご紹介しました。

ちょっと時間がなくなって駆け足になってしまいましたが、少しでもSven Donatのことがわかる記事になっていましたら嬉しいです。

私自身も、調べていて知ったことがたくさんありました。

Sven Donatも有名なので、有名すぎて逆に避けてしまうところが私にはあったのですが、意外とそんなに(彼自身については)情報が残っていないんだな、とか。色々知ることができて楽しかったです。