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演奏中、上手くいっていると感じる時に、私が感じていること2つ

/ ニッケルハルパ奏者

演奏中、「良い感じ」「上手くいっている」と自分で思う時に、感じていること2つを書いてみました。

演奏のイメージの仕方は人によって違うと思います。

私自身、演奏中はおそらく色々なことを考えていると思いますが、その中から2つ選んでみました。

参考にしていただけましたら嬉しいです。

①ダンスをしている人たちが思い浮かぶ

演奏中、自分が立っているところの周辺で「ダンスをしている人たち」が思い浮かぶと、演奏が楽になり、良い感じになるなと思っています。

その人たちの動きを思い浮かべると、ダンスと「一緒に演奏している」気持ちになり、演奏に自然な流れができて、とても演奏がしやすくなります。

(一緒に演奏している人が思い浮かぶ時もあります)

踊っている人たちを思い浮かべるだけで、身体も動きやすくなりますし、足踏みもしやすくなりますし、空間をより自由に使えるようになります。

演奏中は、別に動き回るわけではないのですが、楽な状態で立っているのと、がちがちな状態で立っているのとでは全然違います。

身体が楽になって、足踏みが自然と出てくるようになると、演奏がとても良くなります。

もちろんこれは、「実際にはいない人達」を想像しているので、イメージとしてはディズニーランドの、ホーンテッドマンションのお化けたちが踊っているのを見ている(もしくはその中にいる)感じでしょうか。ディズニーランドにはもう何年も行っていないので、イメージですが。

ちなみに話がそれますが、留学中、1人で学校に残って夜練習するのが怖い時がありました。夜の学校って怖いですよね。

そんな時、「この学校にいるお化けならきっと伝統音楽好きでダンス好きで、私の演奏に合わせて踊っているだろう」と思ったら怖くなくなったので、お化けが踊る想像をよくしていました。

そんな感じで、演奏中も踊っている人たちが思い浮かぶと、本当にリラックスして、楽しく演奏できます。

②足を踏む瞬間や拍の頭の「タンっ」と、それ以外の「ふわっ」を感じきれている時

これは私の普段の「演奏中のイメージ」にかなり影響された内容になりますが、これができている時ほどとても自然で楽に、良い感じに演奏できると感じているので、書いてみたいと思います。

自分が実際に感じていることと、ここで言葉にしている内容が合致しているかどうかは自信がありませんが…。

こちらの項目はちょっと抽象的で長くなるので、小見出しで分けつつ書いてみました。

「タンっ」と「ふわっ」の連続

演奏している時は、すべての音を拍の中で配置しながら弾いているのではなくて、「足を踏む瞬間」や「拍の頭」だけを「タンっ」という感じで意識して、それ以外は流れの中でふわっと弾いているような感じでいます。

無限大のマーク(∞)のようなものを思い浮かべると良いかもしれません。

∞の「中心の交差している部分」が拍の頭のようなイメージで、私にとっては「タンっ」という部分です。

弾いている間のテンポ感はここを基準に意識していて、その前後のわっかになっている部分は「ふわっ」という感じなのですが、「ふわっ」部分は音楽の流れに身を任せて弾きます。

「ふわっ」の輪っかの大きさや雰囲気は「タンっ」の勢いや音楽の流れによって毎回変わります。私がコントロールするよりも、「自然に作られるもの」というイメージです。

自分で「決め」るのはあくまでも「タンっ」で(それが曲全体のテンポ感になる)、「ふわっ」部分は流れにまかせます。

この「ふわっ」は、その場その場で即興的に、瞬間的に決まっていきます。瞬間の連続が、その場での音楽になります。

感じきること、待てること

この「タンっ」も「ふわっ」も私は「感じきりたい」と思っていて、感じきることで、やっと次の音が「来るべきタイミング」でしっかり入ってきます。ですので、「待てること」「音楽に身を任せる余裕を持てること」が大切かな、と思います。

「タンっ」「ふわっ」を自然に感じきれていると、音楽がのびのびとして豊かになり、演奏がとても楽にまわっていきます。(自由だ、という感じがする)

反対に、「タンっ」「ふわっ」を感じきる前に次に行ってしまう時や、「次に行かなければいけない」と感じる時は「おっとっと」となり、自然な流れがつかめなくて「あれあれ」という感じになり、音楽が転がっていってしまうように感じます。

基準をどこに置いたらいいかわからなくなります。

「タンっ」と「ふわっ」は、瞬間的な「力の入れどころ(=タンっ)」と、「力の抜きどころ(ふわっ)」とも対応していて、「メリハリ」になっているので、おそらく伝統音楽やフォークダンスに限らず、普通のダンス(高校のダンス部のようなダンス)でのメリハリとか、あとは習字のトメ・ハネ・はらいのようなメリハリとか、そういったものとも同じ種類のものかなと考えています。話を広げてしまって、わかりにくければ申し訳ありませんが。

(また、本当は「タンっ」のタイミングの感覚をつかむ(自分の中でのタイミングの感覚と実際に音が出ているタイミングをすり合わせる)ことも重要だと思うのですが、こちらはまだ上手く書けないのでまたいつか書きたいと思います)

意識できていない時の対策

「タンっ」「ふわっ」を感じきれずに「おっとっと」となってしまう時、原因は色々なものが考えられるのですが、主に外的要因による影響・メンタル面での影響が多いと思います。

周りのことに意識がいきすぎて、音楽への意識が薄れた時など。

そんな時、対応策としては「自分の演奏に集中すること」と、「自分軸を持つこと」が大事だと思います。

(これは何人で弾いていても一緒だと思います)

原因となりそうな外的要因は私の力ではどうにもならないだろうし、スウェーデンの伝統音楽だって、おそらくどんな状況でも演奏されてきたものですから(静かなコンサート会場でだけ楽しまれてきたものではないし、がやがやとした会場でぱっと演奏されるのも素敵ですから)、「どんな状況でも、いつでも自分軸で自分の演奏に集中できること」が私の課題です。

実はこれは普段の人間関係でも同じだなと思います。

私は、自分が他人に合わせることの方が「楽だ」と思ってしまいがちで、そう行動することが今までにも多かったと思います。合わせることの利点もあり、合わせることが必要な場面もたくさんありますが、それとは別に自分の考えを持って行動していくことや、自分の考えを持ちながら他の人とも協力していくこと、このバランスを知ることが普段から大事だなと思います。

あまりにも相手に合わせすぎると、おそらく相手にとっても、居心地が悪くなるだろうと思います。

もちろん、「ああ、この人に合わせた方が全体が良くなるな、この人の流れに乗りたいな」と思っている時は、合わせさせていただくことで自分も成長できます。

自分を持ちつつ、周りとも積極的にコミュニケーションをとりながら、進んでいきたいと思います。


以上、私が演奏中に「良い感じ」「上手くいっている」と思う時に感じていること2つを書きました。

演奏中に感じること、自分の意識の持ちようは本当に大切だと思います。

自分次第で、聴いている人が体験するものもかなり変わってくるからです。

今回は「上手くいっている」と感じた時のことを書きましたが、反対に「上手くいっていない」と感じる時などは、もう「踏ん張って踏ん張って、1曲をなんとか持ちこたえている」という感じがして、もったいないなと思います。

普段から、意識していきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。