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教育実習に行った時のこと。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

本当はこういう、スウェーデンと関係ない話をブログに書こうとは思っていなかったのですが、書いてしまったので公開しますね。興味のある方だけお読みいただけたらと思います。


ルンドの後日本の大学に復学した私は都合上大学4年生になっていて(3年生の時に留学したので、帰ってきたら4年扱い)、ちょうど夏休み後(つまり後期)の授業からまた大学生活を再開しました。留学中の単位は振り替えることができなかったので、大学は5年までやりました。

留学後の私は謎のやる気に満ちていて、必要もないのに第三外国語をとったり、必要以上の授業数(単位)を取りました。友人が誘ってくれて、ルームシェアもしました。私はよくゴミ捨てを忘れました。部屋のエアコンを切るのも忘れました。借りていた部屋がドラマの撮影に使われたこともありました(探偵もので、依頼主の婦人の息子が付き合っている女性には実は家庭がありその旦那や家族が住んでいる家、という設定だった気がします)。あとは昨日書いた通りバイトも始めました。


私は教員免許も取っていたので、大学5年生の6月頃に教育実習もさせて頂きました。

小学校3年生の時に担任の先生にいじめられて以来、私は教員という存在をどうしても信じることができませんでした。どんなに良い先生でも。だから「自分は本当は先生にはなりたくないのだ」とうすうす知りながら、申し訳ない気持ちを抱えながら教育実習をさせて頂いたのを覚えています。本当は、教員になる気がないなら来るな!と言われる世界です。受け入れる教員も学校側も普段の業務以上の面倒さを抱えることになるのですから当然です。例えそのつもりが無くても、教員になりたいです!と言い続けなければいけないと大学側から言われていました。それは就職活動中の他の学生もそうでした(就活してる、なんて口が裂けても言ったらいけない)。嘘なんてきっと相手に伝わってしまうのに、それでもやるしかありませんでした。

教員になる気があまりないのに教員免許を取ったのは、そうしなければいけないと思っていたからです。というかそうすれば、高い学費を親に払ってもらって大学に通っていることが許される気がしました(誰に、という訳ではありませんが)。大学では何か資格をとるべきだ、という言葉を誰かから聞いたような気がして、その言葉が頭にありました。


教育実習の時にまず驚いたのは、私が担当していた中学2年生の生徒たちが、私の話を非常にまじめに聞いてくれたこと。誰も寝てない。あれ、中2ってこんな感じだっけ…と私はちょっと面喰いました。

そんな中、生徒たちに対して進路のことを話す機会がありました。私は教室の一番後ろに座って何を話したら良いのかそわそわしながら考えていました。やっぱり留学のこと?なんかポジティブなこと?などなど…

私が話す前に、生徒たちがまず自分で自分の将来を考える時間が設けられました。何か紙が配られて、そこに18歳の自分や就職した頃の自分の姿などを想像して書く、というような内容だったと思います。

私の目の前には、少々やんちゃな(でも基本的には真面目な)生徒たちが座っていました。その生徒たちは紙に記入する間もずっとふざけていて、そんなのわかんねーし(女子です)とか、適当に大学行ってー、適当に就職してー、そんで適当に生きて終わりー、とか言っていました。中学2年生の言うことだからかわいいと思って見ていれば良かったのに、私はそれを見てだんだん腹が立ってきてしまいました。適当に大学なんか行けない。適当に就職なんかもっとできない。適当に生きることなんかできない。

その後私が生徒の前に出て行って話すことになったのですが、私はとっさに、それまで考えていた良い感じのポジティブな内容とは真逆な話をしました。大学に入るのがいかに難しいか、そして就職活動中の友達がいかに苦しい思いをしているかをリアルに話したんです。どんなに頑張って勉強しても、試験当日にお腹が痛くなったらそれだけでアウト。就活の面接なんかじゃ何もわからないくせに、面接で落ちて落ちて落ちて落ちて落ちまくって傷つく学生たち。誰も褒めてくれないから、自分の足で立ちあがるしかない。適当に生きるなんてそんなのできない。今の自分がどれだけ親や他人や周りに守られて生活できているか、考えたことがあるのか。なんでも一人でやってきたような気持ちでいたらダメだ。周りに感謝して、そして自分の将来は自分で決めないと、いつまで経っても自分の人生を周りのせいにして生きていくことになる。自分の頭で考えるんだ。自分はこれから何がしたいのか、そのために今日すべきことは何か、明日すべきことは何か。

自分の頭で考えろ、というのを繰り返していたような気がします。だんだん中学2年生に言っているのか、自分に言っているのかわからなくなってきました。

話が終わってから、生徒たちに感想を書かせて授業は終わりました。その感想を読んだら、「将来について真面目に考えなくちゃいけないと思いました」と書いてあるものがある一方で、「教育実習生に脅された」「怖かった」「生きていたくないと思った」などが書かれてあり、私はちょっとは反省しましたが、本当はよしよし、と思っていました。たとえば良い話をする先生がいたとして、それを良い話だな、と心から感動する中学2年生なんて本当にいるのか?中学2年生って、本当はすごくドロドロして反抗期で何事に対してもイライラしているようなそんな年頃じゃないのか?だったらそれを隠す必要があるのかな?人に迷惑をかけない範囲で、そのドロドロに向き合う期間って大切なんじゃないのか。

私も中学2年生の時、生きていたくないと思ったことがあります。本気じゃなかったけど。でもそういう気持ちを言葉にできて、それを伝える相手がいるというのは、すごく大切なことだと思ったんです。相手が私なら、きっともうこれからの人生で会うこともないし、脅されたとかなんとか、普段の先生に言えないこともたぶんいくらでも書ける。自分が中学生の時にそうだったからといって、今の中学生が自分と同じように考えているかどうかなんてわかりません。でも私は、中学2年生のその子たちがあまりにも「良い子」の仮面をかぶることに慣れすぎているように見えました(気のせいかもしれませんが)。それも大事だけど、ちゃんと本音を言える相手が、いるのかな。良い子で居続けるのは辛いぞ、良い子の殻を破るんだ、と、私は「優しく明るい良い教育実習生」の殻を破ることで伝えたかったです。嫌われるの全然OK。それで自分の人生を生きてくれるなら、その方がよっぽど大切なことだと思いました。

教育実習といえば、私はこの時のことを強く覚えています。


あと教職の授業を大学で履修していた時に気になっていたのが、やたらと「生徒のために~」を連呼する学生がクラスに必ず何人かいたことです。引きました。生徒のために、って本当は自分のためでしょ、自分を正当化するために生徒を使わないでよ、といつも思っていました。本当に生徒のことを考えている人はそういう押しつけがましいことを言わない気がしました(偏見でしたらすみません)。そういう人の言うことは信用できました。

教育実習をさせて頂いたことは本当に感謝しています。受け入れてくれた学校、担当してくださった先生、そして担当のクラスの生徒たち、周りの実習生。本当にありがとうございました。たくさん助けてもらいました。色々なことを学ぶことができました。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。