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「しんどかったなー」と思えるようになってきました。

/ ニッケルハルパ奏者

大変だったことを「大変だったなあ」「無理してたなあ」と思えるようになってきました、という話です。


ニッケルハルパを始めてから、私は「楽器関連の人間関係を円滑にすすめなければいけない」という思い込みを持っていたように思います。

うまくやりたい。嫌われたくない。

楽器を楽しく続けるために、人間関係をうまくやらなければいけない。

趣味だから、楽しみたいからこそ、うまくやりたい・心地よく続けたいという思いがプレッシャーになっていたのかもしれません。(今は趣味ではなく仕事にしていますが)

それはとてもしんどかったです。

楽器をやっている人だからといって、全員と仲良くしなければいけないわけではないことくらい、考えればわかるのですけどね。

私はもともと交友関係が広い方ではなく、むしろ狭い方が心地よいというタイプなので、頑張っちゃってたなあと思います。頑張ること自体は全く悪いことではないのですが、どこかに無理が出て、結局「頑張りきれない自分」を責めていた気がしますので、それはとても自分をいじめていたなあ、と。

以下は私が抱えていた思い込みです。もしかしたらこれをお読みの方にも当てはまるかもしれません。


楽器関連の集まりやイベントには、とにかく顔を出さなければいけない。

苦手な人とも、ちゃんと付き合わなければいけない。

他の人が好きな曲は、自分も好きにならなければいけない。

皆で集まった時、全員が知っている曲・全員が弾ける曲を選ばなければいけない。

それを「つまらない」と思ってはいけない。

「もっと他の曲が弾きたい」「もっと速く弾きたい」と思ってはいけない。

とにかく弾けない人に合わせなければいけない。遠慮しなければいけない。というか「弾けない人」なんて思ってはいけない。「レベル」の話をしてはいけない。「上手さなんて関係ない」と笑顔で言い続けなければいけない。

曲を教えてー、と言われたら無償で教えなければいけない。

それを「嫌だ」と思ってはいけない。

無償どころか、「参加費を払っている私が」教えることを、「嫌だ」と思ってはいけない。

「周りとレベルが合わない」と思ってはいけない。

「一緒に弾く人を選びたい」「もっと上手い人と弾きたい」と思ってはいけない。

「合わない人とは一緒に弾きたくない」「合わない人に気を遣うよりも、一人で弾く方が自分には合っているみたい」と思うけど、それを言ってはいけない。「誰かと・皆で一緒に弾く方が、一人で弾くよりも楽しい!」といつでも言わなければいけない。

上手くなりたいと思うことや、自分が上手くなることに罪悪感があったし、「自分が人よりも上手いかもしれない」と認めることは、思い上がりだ。

自分より下手な人からの「親切な」アドバイスを、「不快だ」と思ってはいけない(「自分より下手な人」、なんて思ってはいけない)。

楽器だけでなく、スウェーデン語で書かれている曲の解説文をいちいち解説されるのを、「不快だ」と思ってはいけない(「私スウェーデン語読めるから自分で読んだ方が早いんだけど…」と思うのだけど、そんなことを思ってはいけない)。せっかく解説してくれているのだから、ちゃんと聞かなければいけない。

「成長したね」「最近良い感じだよね」「良い方向に変わってきましたよね」などと言ってくる人達を、「上から目線だな」「嫌だな」「やめて欲しいな」と思ってはいけない。

とにかく自分を低く見積もらなければいけない。

茜ちゃんは私たちの味方だよね、みたいな空気や期待に応えなければいけない。

私は私でいち個人なのだから、「仲間」とか、誰かを敵に見立てるための「味方」みたいな雰囲気作るのやめて欲しい、と思うけど、思ってはいけない。何かの役割を期待されたり、まつりあげられるのはとても嫌だけど、嫌だと思ってはいけない。

…以上のこといずれも、「苦しい」と思っては、いけない。


そんな風に思っていたので、窮屈でしたし苦しくなってしまったんですね。

これは私自身の心の話なので、このことに周りの人は一切関係ありません。つまり、「私にそう思わせる周りの人が悪い」としてしまうのは事実とは違う「思い込み」になってしまいますし、自分を被害者にして周りを加害者に仕立てあげても(もしくは「自分が正しくて周りが悪」と思い込むことは)、誰にも何のメリットも無いのです。私自身にも。

ただ、こういう風に自分を縛ることは「しんどかったなー」と思いますし、よくやってたなー、頑張ってたなあ、自分。と思います。それをしんどいと認められるようになったのだけで、ずいぶん成長したなあとも思います。いかんせん、「しんどいと思ってはいけない」と思っていたので。


ちなみに、上記のことは今でもまだ「思ってはいけない」と思っていることがたくさんあります。上手く距離感が掴めなくて。

最近よくあるのは、自分が既に知っていることを解説されたり、好みじゃない奏者の動画や、いらんことをおすすめされたりした時に、「うーんちょっとうざいなあ…」と思ってしまうのですが、それを「相手に失礼だから、そんなことを思ってはいけない」とか思ってしまうのですよね。やれやれ。村上春樹が出てしまいますよ。

あと「会話切りたいんだけど、なんか話したそうにしてるから応じた方が良いのかなあ…」「ポジティブなリアクションを求められている雰囲気だから、私も盛って言わないといけないかなあ…」みたいな、期待に応える系もあります。本当は、…特に話すことないからさっさと帰ってゆっくりコーヒー飲みたいんだけどなあ…なのですが。「相手の期待に応じちゃっている自分に更に自己嫌悪する」というループもあります。

「ちょっとうざいなあ…」と思うものは、「ちょっとうざいなあ…」のまま思って良いのだ。と、自分の気持ちを認めていこうと思います。そのうえでどうするかはまた別問題として。

不快なものは不快だし。嫌なものは嫌だし。重いものは重いし。好きなものは好きだし。

私は私で、他人は他人だし。敵とか味方とか無いし。

私も他人も、誰だって本当は自由だし。

お読みいただきありがとうございました。