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自分にとってしっくりくる弾き方や音の出し方は、憧れの奏者の演奏から、一本脇道にそれたところある。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

前回のブログで、「良い演奏を真似するうえで、見た目などの表面的な部分をそっくりそのまま真似しようとするよりも、真似した時の自分の感覚を大事にして、その演奏の良さの本質的な部分を取り入れるのが良いと思う」と書きました。

その話題を少し深めて、さらに感じたことを書いていきます。

要点は「憧れの演奏を真似するのは不可能だけど、そこにほど近い別のところに、自分にとってベストの弾き方があるのではないか」ということです。

体格、楽器…私達は皆それぞれ違う点ばかり

私達は皆それぞれ体格が全然違います。

また、演奏している楽器のサイズや音質、弓のかたち、その楽器と弓で音を響かせるためのポイントも違います。

(同じ製作家の作った楽器でも、同じものは2台と存在しません)

さらに、演奏の録音品質や、演奏場所、音を聴く距離による音の聴こえ方も違います。

ちなみに私は一時期、多くのニッケルハルパ奏者にとっての憧れの存在であるOlov Johanssonという奏者の楽器の構え方をかなり参考にしていました。

が、冷静に考えれば(考えなくても知っていましたが)、彼は身長が約2m(以上)あるそうです。

私は164cmです。私は彼の4/5の身長です。でも楽器はだいたい同じ長さです。

身長164cmの私がOlovのような角度の構え方をすると、どうなるかは、想像に難くありません。身長のわりにストラップが長すぎて楽器が下がりすぎて、左手が上手く使えない状態となっていました。

そうなっている人を、たくさん他にも見かけました。

表面的に真似するばかりでは、そういうことが起きてしまいます。

もちろん最初は、「見た目」や「録音」を頼りに真似するところから入ります。

しかし、「真似することによって自分が楽に弾けているのか?」「自分は楽器を響かせられているのか?」というのを自分自身で判断するプロセスが必ずどこかで必要になります。

その時点で、自分自身は本当は苦しいのに、表面的な真似にとらわれて苦しい方法をとり続けていると、うまくいかないばかりか、かえって演奏を悪くしてしまいます。

憧れの人と完全に同じ演奏をするのは不可能

そしてここであえてはっきりいうと、「憧れの人(演奏)と完全に同じ演奏をするのは、不可能」です。

体型や見た目や性格が皆それぞれ違うのと同じです。

私はこのことをはっきり自覚した時、少しだけ絶望的な気持ちになりましたが、同時にとてもほっとして、力が抜けました。

そして、いかに自分が「憧れの演奏と全く同じ演奏をすること」にとらわれていたのかを知りました。

自分が、自分の楽器で、その響きをどう生み出すか

憧れの演奏と完璧に同じ演奏をすることよりも、大事なのは、自分の憧れている奏者がその演奏を通じて生み出している(と自分が思う)響きや、その演奏を聴いている自分に伝わってくる感情を、自分が弾き手となった時に自分の方法で生み出せることだと思いました。

憧れの奏者の弓使いと自分の弓使いが違ってしまっても、それが自分自身の感情や自分の今の楽器に合っているなら、その方が聴いている人にとっては心地よい演奏になります。

「今の自分のこの演奏ははたして完璧に真似できているだろうか」とか、「合格点だろうか」とか、そういうことを考えながら弾くよりも、「自分はこの曲でこの楽器をこう響かせたい」とか「この楽器の響くポイントはこうだろう(弓のポイントも左手のタッチ具合も)」とか、自分と自分の使っている楽器の良い具合を見つけていった方が、聴いている人にとっては良い演奏になる、と私は感じています。

そして不思議とその方が、考え込んで弾いている時よりも、その曲本来のエッセンス(リズムと響き)がうまく出てくるような気がしています。

「完璧に真似しない」のは、勇気がいる

「憧れの演奏をそっくりそのまま真似しよう」とか「完璧に(もしくは均等に、きれいにetc…)弾こう」とするのは、地道な努力がいります。

しかし私の性格上、そういった努力はあまり苦ではありません。

むしろ「努力する自分」に心酔できて自己満足できるので、精神的には楽かもしれません。

(ニッケルハルパと関係なく、そういう自己満足の努力を好む人は他にもよく見かけますが)

一方で、そっくりそのまま真似するのではなく、「自分と自分の楽器の具合を見ながら良いように真似しよう」と思うのは、私にとってはかなり勇気のいることです。

はみ出す勇気、楽に弾く勇気、です。

誰かに何か言われるかもしれない、という恐怖もあるかもしれません。実際誰かに何かを言われたら、たぶんそんなに気にしないと思いますが。

でもその恐怖や勇気をうわまわるような、演奏の心地よさと確かさが、そこにはあると感じています。

自分にとってのベストパフォーマンスは、「憧れの演奏」から、一本脇道にそれたところにある

今の時点で私が感じていることですが、おそらく自分にとってしっくりくる弾き方(ベストパフォーマンス)は、「憧れの演奏そのもの」ではありません。

到達地点が少し違います。

かといってその2つは全くの別地点にあるとも思っていなくて(「憧れの演奏」に自分が共鳴しているのは事実なので)、少しだけ別のところ、一本脇道にそれたところぐらいにあるのかなと思っています。

私の場合、その自分自身の目指すべきところが、わりと早い段階でつかめる曲もあれば、憧れの演奏そのものに縛られてしまってそこから動けなくなる曲もあります。

そして実は、少し前にたくさん練習していた曲ほど、今、私は自由に動けていないのを感じています。(最近新しく弾くようになった伝統曲達の方が、むしろ自由に弾けています)

でもそれらの曲もまた、大好きな曲達です。

それらの曲を、少しずつ弾き方やイメージを変えながら、柔軟にできるようにしていくのが今の課題の一つです。

自分がどうしたいのかを感じながら、弾いていきたいと思います。