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「CDまるごと通して弾く練習」によって、感じたこと

/ ニッケルハルパ奏者

ブログを書くのがすっかりご無沙汰になってしまいましたが、ここ最近の練習について書きます。

CDまるごと通して一緒に弾く

3月頃から、いくつかの特定のCDの曲を弾くことに関心が向き、それらのCDをまるごと通しで流して、一緒に弾く(ワイヤレスイヤホン使用)、という練習をしていました。

1曲を繰り返したりはせず、弾けても弾けなくても次から次へとどんどん曲を弾いていきます。

知らない曲や弾けない曲もたくさんありましたが(今もまだ全然弾けないものもたくさんあります)、知らないながらも一緒に弾いているとだんだん覚えてくるもので、おもしろいなと思います。

私は今まで、「1曲を繰り返し繰り返し地道にゆっくり練習する」という、石橋を叩いて渡る、的な練習方法のみをとってきました。ニッケルハルパを始めて今年で6年目になりますが、今までの5年間はその練習方法を繰り返してきました。

もちろんその練習方法も残しつつ(1曲を弾けるようになるためには、その練習方法が一番早くて確実です)、また一方で、「同じカテゴリの(同じ地域の)曲をたくさん浴びる」ことによって得られるものもあるのだ、と感じるようになりました。

※ちなみに私がこの2か月で主に弾いていたCDはだいたいこちらです。ただのリストですので、興味のある方以外は読み飛ばしていただければと思います。

  • 「Långt om länge」 Cajsa Ekstav & Ditte Andersson
  • 「Ditte Andersson」 Ditte Andersson
  • 「Gubbskivan」 Eric Sahlström, Curt Tallroth, Bosse Larsson, Leif Alpsjö, Gunnel Viking & Viksta-Lasse
  • 「Weslén」 Markus Svensson 
  • 「Örsprång」 Curt Tallroth & Olov Johansson
  • 「Spelmansglädje」 Eric Sahlström
  • 「Eric & Lasse」 Eric Sahlström & Viksta-Lasse
  • 「Eric Sahlström och Gösta Sandström i attundarummet på Täby bibliotek 1981」 Eric Sahlström & Gösta Sandström
  • 「Spelmanslåtar från Uppland」 Eric Sahlström & Gösta Sandström

上記のリストの音源は全体的にウップランド地方という所の曲が中心で、曲以外にも似たような傾向の音源が並んでいます。

感じたこと:言葉で教わった奏法よりも、音と演奏に注目する

得られたことの中でも、自分にとっての一番の収穫は、「他の奏者(留学先の先生など)から言葉で教わった奏法や、人の言うこと・解説に、あまりとらわれなくなった」ということでしょうか。

もっとはっきり言うと、「言葉で教わったことよりも本人の音と実際の演奏を見る」ということです。

言葉によるイメージは、誤った解釈も想起しやすい

私は今まで、留学中に先生達から教わったことや他の人から言われたことを、忠実に自分の中でイメージし直して、再現してきたつもりでした。

が、実はそれだとうまくいかないことも多かったのです。

「この人が教えてくれた通りにやっているつもりなのに、なんでうまくいかないんだろう」「なんでこの人の演奏とはかけ離れた演奏になってしまうんだろう」とよく思っていました。

今考えれば、それは「教えてくれた人の言葉が間違っていた」のではなく、おそらくその言葉をもとにした私の「イメージの仕方」や「言葉の解釈の仕方」が、結果的には「教えてくれた人のイメージとはかなりかけ離れてしまった」ことによるのだと思います。

(Aというイメージを伝えようとしてある奏者が言葉で解説してくれたけれど、その言葉によって私がイメージするものが、全然別物のBになってしまった、ということです)

しかもそのことに私自身は気がついていなかったので、行き詰まり感を感じながらも、どうしようもない状態が続いていました。

音源と一緒に弾くことで、無意識に自分の奏法が変化していた

そんな私ですが、留学中に習った曲ではないたくさんの曲を、CDと一緒に弾いていた時に、ふと「あれ、なんか私いつもと違う弾き方をしているな?」と気付くことが何度もありました。

その弾き方は、今まで自分が『こうやって弾くべきだ!』と意図してイメージしていたものとはかなりかけ離れていました。

音の出し方も違うし、ニュアンスの出し方も違いました。

頭で考えていた時にはやらないような弾き方をしていました。

よりシンプルに、楽に、響かせる弾き方を

ではどういう風に違っていたのかと言うと、簡単に表現すれば「こんな楽な感じで弾いていいのかな?」と思うような感じでした。自分がイメージしていたものよりもシンプルで、合理的で、楽でした。

そしてその方が演奏もCDの弾き方に近づき、なおかつ音の響きも自然で柔らかく軽やかになったように感じました。

ニッケルハルパの場合、音圧や力で音を大きくするよりも、わずかな力で楽器の響きをうまく利用した方が、はるかに良い響き(よりニッケルハルパらしい、広がりのある響き)を得ることができます。これはおそらく、ニッケルハルパを初めて聴く方でも、聴き比べればすぐにその違いがわかるくらいの、歴然とした差です。

とは言っても、あまりにも今まで自分が信じてきた奏法(=でもうまくいかなかった奏法。そしてたぶん、教えてくれた人の意図「していない」奏法…)との差がありすぎて、最初は「これで良いんだろうか…」と戸惑いましたが、とりあえずそれでやってみることにしました。

というわけで、『言われたことや言葉からイメージした弾き方』ではなく、『音を聴いて自分がイメージする弾き方(よりシンプルで、楽で、響く)』の方へと、舵をきることにしました。

良い演奏を真似する過程において、自分の感覚を大切にする

言われたことを忠実にやろうとするのも、音を聴いて自分なりにイメージすることも、どちらも「相手の演奏の良い部分を学びたい」という目的は同じです。

ただ、真似するうえでただ相手の演奏をそっくりそのままやろうとするだけではなく、それをやってみた時の「自分自身の感覚」もとても重要になるのだ、と感じました。

例えば真似したうえで何かが「窮屈」に感じたとしたら、それは自分が相手の演奏の見た目などを、「表面的に真似している」だけであって、本質的には相手の演奏の良さを再現できてはいないのではないか?と思います。

(例えば見た目の話でいえば、同じ映像を見ていても、人によって目のつけどころや見え方が違うように、自分自身の見方というのは偏っている場合がほとんどです。見えているようで見えていないものもたくさんあります。難しいのは、見えていない時点では「自分は見えている」と思い込んでしまっていること、です)

真似してみることによって、それまで感じていた違和感がなくなったり、自分自身の演奏が良くなったり、身体の具合が楽になったりした時に初めて、相手の演奏のエッセンスを取り入れられるのではないでしょうか。

教わったこと(言葉)は頭の片隅にはとどめておきつつ、あくまでもその「演奏」から自分がどんな音を聴き、もしも映像があるなら何を見たのか。

そしてそれを再現してみた時、自分の身体の感覚がより楽であるかどうか、ニッケルハルパの構造や弓の使い方としてより合理的に思えるかどうか。

何より、響きや演奏がより自分にとって良いものだと感じられるかどうか。

そういったことを優先しよう、と思いました。

毎日発見があるから、楽しい

ニッケルハルパの弾き方は、人によってかなり違います。

様々な弾き方・音の出し方がある中で、自分がより惹かれるものを目指して、試行錯誤していると、日々発見があり、とても楽しいです。

他の人(特に弦楽器経験者)にとっては自明のことでも、私は今日初めて知った!というようなことが、山ほどあります。

自分なりの良い音を研究し、かつ、自分が目指す方向性ではない音も(聴く側として)もっと楽しめるようになって、自分の音の幅を広げたいと思います。