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「周りに見られている自分」よりも「周りを見ている自分」を意識する。

/ ニッケルハルパ奏者

昨日書いた、周りへの意識と自分への意識(弾いている主体としての自分の意識)というのを意識してみたら、人と合わせる時や動画で撮る時にとても弾きやすいと感じました。

周りへの意識だけになっている時は身体のどこかに緊張が走り、身体がうまく使えていない感じがしたのですが、自分へ意識を戻すとその部分的な緊張もふっと解けるのがわかりました。

「人前に立つと緊張する」ということが起きる人は、もしかしたら「周りから見られている自分」というのを意識しすぎていて、「周りを見ている自分」という意識が希薄になっているのかもしれない、と思いました。

周りから見られているのと同じように、周りを「見ている自分」が確かに存在して、それが例えば何かのスピーチの場なら見ているだけではなく更に「言葉で伝えようとしている自分」がいるし、演奏なら「音楽で表現しようとしている自分」がいます。その時、発信の中心になっているのは自分自身です。そこで周りへの意識ばかりになってしまうと発信者としての自分、中心にくるべきものが空洞になってしまうのでやりにくいのではないかと感じました。

周りへの意識だけでなく、自分が周りに与えていく影響を、自分を中心とした放射線状のイメージで考えてみたりとか。引き続き試していきたいと思います。

また、これができていると演奏中の視線も落ち着くという気がします。ただし視線のことは、私が相変わらず曲の音程のイメージを視覚的に捉えている(音の響きよりも、頭の中の鍵盤を思い浮かべてしまう)ので、気を抜くと鍵盤で考えてしまって(すると視線があちらこちらになる)、しかもそうするとだいたい間違えやすいところで間違えるので、これはまだ訓練が必要です。

あともう一つ、以前から思っていることを昨日あらためて思ったのですが、音が出ているのは楽器ですが弾いているのは私だということです。弾いている間、ついキーがどこかを探ってしまったり、弓の感じを確認しようとしたりすると、意識の中心が楽器に移ってしまい、そうすると身体の中心もぶれ、より弾きにくくなってしまうことがわかりました。

昨日「歌うこと(うまいかどうか・音程が正確かどうかを別にすれば、歌うだけなら私達は簡単に曲を覚えられる)」と「楽器を弾くこと」に関して、「歌う(口ずさむ)時のように楽に自然に曲を覚える感覚で楽器でも新しい曲が弾けると良いな」というようなことを書いたのですが、それと同じで、「頭の中には既にその音楽がある。それを身体と楽器を通して表に出す」と考えると、キーを探ったり弓の感じを探っている時よりも、楽に自然に弾きたいことが弾けるような気がしました。

(これもさきほどの「自分への意識」と同じで、楽器に意識を向けすぎるのではなく、その楽器を弾いている自分、表現しようとしている自分に意識の中心を持ってくることでもあるかなと思います)

目の前の楽器の様子を探るのではなくて、自分の中に既にあるものを表現すれば良いのだということです。無いものは表現できないので、また後でイメージを作っていけば良いのですが、たぶん「(自分の中に音楽が)本当は『ある』のに『無い』と思い込んでいたり、『ある』と気が付いていない」というのが、楽器を弾きにくくしてしまっている要因の一つなのではないかと思います。これは才能などに関わらず、誰の中にもあるもので、そこで「自分には無いな…」と思ってしまう方こそ「無い」と思い込んでいる(=伸びしろがある)ということだと思います。

今日の動画はEmma Ahlberg, Johanna Karlsson, Lena Jonssonの3人のトリオLimbohofvetの演奏です!曲は並び順で左に立っているEmmaが作った曲だそうです。動画の最初の方でEmmaがこの曲を作った背景(電車の中で…)というのを話しているのですが、ここでは曲が始まるところから再生するようにしています。この3人は全員それぞれに活躍中の奏者達で、3人ともそれぞれ素晴らしいです。3人で弾いているところは初めて見ました。曲も良い曲ですし、演奏もとても良いです!楽しいです!

(しかも7:10~はアンコールも入っています。そちらもぜひご覧ください。イナバウアー的な感じになってます)

274曲目は「Polkett efter Augst Bohlin」です!久々に、Uppland(ニッケルハルパ伝承地のウップランド地方)の曲を選びました。これも普段聴いてはいる曲なのですが、ちゃんと弾くのは今日初めてだったのでかなり練習しました。左手は良くなってきたのですが、弓の動きをもっと洗練させたいと思っています。

今日もお読みいただき、ありがとうございました!