「つまらない」という指摘に衝撃を受ける
以前、私は「MCがつまらない」と言われたことがあります。
お客様ではなくて、共演者側の、普段あまりMCなどをなさらない方に言われたのですが。
実際はもう少しやんわりとした言い方で、アドバイスもしてくださいましたが、端的に言ってショックでした。
(※一応書いておきますが、言った人が悪いとは全く思っていません。その人が悪いと言うための記事ではありません。むしろ、ネタにしてすみません…)
ただただ、ショックでした。
「つまらない」以前に、そういう指摘をされたこと自体が衝撃的でした。
お互いのパフォーマンスに踏み込むか、踏み込まないか
私の中では、一緒に演奏する人というのは仲間に近い他人で、尊重し励まし合いこそすれ、お互いのパフォーマンスに安易に踏み込むのは危険だ、という認識でいます。
(演奏以外のことでも、そのように思っています。他人の仕事や、家事や、育児の仕方に安易に首を突っ込むのはちょっと危険です)
本人がどれだけ努力しているのか、何を考えているのか。
それをよくわからないままに、自分の価値観で相手に踏み込むことによって、相手と自分の間の何かを踏みつぶしてしまうことは、よくあります。
お互いをよく知る、長年のパートナーのような関係なら踏み込むことも必要だと思いますが。今回はそうではありませんでしたので、びっくりしてしまいました。
(もちろん、良かれと思って言ってくれているのでありがたいと思うように努力してはいるのですが…)
自分は自分、相手は相手
自分の欠点というのは、たいていの場合は(意外と)自分で「よくわかっている」ものです。
わざわざ私が相手に指摘しなくても、本人が自覚しています。だから、私があえて相手に言う必要はないし、自覚していないならいないで、本人が問題視していなければそれで良いのだ、という認識でいます。
やり方はたくさんあるし、人それぞれですから。
自分の見方なんて偏ったものでしかないので、自分の見方で相手を一面的に判断するのは失礼だし、自分の視野や可能性も狭めることになります。
と、普段私は思っていました。
ですので、指摘された時に衝撃を受けました。自分の中で当たり前だったマイルール(お互いのパフォーマンスにたやすく踏み込まない)がいとも簡単に破られたからです。まさか、指摘されるなんて…という感じ。
そしてその時に、こう思いました。
①「そうか、私のMCはつまらないのか。頑張ってたんだけどなあ」
②「そうか、こういう風に相手と接するタイプの人もいるのか」
指摘を思い出しつづける日々。その後吹っ切れた
それで、MCの仕方についてあれこれと悩みました。
その間、私はこの「つまらない」というご指摘を、ほとんど毎日1日3回以上、たびたび思い出していました。
そんなことを思い出すなんて非常にくだらないのですが、思い出してしまうものは仕方ありません。
ただひたすらに、思い出す日々が続きました。
(一応書いておくと、私は”1”言われると”100”怒り、”100”へこみます。表面的には出さないように気をつけていますが…面倒くさい性格なのです)
そんなこんなで数カ月が経ち、「最近MCのことで以前ほど悩まなくなってきたかも…」と気付いた時に、ふと思いました。
「あの時、『つまらない』と言われて良かった」と。
なぜかこの時、「そうか、私のMCって、つまらないのか」と、すんなりと言われたことを受け入れている自分に気がつき、ある意味吹っ切れたのです。
上手くやろうとする気持ちがなくなってきた
「つまらない」と言われたことで、私に何が起きたのか。
おそらく、「上手くやろう」という気持ちが薄まったのだと思います。
自分がもしも、人生で初めてうどんを打ったら、そのうどんがまずくても「うん、まずい」と認められますよね。(ちなみに私が留学先でひとりで作ったうどんは、まずかったです)
初めて挑戦したことや、失敗してもしょうがない、と思える状況下での出来事って、うまくいかなくてもそこまでショックを受けずに認めて次にいけると思うんです。
でももしも自分がプライドを持ってやっていることや、「失敗してはいけない」という思いで必死に頑張っていることで、他人から「失敗だ」と言われたら、結構ショックですよね。
私はそんな感じでした。
しかし、ショックな日々を乗り越えて吹っ切れてみると、「そっか、私のMCってつまらないのか。ふうん。まあ、しょうがない!つまらないなりに頑張れば良いじゃないか!」と思えるようになってきたんです。
そして、上手くやろうと思わなくなった結果、王道じゃないMCをするのが怖くなくなり、自分の言葉や感情でMCをすることができるようになってきた(気がする)のです。
(それまでは、楽器や音楽に関して”王道”な説明をすることにこだわっていたので)
「気がする」だけで、今も変わらずつまらないかもしれません。でも私は、たとえつまらないと言われようとも、目の前のお客様に喜んで頂けることの方が嬉しいので、私のやり方でお客様に向かい合っていければと思っています。
演奏でも同じことが起きる
さっきまでの話はMCでしたが、これとは別件で、演奏に関しても同じようなことが起きたことがありました。
「(私の)演奏が○○だなあ(要するにビミョー、ヘタクソということ)って、実は思っていたんだ」と、別の共演者に唐突に言われたことがありました。アドバイスとともに。
しかも、「(私に)言おうかどうか迷った」そうです。「だったら言わなくて良かったのに…」と私は内心思いました。
こちらのご指摘も、MCの話同様にびっくりし、衝撃を受けました。
むしろMCよりもさらなる衝撃を受けました。
相手に合わせてた(つもりだった)から、びっくりしちゃった
なぜなら、私は「その相手の演奏」こそがまさに、(本人の指摘している)○○な癖があるなあ、と実は思っていたからです。
「この人の演奏は○○という癖があって、ちょっとだけ違和感があるけど…この人はそれが良いと思っているんだろうし、うん、そういうのが好きなんだろう。よし!ここは相手を尊重して合わせていこう!」と張り切って、ずっと合わせていたところだったのです。
私が相手の演奏をポジティブに解釈しようとしている間、私自身はこの人に批判的にジャッジされていたのだ…、というショックな衝撃と、「え、あなたに合わせてた(つもりでやっていた)ことなのに、まじか…」というびっくりな衝撃がダブルで私を襲いました。
また吹っ切れる
しかし相手は悪くありません。悪意は全くありませんでしたから。(なのにネタにしてすみません)
いつも通り1のことで100怒り100へこむ私ですが、今回もまた怒ってへこみきった後、私は思いました。
「まあ、相手に合わせるだのなんだのを抜かしても、確かに私はその人よりも、ヘタクソなんだろう。ヘタクソだわ」と。
「でも、これからはもう私、この弾き方(相手に合わせる弾き方、自分にとって違和感のある弾き方)をしなくても良いんだ。私は自分のいつもの弾き方をして良いんだ!」と。
相手に合わせていたつもりが、むしろ「この人やりにくい」と思われていた(かもしれない)という悲しい事実。
ならばいっそのこと、自分の弾き方をしたうえで「やりにくい」って思ってもらえた方がマシだし、相手が私に合わせることも必要だ。
これからは自分の弾き方ができる、むしろ自分の弾き方をした方が(相手にとっても)良いかも!と思うようになりました。
と同時に、私は、自分がいかに我慢をしていたのかを知りました。
相手に合わせているつもりが、私はいつの間にか普段の自分の弾き方をほとんど全部なげうって、我慢して、相手に合わせていたのです。
我慢しなくて良い、自分の思う弾き方で良い。
そういうことを、この出来事は教えてくれました。
批判も怒りも悲しみも成長の源
他の人からの指摘が当を得ているかどうかに関わらず、言われた自分が何かの言葉にぐさっとくるなら、その何かに対して自分なりに向き合った方がいいのではないか。
というのが、私が普段から思っていることです。
何を、誰に言われたというのはあまり重要ではなく、自分がそれについてどう思うか。
自分の解釈、普段の気持ち。
気にしていないことはそもそも最初から気にならないので、もし気になるなら、自分なりに自分の気持ちを整理してみると、成長に繋がるような気がします。
私の場合は、MCの指摘も演奏の指摘も、「自分とは違うタイプのコミュニケーションの取り方をする人がいる」ということを学ぶことができたのと、「自分らしいやり方をするきっかけを与えてくれた」出来事、として捉えています。
あとは悔しさを乗り越える経験をさせてくれたとか、言われても言い返さない(同じ土俵に立って相手の欠点を指摘する、ということをしない)練習になったとか、相手への思いやりを学ぶ機会になった、とかです。
言われて、ムカついて、今度は自分が相手の欠点(と自分が思っていること)を指摘したとしても、あまり良い結果になりません。
むしろ、自分の放った言葉は必ず自分に返ってくるので、人を批判したりジャッジしたりすればするほど自分自身もジャッジされる人生を送ることになります。
(私もそうやって、他人をジャッジする人生を送ってきましたが、本当に良くないので、最近はなるべくやめようと心がけています。他の人の良いところを見つける方が良いです)
思っていることを全て伝え合うことだけが、コミュニケーションではなくて、伝えないこともコミュニケーションです。私はあなたを信頼しています、という。
批判は気にするな、と言う人もいますが、私は、気になることを気にしないのはたぶん無理です。それよりは、気にしまくって成長に繋げる方が自分に合っているように思います。
半分愚痴のような記事ですが、もしもこれをお読みの方が何かの批判にくじけそうな時は、ぜひ私のこの悔しかった(超悔しかったです)経験を思い出して、笑って、安心していただければと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。