峰村茜のホームページへようこそ!どうぞごゆっくりご覧ください。

スウェーデン大好きで東京が大嫌いだった私が、東京で生きていこうと思った理由について

/ ニッケルハルパ奏者

(今朝、公園で見つけたカブトムシ)

私はスウェーデンが好きです。スウェーデンの文化も、自然も、街並みも、人の考え方も、暮らしぶりも、好きです。

スウェーデンで色々な人に出逢い、楽しい思い出を作ってきました。ああ、思い出って大人になってもこんな風に作れるんだ、物が何もなくても人と笑いあえるんだ、言葉もわからなくて何もできない自分でも受け入れてもらえるんだ、と思いました。

何か外からの刺激がなくても、日常生活の中で楽しみは作れる。誰かに楽しくしてもらうのではなく、自分で楽しみは作れる。自分の好きなものに、まっすぐに向かうことで幸せになれるし、それを誰かと共有することができる。

テレビの中の誰かやスポットライトを浴びている誰かではなく、普通の生活を送る自分に常にカメラの焦点が当てられている。同時に、本当は全然普通じゃなくて人と違う変な自分、にもちゃんと居場所がある。

私は、そんな大好きなスウェーデンにずっといたいと思いました。でも今、日本で、東京で生きています。そんな自分が「スウェーデンにいたいのにいられなかった負け犬みたい」だと最初は思っていましたが、2018年に留学した1年間で思い直しました。スウェーデンにいられなかったのではなく、私は、たぶん日本を選んだんだ。


スウェーデンの人たちは自分なりに日々を楽しんでいて、自分の人生を生きています。それはスウェーデンの人たちに何か特別な才能があるからとか、お金があるからとか、良い大学を出ているからとか、良い仕事についているから、ではないと思います。普通の人が、自分たちの人生を楽しもうとしています。テレビの中の誰かやスポットライトを浴びる誰かに憧れるのではなく、自分の人生をいかに生きるか?を考え続けています。

私はスウェーデンの、そんな「普通の人たちが、誰かに憧れるのではなく、自分の人生を豊かに生きる」という点がとても好きになりました。同時に「日本は窮屈だ。日本人は自分の人生を諦めている。特別じゃない自分を型にはめて、自分を偽っている。もっと自分の人生に目を向ければいいのに。誰かをうらやんでいてもしょうがないのに」と思っていました。だから「日本は嫌だ。スウェーデンにいたい」と思っていましたが、実は自分の中で少し違和感も感じていました。

誰かに憧れて誰かをうらやんで、特別になりたかったのって、私じゃない?

「スウェーデンで普通の人たちが充実した人生を送っていることが素敵だ」と言いながら、私自身は日本を飛び出してスウェーデンに憧れ、スウェーデンの生活がいかに素敵かを友人や家族に話しまわり、そんな環境にいる自分に酔っていたところがありました。日本(東京)のダメなところばかり見て、そんな話題ばかりして。スウェーデンと東京を横一列に並べて、優劣をつけて。

でも私が生まれたのも育ったのも東京で、家族も友人も知人も日本にいて。そんな日本を支えている人達が周りにはたくさんいて、それは例えば駅前のとんかつ屋で夜中まで働いている大学生だったり、スーパーでお惣菜を作っている主婦さんだったり、夜泣きをする赤ちゃんをあやす若きお母さんだったりします。そういう人達のことを私はちゃんと見ないまま、「日本人は働きすぎだ」とか「日本はダメだ」なんて、言ってたなあ…。恥ずかしいなあと思いました。

華やかなものばかり見て誰かに憧れ続けていたのは、私だったんです。


スウェーデンは今も、これからもたぶんずっと大好きです。でも私は同じくらい日本のことも、東京のことも好きになりたいです。自分の知らないところで自分の生活を支えている人、それはもしかしたらガソリンスタンドの店員さんかもしれないし、コンビニの店員さんかもしれない、そういう人達のことを知っていたいし、尊敬していたいです。自分にはできない仕事をしている人達、それで家族や大切な人をちゃんと支えている人達。自分が目を凝らさなければ見えてこない存在。「素敵なインテリアに囲まれた生活」なんてしていないであろう、でも素晴らしい笑顔を持つ人達。

スウェーデンの自然も街並みもすごく素敵だけど、私は東京だって負けたもんじゃない、と本気で思っているんです。この前そういう話をしたら、冗談を言っているみたいに笑われて終わってしまいましたけど(私も茶化してしまいました)。自然も街並みもスウェーデンには劣るかもしれない。でも目を凝らせば緑はあるし、誰かが日々育てた花も樹もある。誰かが手入れして残ってきた、古い建物だってある。「東京には人と人の繋がりがない」なんて、以前の私が思っていたことを、そっくりそのまま以前の自分に返して言ってあげたい。「あなたの笑顔も涙も、周りの人の思いやりも、全部人との繋がりがくれたものだよ。無視しないであげて」

私がずっと東京を嫌っていたのは、たぶん私が自分のことを嫌っていたからです。今でも相変わらずスウェーデンの良いところばかり見えてしまうけど、自分が育ってきた場所も今いる場所も、そこで頑張っている人達のこともちゃんと見ていたいです。自分のルーツも今いる場所も、諦めながら言い訳しながら生きていたくないです。私がスウェーデンで得てきたもの、「自分の人生を生きる」とか、「足元の小さな幸せを積み重ねる」ってそういうことじゃないのかな?と思います。今まで見てみぬふりをしてきた、自分の周りの素晴らしい人やその笑顔にもっと気付きたいです。自分の人生の意味もわからずに苦しんでいた、以前の自分にも、伝えたいことが山ほどあります。

「自分なんていても意味がない」って思っているその人の存在が、実は知らない誰かを笑顔にしているんです。意味は、あります。いつもすぐそばに。

そんな私は明日もニッケルハルパを弾きます。楽しくレッスンしまーす!

今日もお読みいただき、本当にありがとうございます。