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ブレーキンゲ1年目:スウェーデン語がわからなかった

/ ニッケルハルパ奏者

ブレーキンゲの学校で、私はスウェーデン人11人のクラスメイトの中に混じって演劇を勉強しました。

最初の数カ月はスウェーデン語が全然わかりませんでした。

ルンドにいた時を含めて約3年、勉強していたつもりでしたが、自分が話せないということよりもまず「相手が何を言っているのか」が全くわかりませんでした。

例えば「理解する」という単語は知っていましたが、新聞では出てこないような「わかる」という言葉の意味がわからなかった。「わかる?」って聞かれてその意味がわからなくて、「たぶん『わかる?』って言ってるんだろうなあ」と思いながら、曖昧に笑い返したりしました。

「皆、私のこと迷惑だって思ってるんだろうなあ」と思いながら生活していました。

しかも内容が演劇なので、言葉がわからないと何かのワークを一つやるのにも一苦労でした。皆助けてくれたけど、私は申し訳なくて。


そんなある日(多分渡航してから2週間くらい)、いつものように授業終わりにその日の授業の感想を言う時間がありました。

演劇のクラスで最も大切にされていたのは、「参加すること」と「何か起きた時にお互いの思いを話し合うこと」でした。「参加する」というのは簡単に思えて難しく、私たちは何か問題が起きるとすぐに相手との関係性や集団との関係性を切って終わりにしようとします。このクラスではそういうことをなるべくしないで済むように、何か起きたら話し合って共有すること、と言われていました。そのため、授業の最後や1週間の最後に振り返りの時間が設けられていたのです。

その日の授業では即興で赤ずきんちゃんのパロディをやりました。そもそも赤ずきんちゃんをスウェーデン語で何というかも知らなかったのですが、詳しく説明されてやっと「ああ、赤ずきんちゃんのことなんだな」とわかりました。でも即興なんて私の語学力では無理で、結局言うことを決めてもらったりその場で教えてもらったりしてなんとかやりました。それが悔しかったんですね。

それで授業の感想を言う時に、私は「自分のスウェーデン語がダメすぎて、自分が赤ちゃんみたいに思える」と言いました。言いながら皆の前で泣きました。人前で素直に泣くなんて、大人になってからはほとんど初めてでした。

それまでは自分が努力すればなんとかなるという気持ちで頑張ってきて、実際なんとかなることも多かったし、何かあっても私は常に誰かをフォローする立場でした。人に頼る機会があまりなく、あっても頼れませんでした。でも言語はどうしようもなく、皆が当たり前のようにわかることがわからない。こんなに何もかもわからない自分を目の当りにするのも初めてでした。

(ルンドの時は英語でしたし、他の国の留学生も英語圏以外の国から来た人も多かったから、まだ平気でした)

その翌日から、まずクラスで一番面倒見の良いクラスメイトの反応が変わりました。先生が何かを説明し始めると私のところにやってきて、「so…」と英語に訳して私に説明し始めます。「え…同時通訳してくれるの?すごい」と思いながら私は説明を聞き、でも英語だとスウェーデン人の方がレベルが高すぎてかえって混乱することも多かったので、次第に簡単なスウェーデン語で説明してもらうという方法に落ち着きました。

他のクラスメイトの反応も変わってきて、それまでは腫物にさわるようにおっかなびっくり私に説明していたのが、だんだん積極的に説明してくれるようになりました。

すると半年経った頃からだんだん先生の説明がわかるようになってきて、1年の終わりごろには皆に説明してもらわなくてもだいたいのことはわかるようになってきました。もちろん高度な会話は全然ダメでしたが、なんとなく推測できるようにはなってきました。


言葉が不自由だったので、私はとにかく仕草や表情、ジェスチャーで伝えようとしていました。そのせいか、「アカネはパントマイムが上手い」と言われるようになり(実際自分では上手いとは全然思いませんが、その頃の私の存在意義はこれでした)、最初の公演の3人芝居を作った時には私は劇中で一言しか言葉を発しない役をやらせてもらいました。

演劇の授業では、演じるのも、内容を考えて台本を書くのも、演出も、衣装の準備も、大道具や小道具の準備も、全部自分たちでやりました。音楽や効果音の準備や照明の具合も自分で考えて、他のグループの子に指示してやってもらいます(クラスの12人をいくつかのグループに分けて公演をしたので)。先生は客観的なアドバイスをしてくれますが、基本的には全部自分たちの創造性と自主性に任せられていました。それが楽しかったです。

何かをする時、私たちが大切にしていたのは「自分がどう動くかを考えるよりもまず、まず相手のやっていることを見て相手の言っていること聞くこと」でした。それがsamarbete(協力、一緒にやること)でした。相手を見て、相手を聞けば、次に自分がどういう反応をとりたいのかが自然と導き出されるというものです。私たちがお芝居をするうえで重要だったのは、何を言うかや何をやるかよりも、「その反応や行動を通してどういう空気をその場に作り上げていきたいのか」でした。自分一人で行動するのではなく、相手と自分との間にある空気を一緒に作り上げていく。

私は演劇に関しては素人です。でもその作業はとてもおもしろく、演劇以外の場面でも大切になるような気付きを、たくさんくれました。

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