昨日思ったのですが、左手でキーを押す時も右手の力加減も、「優しくそっと」というのが大事なのではないかと感じています。
「何か大事なものに触れる」ような感じで、「押したり叩いたりする」のとは違う感じです。
私はたぶん普段強く押し過ぎているのと、もともと普通に弾くとそうなってしまうという方が圧倒的に多いのではないかと推測します。
また、「そっと」と言っても「おっかなびっくり」なそっとではなく、「確信を持ってそっと触れる」というイメージが良いのかなと思います。
確信(意図)を持って、優しくそっと着地するという感じです。
また、弓に関しても、色々な奏者の動画などを見ていて「弓を弦にあまり押し付けていない」のが見えます。(奏者にもよるかもしれませんが)
実際ニッケルハルパは、音を出したらもう弓に圧力をかけるのをやめるので、音が出た後は「いかに軽く弓をすーっと弾くか」が大切です。ここで圧力をかけてしまうと、「押している」音になり、一時的には音量が出ても響きを消してしまいます。これは左手の力加減もそうで、キーを押す力が強いとこれもまた響きを消すことに繋がります。
また、出だしで圧力をかける際も、圧力の大きさよりも自分の中での「タイミング」が結構重要だと思っていて、そのタイミングがバッチリ合うと響きを作ることができるという気がします。そしてこれもまた、左手のタイミングとも関係しているなと感じます。
さらにもう一点、スウェーデン民族音楽はダンスの曲でもあるので、音や小節で音楽が途切れるということが無く、ずっと続いています。それは単純に「音を切らない」という意味ではなく、気持ちの上で続いている感じで、気持ちが続いている人と続いていない人とでは演奏の雰囲気がかなり変わってきます。同じ音を弾いていても全然違います。これは本当に、誰が聴いてもわかるくらいに違います。
「それをどうしたら作れるだろう?」と前から考えてはいたのですが、最近やっているのが練習中に頭の中で適当な歌詞をつけることです。歌詞はなんでも良いですし、あまり固定しない方が良いとも思います。歌詞を適当につけてみると頭の中で歌う際に1音1音で途切れることが減り、「続く感じ」というのが掴める気がしています。掴めてきたら歌詞を外しても大丈夫です。
(できればフレーズ感(まとまり)を変えて毎回違う歌詞をつけてみると、自分が固定概念的に捉えていたフレーズの切れ目と切れ目がうまく繋がります。音は切れていても、気持ち的にはフレーズごとの仕切り直しを「しない」方が「ぽくなる」と思います。あと歌詞をつけると指が動かなくて弾けない箇所は、テンポをゆっくりにして要練習、という感じです)
以前私は「曲をドレミで考えてしまう癖があり、演奏中もそれをやりすぎると『ドレミ…』の語感の印象が強すぎて、音色がドレミの語感に左右される気がするから少し不自由だ」みたいなことを書きました。これは例えば柔らかく弾きたいのに、「レ」と思ってしまうと「レ」という語感の平べったいイメージが無意識にくっついてきて柔らかく弾けない、などです。適当な歌詞を固定せずにつけることで、この「ドレミ…」の呪縛からも解き放たれるような印象を受けました。ドレミではなく、もっと音の響きと身体の具合で音を捉えられるような感じです。
この方法が必ずしも良いのかどうかわかりませんが、自分の中の思い込み(無意識に音楽を途切れさせてしまう・ドレミの語感に左右されてしまう)をゆるめるのには良いかなと思っています。
話すように弾けると良いなと思っています。
今日の動画はこちらも以前ご紹介しましたが、昨日のThe Nordic Fiddlers Blocの「Adams Nightmare」です!やっぱりカッコいいです。昨日はゆっくりな曲でしたが、今日は「速い曲でも弓がこれだけ動いている」というのが見えるのが良いかなと思いました(動いていても、無駄な動きは無いです)。速い部分は弓を短く使うのが基本ですが、それだけをタカタカ…と始終やっているとなんかちょっと違っていて、やっぱり「ガッ」とか「スーッ」って感じとかが急に混ざってくるのが良いと思います。特にフィドルの弓の「キュイーン」って感じの動きはフィドル奏者が必ずやっていてとてもカッコいいなと思います(この動画はスウェーデンの曲ではありませんが基本は同じな気がします)。ちなみにニッケルハルパは常に「ヒュンッ」ですが、これもなかなかできないのです。たいていノロノロします。私もです。
277曲目は「Storsvarten」です!この曲は難しいので、ゆっくりめにしました。ゆっくりめにしようと決めていたおかげか、今日の動画もあまり緊張しませんでした。おそらく、「難しい曲」を自分のキャパ以上に「速く」弾こうとすると緊張するのだと思います。当たり前ですけれど。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!