私は最近、音楽は「体験」なのだな、と感じています。
今日はこのことについて、書きます。
上手くやることが大事だと思っていた
私は、以前は「自分がいかに良い演奏をするか」、「上手く弾くか」、「MCを含めた全体の進行をいかに上手くやるか」、ということに心をくだいていました。
つまり、演奏の技術的な上手さ、ミスがないこと、全体の進行がスムーズであること、などに非常に気を配っていました。
もちろん、それらに気を配ることはとても大切なことです。
しかし、もう1つ、気づいたことがありました。
音楽は体験だ、と気づいた
それは、「音楽は体験だ」ということです。
演奏を聴くことは、体験であり、目の前の方に向けて演奏をすることは、体験を提供することだと思いました。
「良い演奏をする」「上手くやる」と思っているだけだと、目的が漠然としていて、どこに向かって歩いているのかわからない感じがあります。
また、どこまでいっても自分には「足りない」と思ってしまうだろうし、目的が曖昧な分、本番を迎えるにあたり過剰に緊張したり、プレッシャーを感じるかもしれません。
良い演奏をすることだけが真の目的ではなく、それも含めて、「音楽(音楽を聴く時間)を体験してもらう」ことが、演奏の目的の1つなのだと思いました。
体験を通して何を感じるのかは、聴いている人次第
演奏という体験を通して、それを聴いていた人達が何を感じたのか・どう感じたのかというのは、それぞれの人によって違っているだろうと思います。
同じ演奏を聴いても、まったく同じ感想を抱く人はいません。
また、演奏者とお客さんとの間で感想が食い違うこともあります。たとえば演奏中にハプニングが起きて奏者は内心焦っていたとしても、聴いている側は「すごくいいな」と思っている、ということもあります。→コンサートを聴きに行って、一つ心に残った体験
「お客さんが何を感じるのか」は、体験を提供する側には完全にはコントロールできません。
(方向性くらいはコントロールできるかもしれませんが)
しかし、それでも提供する側にできることがあります。
それは、「何を体験してもらうか」「何を提供するか」を考え、それに向かって努力することです。
何を体験してもらうか、何を提供するか、具体的にイメージする
自分が相手に体験してもらいたいもの、自分が相手に提供したい体験について、具体的なイメージがわいているほど、提供する体験の一貫性と説得力が出る、と私は感じています。
演奏でいえば、ただ単に「楽器の技術」や「曲の弾き方」についてだけ考えるのではなく、
それらを含めた演奏全体を通じて、提供したい「体験」、過ごしてもらいたい「時間」の中身を考えます。
どんな体験をしてもらいたいかによって、曲のアレンジも変わってくるかもしれないし、それこそ「良い演奏」の「良い」の内容が変わるかもしれません。
自分が目指すものの基準がより明確になり、努力しやすくなります。
さらに、具体的なイメージがわいているほど、提供する側も自信を持って安心して取り組めるし、何か思いがけないことが起きても早めに軌道修正することができます。
「ミスがないこと」を目指すのではなく、「気づき」「発見」「喜び」「癒し」「感動」といった体験を提供することを目指します。
私自身の話
私自身、こういったことを意識するようになってからまだ日が浅いのですが、「体験を提供しよう」と思うことで、より「演奏に対する具体的なイメージ」や、「聴いてくださる方のイメージ」が湧きやすくなったと感じています。
こういうイメージを抱いて本番の準備をしていると、とても楽しい気持ちになります。
また、ブログのおかげもあるかもしれませんが、最近になってやっと「提供したいもの・体験してもらいたいもの」を少しずつ、シンプルな「言葉」でも表現できるようになってきたような気がします。
言葉の力は大きくて、言葉で表現できることによって、自分が伝えたいものがより明確になったり、より伝わりやすく、形になるように感じています。
私の例でいえば、スウェーデンの伝統音楽やニッケルハルパの魅力です。
これらを、日本語で、シンプルな言葉で表現できることで、聴いている人にとっても音楽がより身近に感じられたり、親しみやすくなるのではないかと思います。
良い演奏をしよう、上手くやろう、と考えるだけではなく、「それらを通してどんな体験を提供したいのか」、普段から意識して日々を過ごしていきたいです。
以上、「音楽は体験だと思う」ということについて、書きました。
ぜひ、参考にしていただけたら嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。