最近ご紹介している、「Halvbror til reven」(というノルウェーの昔のTV番組)の中で、スウェーデン人の伝統音楽の奏者たちが話している内容がとても印象的だったので、紹介したいと思います。
Kalle Almlöf, Lena Willemark, Björn Ståbiの会話
こちらの3名が登場している回です。すでに何度かリンクを貼っている回になります。
・「Svensk folkemusikk」Halvbror til reven, Season 3, Episode 11
この3名も、スウェーデンの伝統音楽界ではとても有名な方たちで、KalleとBjörnはフィドル奏者、Lenaは歌を歌っています(番組ではフィドルも弾いています)。
番組では、番組進行役のLeiv(ノルウェー人の奏者)が、この3人のもと(スウェーデンのダーラナ地方)へ訪ねていくかたちになっています。
KalleとLenaが雪の中釣りをしている場面など、ちょっと笑える(ほっこりする)場面がいくつかあって、その後に3人が演奏をし、インタビューに応えています。
そのインタビューの内容が印象的だったので、少し要約をしながら、4人の会話の流れがわかるような形で内容を紹介してみます。
(番組進行役のLeiv(ノルウェー人)の話していることも必要そうなので、載せています)
会話のシーンは8:45あたりから。画面向かって右から、Kalle、Lena、Björn、進行のLeivの順で座っています。
私の書き方がちょっとかなりわかりにくいかもしれないのですが(すみません)、内容はとても良いので、ぜひ辛抱強く読んでいただけたら、とても嬉しいです。
伝統音楽に関する4人の会話より
最初に進行役のLeivがノルウェーの伝統音楽とスウェーデンの伝統音楽について感じていることを話し、そこから4人の会話になっていきます。
Leiv:ここ(ダーラナ地方、スウェーデン)はノルウェーからそんなに離れていないけど、伝統音楽としては、ノルウェーとスウェーデンではかなり違うように感じる。
たとえば、ノルウェーではコンテストなどがよくあり、それに向けての演奏という面があるが、スウェーデンはかなり人によって違うというか、幅広い(ばらけている)。
ノルウェーでは、「演奏のルール(この曲はこういうボーイングで弾くべきだ、のような)」について話す人や奏者が多いと自分は感じている。コンテストなどの影響かもしれないけど。
Kalle:スウェーデンにも昔はコンテスト(競争)があったけど、消えていった。
Lena:ノルウェーはソリストが多いけど、スウェーデンでは誰かと一緒に弾くことが多いからでは?
Björn:スウェーデンの伝統音楽にも「ルール」はある。けれど、そのルールの範囲の中でかなり色々なことができる。
それはたいてい小さな変化で、革命的な大きなものではないけれど、あちらこちらを少しアレンジしてみたり、ちょっと音を短くしてみたり。曲のキー(音階、tonart)とリズム、その両面で変えることができる。
これは言語(話し言葉)と同じ。同じ話をする時でも、全く同じように(全く同じ声色やリズムで)話すことは無いから。演奏も同じ。
Kalle:人が伝統について話す時、「今まで(過去に)どうであったか」だけを「伝統」と捉えていると、「今、どうであるか」を受け入れられずに、「自分たちは伝統には含まれていない」と考えてしまう。
これは、伝統音楽を学ぼうとしている人たちや、これから始めようとしている人たちもそう。彼らは「私は今はまだspelman(伝統音楽の奏者)とは言えないないんだけど、”これから”なりたいと思います」と言う。
でも、今の段階でもう含まれているんだ。今その人がどれくらい上手いか下手かは関係なく、「全員が伝統に含まれている(含まれるはずだ)」と私は思う。
Leiv:あなた(Kalle)は先生でもあるから、若い人たちや、これから(伝統音楽やフィドルを)始めようとしている人たちに何と声をかけるのですか?(LeivがKalleに訊ねる)
Kalle:(生徒には)若い人も年配の人もいるけれど、(spelmanであることに)特別な権利(特権)は存在しない。皆それぞれ違う人たちなので。
たとえば私の場合、「(伝統音楽とは)こういうものだ」と生徒に対して言いきるのは簡単だし、それを聞いた生徒たちはきっと満足するだろう。でもそうすると、生徒たちはそれ(先生が言ったこと)にとらわれるようになる。
大事なのは、(生徒自身の)こう弾きたいという気持ち(lust=欲)であり、それに対してオープンでいること。誰かが「こう弾け」と言ったからそう弾く、というのではない。
「こうしなければいけない/こうしなさい」と言ってしまったら、彼らはただ座ってそれにとらわれているだけで、他のこと(手を加えること、自由にやること)ができなくなってしまう。
Lena:恐怖(rädslan)が入ってきてしまうよね。
これは人間相手のことで、その音楽家自身の音楽人生の中で、何が起きているかの話だと私は思う。繊細な話だけど。
私自身は、「子どものような気持ち(子どもが何かをやりたいと思う気持ち)」を感じている。「子どもみたいな欲(子どもっぽい欲、barnslig lust)」を持っているし、そのことをとても嬉しく思っている。皆そうなんじゃないかと思うけど。
Kalle:「やっちゃいけない」ことをやるのが一番おもしろいからね。
Lena:やりたい気持ち/欲(lusten)なんだよね。
Björn:すべての芸術は「今」なんだ。たとえば絵画にしても、その絵画を見て、「今」がそこに存在していないといけない。その絵画が100年前に描かれたものである、とかそういったことは関係ない。
音楽も同じ。「古い音楽」も無ければ、「新しい音楽」も無い。ただ、「今」の音楽があるだけ。
Leiv:たとえばHedningarna(伝統音楽を扱った、革新的なバンド)は、伝統音楽と言える?
3人:もちろん。めちゃ良いじゃん。むしろ伝統音楽って言えないの?そこに境界線を引くの?(Björn, Lena, Kalleの3人ともに笑いながら言う)
Lena:今は、こんなにたくさんの様々な「色」が伝統音楽に存在している(=色々なタイプのミュージシャンがいる)。それがとても良いことだと思う。
Leiv:(番組後半に出てくる)Daniel Sandén-WargやMagnus Stinnerbom(のような若い奏者たち)もまたルールに縛られずに、自身の道を見つけているように思うが、どうか?(→ここちょっとよく聞き取れなかったのですが)
Kalle:彼らもまた、伝統とともに音楽をやってきたから、伝統に対する安心感(säkerhet=確かであること、確かだと感じられる気持ち)を持っているんだ。
だから、他のこと(伝統から一歩踏み出すようなこと)にトライできる(トライする勇気が出る)し、自分自身でいられるんだ。
会話はここまでです。この後、DanielとMagnusの演奏の場面になります。
要約と言いながらほぼ全体を訳してしまいました。
伝統音楽に対する考え方も人それぞれで、私はこの3人の考え方がすごく好きで、「そう言ってもらえると安心するな~、自由になれるな~」という感じなのですが、
「もっとこうやって弾くべきだ」と眉をしかめて周りに口酸っぱく言うタイプの人も全然いますし、新しい音楽に対して境界線を引いて「あれは伝統では無い」という人もスウェーデンにも全然います。そういう人たちも、いて全然良いと思っています。
特に、Kalleの言う「皆すでに含まれている」という考え方がとても好きです。この言葉が自分のバリアになって、挑戦する際にも安心感をくれるような気がします。
この3人はかなり活躍しているし、きっと若い方たち(若い奏者/ミュージシャンたち)とふれあう機会も多いのだろうと思うので、それでこういう柔軟な(器の大きい)考え方を持てているんだろうなと思います。
ノルウェーの伝統音楽事情も私は全然知らないので、会話を聞いていて「へえ、そうなんだ」と思いました。Leivの言っていることが全てではないかもですが。
ちなみに、私は最初ノルウェー語が全然わからなかったのですが、番組を何回か見ていたら(スウェーデン人の返答などから)なんとなく言っていることがわかるようになってきたような気がします。気のせいかもしれませんが。やっぱりノルウェー語はスウェーデン語と似ていますね。
この3人の言葉が、誰かの心をあたためるかもしれないと思ったので、ご紹介しました。
少なくとも私の心はとてもあたたまりました。
自由に楽しく、伝統音楽をやっていきたいです。