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「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳③

/ ニッケルハルパ奏者

「Bingsjölåtar i Uppland」の和訳③です。

①と②はこちら↓

「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳①

「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳②

動画

前回の続き(30:28~)からの再生です。

(30:28~)

(Robert):ある時Viksta-Lasseは(Hjort Andersから)宿題の曲をもらい――というか、彼は「毎回」宿題の曲があったわけですが――宿題をもらったある時、Viksta-Lasseは自宅へ帰る途中、おじさん(父の兄弟)にたまたま会い、(おじさんの家で)お酒の席に招かれました。

「このお酒は酔わないから君でも飲めるよ」と言われてお酒を飲みました。

その後、自宅に帰ったLasseは、教わった曲(練習するはずの宿題の曲)を覚えていないことに気がつきます。

それでも何度も何度も練習しているうちに、徐々に曲をよく思い出してきました。

Hjort Andersのところへ再び行った時に、その宿題の曲を弾ききったのですが、そこでHjort Andersは言いました。

「その曲は今までに一度も聴いたことがない」と。

(笑いが起きる)

このようにして、Viksta-Lasseは「Eklundapolska nr. 2」(エークルンダポルスカ2番)を作りました。

(笑いが起きる)

⑦(31:07~)「Eklundapolska nr. 2」 av Viksta-Lasse(「エークルンダポルスカ2番」Viksta-Lasse作曲)

(34:10)

(Robert):次はHjort Anders自身が作った曲を演奏したいと思います。

1916年のペンテコステの前夜(Pingstsafton※5~6月頃のお祝いらしい。1916年の場合は6月10日だそう)、彼はÅltomtabro(オールトムタブロー※地名)で行われた結婚式で演奏することになっていました。

それでこの行進曲(marsch)ができたのです。

⑧(34:31~)「Åltomtabromarchen」 av Hjort Anders(「オールトムタブローマルシェン」Hjort Anders作曲)

(37:43~)

(Örjan):Hjort Anders OlssonはOle Hjorthの師匠でもあった、と言われています。彼らがここで演奏していたのもそう昔のことではありません。

それからViksta-LasseやNils Agenmark(ニルス・アーゲンマルク)の師匠でもありました。Nils AgenmarkはHjort Andersの孫です。

Oleがよくこの話をしてくれたのですが、Hjort Andersはたまに(Oleに教えた後などに/夜が遅くなった時などに)この建物の上の階の部屋(居住部分)に泊まっていたそうです。

それで、Oleが上の階で楽器を練習したり曲を覚えようとした時に、Hjort Andersは――彼は当時80歳を越えていたと思うのですが、彼は早い時間に床についていて――まあそれは私たち50歳でもやっていることですが――(笑いが起きる)。

(Erika):あそこに絵があります。

(Örjan):そうですね、あそこにOle(左)とHjort Anders(真ん中)とBror(右)が描かれています(※38:27の絵)。

そして話に戻りますが、その時Oleは「本当に覚えたい曲」があったそうなんです。

それで彼(Ole)は――Hjort Andersはもちろんその時もう寝ていたので――Oleは録音を取り出して、確かその曲は「Rullpolskan」だったと思いますが、その録音を何度も再生して聴いていたそうです。

するとちょうど(録音の)曲が終わった時に、誰かが階段を上がってくる音がしました。

Hjort Andersがドアを開け顔を出し、

「ようやくできるようになったね」とかなんとかそういうことを言ったそうです。

(笑いが起きる)

そこでOleはこう言いました。

「今のはあなたの録音の演奏です」と。(笑いが起きる)

Hjort Andersはそれでも満足したそうですが。

彼は常にベスト(な先生)でありたかったのかなと思います(※←生徒にとって良いことをしたかった、良い先生でありたかった、みたいな意味だと思います)。

おもしろいエピソードです。

続いては、「A-moll polska」(Aマイナーのポルスカ)です。これもBingsjöのポルスカですね。(Bingsjöのポルスカは)美しい曲たちです。

⑨(39:18~)A-moll polska(Aマイナーのポルスカ)

※途中で一瞬音声と映像が飛びます。

(42:18~)

(Erika):ありがとうございます。

息が切れて汗をかきます。

でも(こういう曲を演奏するのは)おもしろいです。

(Örjan):皆さんは別にそう感じないと思いますが。私たちだけですね。(※演奏している人だけが息切れして汗をかいている)

(笑いが起きる)

(Erika):そうですね。

Viksta-LasseとHjort Anders、彼らは何度かHedesunda(ヘーデスンダ※地名)に住んでいる演奏家のところへ行っていました。

その演奏家はMenlösen(メーンルース/メーンレース)と呼ばれていました。名前はPer Persson Menlös(ペール・ペーション・メーンルース)と言います。

彼は、本当に素晴らしい奏者でした。彼ら(Viksta-LasseやHjort Anders)が教わりたくなるような、とってもたくさんの曲を弾くことができました。

ただし、いくつかの曲に関しては、見返りとしての報酬もまた高かったのです。

それらの曲を教わるには、Menlösを満足させるためにお酒(brännvin)とお金、その両方が必要でした。

そして、そういった曲の1つが、「Systerpolska」(システルポルスカ)です。

Systerpolskaというのは、多くの場合、その曲とセットになるような似ている曲がもう1つある曲、それをSysterpolskaと呼んでいます。

(※Systerという単語自体は「姉妹」の意味)

しかしViksta-Lasseはこの曲に関して、こう教えてくれました。

「君たち、この曲はMenlösが作った曲で、Rättvik(レットヴィーク※地名)でこれから結婚する姉妹がいたから、その2人に1曲ずつあげたんだそうだよ」と。

(笑いが起きる)

(※セットになっている曲・曲が似ているもの同士を「Systerpolska」というのが一般的だが、この曲の場合は「本当に姉妹にあげた曲」だから、笑っている)

そのうちの1つを演奏します。

⑩(43:25~)Systerpolska av/efter Per Persson Menlös(Per Persson Menlös作曲/伝承のシステルポルスカ)

(※ErikaのViksta-Lasseの話だと「この曲はMenlösが作った」と言っていると思うのですが、よくわからないので「作曲/伝承」にしておきます)


以上、「Bingsjölåtar i Uppland」の和訳③でした。

別のCDなどで聴いている曲がちょくちょく出てきて、「へえ~」と思います。

弾く人によって曲の印象は変わるので、聴いたことのある曲を別の演奏家のバージョンで聴くと、曲がより自分に入ってきやすくなると思います。

そういう意味でも、色々なコンサートや音源を聴くことは大切だと感じています。

お読みいただき、ありがとうございました。