フィドル奏者のBosse Larsson(ボッセ・ラーション)の追悼コンサートが2022年11月に開かれました。
今回からは、そのコンサートの様子を和訳していきたいと思います。
Bosse Larsson(ボッセ・ラーション)
Bosse Larsson(1941-2022)はウップランド地方のフィドル奏者です。
向かって左側の眼鏡をかけていない方がBosseです↓
彼は、Viksta-Lasseという有名なフィドル奏者の甥にあたる人です。
Viksta-Lasseに限らず、ウップランド地方の様々な昔の奏者たちとともに演奏し、彼らの伝統を受け継ぎ、伝えてきた人の一人になります。
Bosseのお父さんはViksta-Lasseの弟のSven Larssonです。Viksta-LasseとSvenはこちらの二人です↓左がSven、右がViksta-Lasse。CD「Rullstråk & Tungbas」より。
また、そのBosseの息子さんが、前回の和訳の記事で出てきたフィドル奏者Robert Larsson(ローベルト・ラーション)です。
以前の和訳でもBosseの話題がよく出てきていました。
前回の和訳→「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳①
それより前にもBosseの話題が出てきた和訳記事→「Maskin」のコンサート日本語訳②、「Maskin」のコンサート日本語訳④
Robertだけでなく、Bosseは現代のウップランド地方の奏者たち(フィドル・ニッケルハルパなど)にたくさんの影響を与えてきました。
そんなBosseが昨年(2022年)亡くなったそうで、追悼コンサートが開かれました。
場所は、おそらくBosseの住んでいた地域の教会で、Björklinge (ビョルクリンゲ)の教会です。この教会は「Gås-Anders(ゴース・アンダーシュという昔の演奏家)の銅像がある」とよく記事で書いている教会になります。
今回からはその追悼コンサートの和訳をしていきたいと思います。
コンサートでは様々な演奏家たちが、Bosseとの思い出などを語りながら、2曲ずつ演奏する形式になっています。色々な演奏家の演奏が聴けるので、とてもおもしろいです。
また、今回も私が勝手に和訳をしているだけなので、聞き取れなかったり、間違えてしまうところもあるかもしれません。すみません。
コンサートを楽しむ際の参考程度に、ゆるくご覧いただけましたら幸いです。
※は私の注釈です。
動画
2022年11月12日(土)16:00~行われたコンサートです。
【Bosseの息子、Robert(ローベルト)による最初の挨拶】
皆さん、こんにちは(こんばんは)。
ようこそ、おいでくださいました。本当にようこそ。演奏家の皆さまも、そして聴きにいらしてくださった皆さまも。
こんなにたくさんの方にお越しいただき、とても嬉しいです。
私はちょっとカンニングペーパーを用意しました。父についてお話ししたいと思います。
私たちはBosseの友達として今夜ここに集まりました。
Riksspelman(リークス・シュペールマン※国から認められた演奏家の称号)である、Bosse Larssonをたたえるために。
父がフィドルを始めたのは、“小さな学校”で、でした。
もしくは父が言うところの“Viksta University”です。(笑いが起きる)
(※Viksta-Lasseに教わることを、冗談で「Viksta大学」と呼んでいた)
でも4声(4stämmigt※4つのハーモニー)で弾く時にはBosseは楽器を置いていたそうです。なぜなら、とてもひどく聞こえたから。
Bosseの父、Svenはハーモニカを演奏していて、兄(Svenの兄)のViksta-Lasseの髪も切っていました。
髪を切る時は、フィドルも一緒だった(※Viksta-Lasseが持ってきていた)ので、彼らはよく一緒に演奏をしました。(※Svenハーモニカ+Lasseフィドル)
つまり、Bosseの小さい頃から、音楽はそこにあったのです。
ある時、そこには演奏家Johan Olsson(ヨーワン・オールソン)もいました。
彼は牛の鳴き声をフィドルで真似しました。
父と父の兄弟姉妹はそれに感銘を受けたそうです。(笑いが起きる)
(※スウェーデン語だと「兄弟/姉妹」を言う時に、「兄」とか「姉」という言い方をせず、「兄弟」「姉妹」「兄弟姉妹」とひとくくりに言います)
基礎教育(lumpen※おそらく兵役の基礎教育)の後、父はフィドルの演奏を始めました。
Hermanssons Musik(※おそらく楽器店の名前)でフィドルを購入し、伯父Viksta-Lasseのもとへと車を走らせました。演奏を学ぶために。
まず最初に、Lasseは父にどんな曲が弾けるかを訊ねました。
父は「Brännvinslåten(ブレンヴィーンス・ローテン)」と答えました。(笑いが起きる)
(※Brännvinslåtはお酒(brännvin)が振舞われる時に演奏されていた曲)
LasseはD-dur(Dメジャー)で(その曲を)弾き始めましたが、父が習ったのはC-dur(Cメジャー)でしたので、父は固まってしまったそうです。
Viksta-Lasseは教会で20年間演奏していました。(※○○教会と言っている気がします。後でわかれば修正します)
父とその兄弟Jörgen(ヨルゲン)は、そこでのLasseの演奏をカセットテープで録音していました。
しかしカセットテープは高価だったので、毎回曲の後には録音を止めていたそうです。
つまり、曲の「エピソード※」は録音していなかったのです。
父はこのことを後悔していました。
(※曲と曲の間に話されていた、曲に関するエピソード、曲紹介)
父は、その職業人生においては、大部分をNyby såg(※製材所の名前)で、整備士(修理工)として働いていました。
そこにはフィドルを壁にかけるスペースがあったので、毎回朝食の後の休憩時間に、少しフィドルを弾いていたそうです。
私が小さい頃に家族で住んでいた家は、Ålidsvägen 42(※住所)にありましたが、そこには幅広い年代のたくさんの演奏家たちがよくやってきました。
一週間のうち、幾夜も音楽が演奏されていました。
そういった環境で育つのは(子どもだった私にとって)素晴らしいことでした。
2017年、父はZorn(※という有名なコンテスト)のゴールドのメダル※を授かりました。
皆さま、今夜はどうぞお楽しみください。
あらためまして、皆さま、ようこそ。
(拍手)
(※Bosseは国から認められた演奏家の称号Riksspelmanの肩書を持っていますが、これはコンテストでシルバー以上のメダルをもらった人におくられる称号です。そしてそのRiksspelman(シルバーをもらった人)の中でも特に素晴らしい人は、ゴールドのメダル(称号)を授かります)
(ここで、Swishという振込によるコンサートの寄付の案内と、Viksta-Lasse&SvenのCD「Rullstråk & Tungbas」の販売の案内がされる。※ここだけ訳は割愛します)
では、ここで全員で演奏したいと思います。
Lasseと父がいつも最初に弾いていた曲、「Vendelpolskan(ヴェンデルポルスカン)」です。
もう一度になりますが、皆さま、本当にようこそ。
①(3:39~)全員演奏:「Vendelpolskan」 av Viksta-Lasse(「ヴェンデルポルスカン」Viksta-Lasse作曲)
(つづく)
続きはまた明日書きます。
最初の挨拶からして訳すのが結構難しいというか、調べることがたくさんあって、時間がかかるのと、合っているかどうかな…という感じです。
このコンサートは色々な人がそれぞれお話をするので、私が聴き慣れている人や地域の話はわりとスッと聴けるのですが(Robertはまだ聴き慣れている方だと思います)、ウップランド以外の地方の人の話は方言が少し聴きづらくて、難しそうだな~と思います。
できる範囲で、ニュアンスだけでもくみ取っていきたいと思います。
コンサート自体はすごく特別なものですし、こんな風に色々な人達の演奏をBosseのエピソードを中心として聴くことができるのは、とても贅沢なことだと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。