Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑦です。
前回までのものはこちら↓
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑤
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑥
動画
前回の続き(44:36~)からの再生です。
前回はÖrjan Englund(ウリヤン・エングルンド)とGunnel Viking(グンネル・ヴィーキング)の演奏でした。
(Bengt):続いてもデュオの演奏です。
こちらのデュオにもÖrjanがいますが、さきほどのÖrjan Englundではなくて、今度はÖrjan Berglund(ウリヤン・ベルイルンド)です。
Örjan Berglundは父親のRagnar Berglund(ラグナル・ベルイルンド)と演奏します。
どうぞ。
(※Örjanはキーボードの人、Ragnarがニッケルハルパのおじさんです。本当はこの二人ではなくて、RagnarがSven Anderssonという人と一緒に演奏する予定だったようなのですが、Svenが来られなくなったのでRagnarの息子さんのÖrjanがヘルプで来たみたいです)
(Ragnar):かなり昔になりますが、1969年のことです。
ある青年が私に電話をしてきました。
彼の名前はBosse Larsson。
彼は私に「一緒に演奏しないか」と訊いてきました。
彼は当時、Barbro(バルブロ※Bosseの妻)と、von Bahrska häcken(※地名(並木道の名前))の近くに住んでいました。
私はフィドルを持って、そこまで行きました。
その時私はフィドルにちょっと挑戦してみようと思っていたんです。
なぜなら私の母が、ウプサラのAuktionskammaren(※オークション会場)で手に入れたあらゆる楽器を持ち帰ってきたので。
私はフィドルに挑戦しました。あまり上手くはありませんでしたが、とにかくやってみたんです。
そこで、フィドルを持ってBosseの家へ行き、毎回行く度に、Bingsjö(ビングフェー※地名)の伝統曲を教わることにしていました。
そこで、私は2つの良いことを教わりました。
1つは、私がその時考えていたことで「どうしたら、『美しく弾けているかどうか』が自分でわかるのだろうか?」ということ。私にはわかりませんでしたから。
Bosseは言いました。
「それはあまり気にしなくていい。もしもあなた自身が『よく弾けた』と思ったなら、周りがその解釈に合わせるべきなんだ」と。
(笑いが起きる)
それから、彼はまた別のさらに良いことを教えてくれました。
「もしも誰か他の人間について言及する時、『良いこと』が思いつかないなら、ただ黙ればよろしい」
(笑いが起きる)
これに関しては、私はできない時も多いのですが、一応やろうと思ってはいますよ(笑)。
そしてBosseと私はずっと一緒に演奏してきました、人生においてずっと、と言ってもいいかもしれません。
様々な局面で。
私は1970年代にGammaldans orkester(※バンドだと思います)をやっていたのですが、メンバーはBosse、私、ギターのGöran Holmström(ヨーラン・ホルムストルム)と、Hasse Gille(ハッセ・イッレ)、Hasse Gilleはベースを演奏するのが得意だったのでベースを演奏していました。
そしてもう1人、Björklinge(ビョルクリンゲ※地名)出身のとてつもなく素晴らしいアコーディオン奏者もバンドの一員でした。彼の名前はBjörn Gustavson(ビョーン・グスタヴソン)。彼は素晴らしかったです。
私の家にはソファがあり、よくそこで休憩するのですが、そこ(の壁)に(たくさんの)写真がかけられているのです。
(※ここで何を言っているのか1文聞き取れないのですが、どうやら友達や仲間の写真がたくさん飾られているようです)
でも、1人、また1人、また1人とどんどんいなくなっていく(亡くなっていく)んですね。
最後に亡くなったのはBosseです。
今はもう、私一人だけが残ってしまいました。
きっともうすぐ私が眠る番になるでしょう。
あまり楽しみではないですけどね。
(※ここはしんみりする場面なのかと思いましたが、後ろに映る演奏家たち(Olovとか)が笑っているので、「あ、笑っていいんだな」と思いました)
さて、私たちは1920年代にノルウェーに行きました。
Brekken spelmanslag(※地域の演奏サークル、バンド)に招かれたのです。
演奏のあったある日のこと、私たちは年齢について話しました。
そこで知ったのですが、実はちょうどその日、Bosseは50歳になったところでした。
私たちは知らなかったので何も(お祝いの)準備はしていませんでした。
私は自宅に帰ってきてから、ノルウェーにいた時から頭の中にあった音を集めて曲を作りました。
100小節の曲ができあがりました。
こう考えたのです。「Bosseは50歳になったのだから50小節を、そしてBarbroにも50小節だ」と。
(※Barbroの誕生日はBosseと近く、二人とも同い年なので。50+50で100)
そのようにして、このおかしな曲ができあがりました。
タイトルは「Hem ifrån Norge(ノルウェーからの家路)」です。
⑩(48:29~)RagnarとÖrjan(Berglund)の演奏:「Hem ifrån Norge」 av Ragnar Berglund(ノルウェーからの家路、ラグナル・ベルイルンド作曲)
(Bengt):これは私たちは運が良かったと言えるのではないでしょうか、今のは100小節よりも少し多めに聴けましたね。
今回限りの、Bosseのためのスペシャルバージョンでした。
(※途中でつまって弾きなおしたのをフォローしている)
そして、次もニッケルハルパの演奏が続きます。
(続きはまた明日)
参考:von Bahrska häckenーWikipedia(スウェーデン語)のページ
演奏中の、後ろの皆さんの視線がほがらかで和みました。
音が複雑そうなので、弾くのは難しそうな曲でしたが、とてもかわいらしい曲でした。
途中のバンドの話で出てきたHasse Gille(ハッセ・イッレ)はニッケルハルパ奏者(製作もしていた人)ですが、話の中ではベーシストとして出てきているし、コルネットでジャズもやっていたと聞きます。
明日の演奏もお楽しみに。
お読みいただき、ありがとうございました。