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Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑧

/ ニッケルハルパ奏者

Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑧です。

①~⑦はこちら↓

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑤

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑥

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑦

動画

前回の続きからの再生です。

前回はRagnar BerglundとÖrjan Berglundの演奏でした。今回はOlov Johanssonの演奏です。

(Bengt):そして、次もニッケルハルパの演奏が続きます。

次はOlov Johansson(オーロヴ・ヨワンソン)の演奏です。

…となると、おそらくこのマイクの高さを上げる必要があるでしょうね(笑)

おそらくこのくらいでしょうか…。

(※Olovは身長が高いため)

(Olov):ちょっと(マイクを)下げますね。

私もÖrjan(Englund※和訳⑥の演奏家)に同意します。

こちらに来させていただいて、ここにいらっしゃる皆さん全員がお持ちの思い出と音楽、Bosse Larssonに関わるものをシェアできるのはとても素晴らしいことです。

Bosseは素敵な演奏家でした。

私自身、お会いして一緒に演奏するのが素晴らしい経験になりました。

私はこちらのBjörklinge(ビョルクリンゲ※このコンサートが行われている教会の地名)にときどきやってきて、BosseとBarbroのもとを訪れました。楽器を弾き、Fika(フィーカ※コーヒーを飲んだり話したりすること)をしました。いつも楽しかったです。


さて、これまでのところ(このコンサートで)この話をした人はいなかったので、私はこの話をしたいと思います。

私はニッケルハルパを演奏しています。

まあフィドルも演奏していますが、(それでもニッケルハルパを演奏しているので)常にこの「愛に満ちた喜び溢れる争い」の中にいます。

「最も素晴らしい楽器は、(ニッケルハルパとフィドルの)どちらなのか」という争いの中に。

Bosseにとってはこの答えは明らかでした。

彼は「フィドルはニッケルハルパよりもずっと素晴らしい楽器だ」と考えていました。

Bosse自身も実はニッケルハルパを持っていたのですが、そのニッケルハルパは壁にネジで留めてあって、ふた(表板)が開くようになっていました。

それはバーキャビネットになっていました。

(笑いが起きる)

(※バーキャビネット…お酒の瓶やグラスなどを収納する棚)

また、Bosseがハガキを送ってくれたことがあります。

春頃のことでした。

そこにはこう書かれていました。

「もうすぐニッケルハルパの日だね、4月30日」(笑いが起きる)

(※4月30日はスウェーデンでは「Valborg(ヴァルボリ)」というお祭りがあり、たき火をたいて歌を歌ってお祭りします。参考→Wikipedia「ヴァルプルギスの夜」(日本語)

そしてそのハガキには絵も描かれていました。

Åkerbypojkarna(オーケルビーポイカナ※オーケルビーに住んでいる演奏家たち)が、いくつものニッケルハルパに火を点けようとしているところでした。(※Varborgのたき火として)

(笑いが起きる)

そしてそのかたわらに、Bosse自身が描かれ、とても満足そうにフィドルを演奏していました。

また、(そのハガキの絵は)クリスマスカードとしても有効でした。

(※クリスマスには暖炉に火を灯すから、「たき火の絵はクリスマスにも使える」という意味だと思います)

そこにはこう書かれていました。

「あとたったの6カ月!メリー・クリスマス」

(笑いが起きる)

(※↑おそらくBosseが6月頃にクリスマスカードを送ってきて(絵柄はニッケルハルパが燃やされるもの)、「もうすぐクリスマス、あとたったの6カ月!」と書いていておもしろかった、という意味かな、と思いました)

Cajsa(カイサ※和訳③和訳④のCajsa)が言った通り、彼はとてもユーモアがあっておもしろくて、彼と会って一緒に演奏するたびに、あたりが笑い声で満ちていました。

では、Bosseに教わったポルスカを演奏します。

この曲はPer Persson Menlös(ペール・ペーション・メーンルース※Hedesunda出身の昔の演奏家)が伝えた曲だと言われています。

Viksta-Lasse(ヴィークスタ・ラッセ)が1909年にSpelmanstävling(演奏家のコンテスト)に参加した時、特別な課題を与えられました。(※Viksta-LasseはHjort Andersとこの日出会い、課題を与えられた)

それは、「Hedesunda(ヘーデスンダ※地名)出身の、昔ながらの本物の演奏家であるPer Persson Menlösの演奏を真似し、よく聴き、勉強すること」です。

Hjort Anders(ヨット・アンダーシュ※Viksta-Lasseの先生で演奏家)もまたHedesundaの彼のもとへ行き、彼のもとを訪ねていました。電車で何度も訪れては、曲を教わっていたそうです。

今から演奏する曲は、Bosseが弾いてくれたものです。

私はこの曲を初めて聴いた時、「素晴らしい」と思い、「この曲を教わりたい」と感じたのです。

※途中で出てきた「Åkerbypojkarna」はTorbjörnが別のコンサートで話していたので、そちらのリンクも貼っておきます(記事の最後の方に出てきます)→「Torbjörn Näsbom & Josefina Paulson」のコンサートの日本語訳⑥

⑪(54:28~)Olovの演奏1:Polska efter Per Persson Menlös(Per Persson Menlös伝承のポルスカ)

※この曲は別の動画でErikaがSysterpolskaと紹介していた曲と同じものです。その時の動画が入っている記事はこちら→「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳③

また、Olov自身のソロアルバムにも「Skållat troll」の名前で収録されています。

(56:38~)

(Olov):ありがとうございます。

続いて、Bosseと会った時にほぼ毎回、一緒に弾いていたポルスカを演奏します。

私たちはこの曲をほとんど同時期に練習していた(習得しようとしていた)んです。

Östervåla(ウステルヴォーラ※地名)のOlov Jansson(オーロブ・ヤンソン※昔の演奏家)が演奏しているのを聴いてから。

そして、最後のパートを覚えてから、どうやって楽器を響かせたらいいのか、最後のパートでどんなボーイングをしたらいいのかを二人して一緒に考えながら練習したのを思い出します。

とにかくOlle(Olov Jansson)のような演奏ができるよう、チャレンジしましたよ。

ポルスカで、曲名は「Fyllhickan på Ockerbokrog(オッケルボーのバーでの、酔っぱらいのしゃっくり)」です。

(笑いが起きる)

⑫(57:21~)Olovの演奏2:「Fyllhickan på Ockerbokrog(オッケルボーのバーでの、酔っぱらいのしゃっくり)」

※この曲名は完全に私の耳と勘で書いているので、参考程度にしていただければと思います。

fyllは酔うとか酔っぱらうなどの意味(現代ではfullが使われることが多い)、hickanはしゃっくり、påは英語の“on”、Ockerboは地名、krogはバー(お酒を出すレストラン)を指します。

(1:00:17~)

(Bengt):Olov、ありがとうございました。

そしてニッケルハルパとフィドル間の永遠の争いを話にとりあげてくださって、本当にありがとうございます。

個人的には、ウップランド地方北部の音楽の特徴的な部分というのは、「ニッケルハルパとフィドルの両方が一緒に存在していること」にあると思っています。

それが特別な響きを生み出しているかな、と。

時代をさかのぼって考えてみても、Viksta-Lasseと彼のよき演奏仲間であるEric Sahlström(エリック・サールストルム※ニッケルハルパ奏者)ですね。この、フィドルとニッケルハルパが共存していることが素晴らしいのではないかと思います。

(続きは明日)


Bengtの話(Viksta-Lasseに関する話)がもう少し続くのですが、長くなってしまうので明日にします。

最近和訳の記事でフィドルの演奏が続いていたので、ニッケルハルパが出てくるとやっぱり私的には「ああ、こうやって音を出すのか…」と(すでに見ている演奏家の演奏でも)あらためてインスピレーションがわきます。

ちなみに、ヴァルボリ(スウェーデンの春のお祭り)の話が出てきたのでちょっと書きます。

このイベントは特に、大学街である「ルンド」と「ウプサラ」のヴァルボリが有名だと思います。

私はたまたま両方の街に留学していました(ウプサラの方はウプサラ郊外のToboでしたが)。

どちらの街でも大きなたき火は見られましたが、ルンドのヴァルボリは「学生たちが広い公園に集まり、昼間っからお酒を飲みまくる、酔っ払いのためのイベント(駅近のカフェはトイレを借りに来る学生であふれる)」というイメージだったのに対し、

ウプサラのヴァルボリは「大学の男性合唱団が大学の建物前で合唱をして、街のあちこちでも伝統音楽や音楽関係のイベントが大学関係の建物で開かれる(ただし酔っ払いもいるけど)」など、家族や、しらふの友人同士でも楽しめるような、「伝統行事っぽい」イベントでした。

街が違うと祝い方も全然違うんだな、と思いました。

ルンドにいた時はヴァルボリは「酔っぱらうだけのしょうもないイベント(すみません)」くらいに勝手に思っていましたが、ウプサラに行ってから、「ヴァルボリって、ちゃんとしたお祭りだったんだ…」と思いました。

そしてその時にウプサラの男性合唱団の中で歌っていた日本人の方が、巣鴨のレソノサウンドのニッケルハルパ体験教室に来てくださったこともありました。(体験教室で話をしていたらお互いの留学時期がかぶっていたことに気づき、ヴァルボリの話になり、当時私が撮った写真を一緒に見返したらその方が合唱団の中に写っていた)

明日の和訳もお楽しみに。

お読みいただき、ありがとうございました。