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Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑨

/ ニッケルハルパ奏者

Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑨です。

前回までのものはこちら↓

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑤

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑥

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑦

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑧

動画

前回の続きから(1:00:52~)の再生です。

前回はOlov Johanssonの演奏、今回はDittte Andersson(フィドル)の演奏です。

(Bengt):私たちは「Viksta-Lasseが曲について話をしている間も、録音しておけば良かった」という話、Bosseが録音しなかったことを後悔しているという話をこれまでたくさんしてきましたが、正直なところ、どうでしょうね。

録音したところでもしかしたらあまり役に立たなかったかもしれない、とも思います。

Viksta-LasseがEric Sahlströmとコンサートで演奏した時の録音が残っていますが、私自身はこれを聴いても、Viksta-Lasseが何を言っているのかほとんどわからなくて、話している間中ただずっと笑っていた、という記憶があります。

(笑いが起きる)

(※「Viksta-Lasseが話しているところは、(笑っていること以外は)ほとんど聞き取れない」というのは有名な話)

それでも聴いていると、とりあえず毎回「Hjort Anders(ヨット・アンダーシュ※演奏家。Viksta-Lasseに曲を教えた先生)」と言っているのだけはわかりました。

それ以外はわかりませんでしたけれど。Viksta-Lasseは笑ったり話したりしていました。


さて、ニッケルハルパの演奏とフィドルの演奏が今夜は混ざっています。

次のDitte Andersson(ディッテ・アンダーション)は、フィドルを演奏してくれます。

(※Ditteはニッケルハルパとフィドルを両方演奏する演奏家)

そして思い出を語り、音楽を演奏します。

(Ditte):事前に配布されているプログラムでは私はニッケルハルパを演奏することになっていますが、それは私が書いたものではないので…。

私にとっては、Bosseといえばフィドルですから。

私自身は(ニッケルハルパとフィドルの)両方を演奏しますけれど。

ウップランド地方以外の地域で、もしくはこのコミュニティ(Bosseを知るコミュニティ)以外のところで演奏する際、「Bosse Larsson」と言うと、多くの場合、人々は別の人物を連想するようです。

TVの見過ぎだと思いますけど。

そんな時、私はこう言います。

「本物のBosse Larssonは、ポンポンつきニット帽をかぶっていない方の人物ですよ」と。

(笑いが起きる)

(※↑Bosse Larssonという有名人がスウェーデンに何人かいます(フットボール選手など)。中でもTVの司会等で活躍したBosse Larsson(リンク先は英語版Wikipedia)という人がいて、彼はクリスマスの番組でポンポンつきニット帽をかぶっているので、そのことを踏まえたジョークではないかと思います。一応その番組らしきYouTubeの動画リンクがこちらです)

私がBosseと知り合ったのは、1970年代のことです。その頃私はまだ楽器を始めたばかりでした。

より親しく交流するようになったのは2003年のことです。

Bosseは特にここ20年の間、私のおじであるAnders Liljefors(アンダーシュ・リリエフォーシュ)と一緒に、よく演奏していました。

たいていはStorvreta(シュトールヴレータ※地名)にあるAndersの家に集まり、Bosseの娘さんのIngela(インゲラ)、私、Örjan Berglund(※和訳⑦)、Gunnel Viking(※和訳⑥)、などなど、5~10人くらいで集まって毎週木曜日に一緒に演奏していました。

BosseとAndersと一緒に演奏できるのは、黄金のような(輝いた/素晴らしい/貴重な)経験でした。

Andersの飼い犬はいつもその集まりの中心で寝そべり、フィドルの音(「フィドルのギシギシ言う音」)に満足そうにしていたので、私たちは彼女(※犬のこと)にちなんで、自分たちのことを「Skillas svänggäng」と呼んでいました。

(※Skilla(スキッラ)はギリシャ語で「メスの犬」のことを指しているそうです(スウェーデン語の解説ページより)。sväng(スヴェング)は英語の「swing」の意味、gäng(イェング)は「集団」という意味です)

最後に皆で演奏したのは2017年のことでした。

その時にはBosseもAndersもいました。

そして今現在は2人ともいません。一年の間隔をあけずして。

(※Andersは2021年7月、Bosseは2022年4月に亡くなりました)

あの頃のことは、私にとって本当に大事な思い出です。

毎週、一緒に演奏した(一緒に時間を過ごした)ことを。

私が演奏するのは、普通の、Bondpolska(ボンドポルスカ※曲の種類。ウップランド特有のポルスカ)です。

Bosseが「サダム・サダム」と呼んでいる曲です。

これは政治的な意味は全くありません。(※サダム・フセインとは全くの無関係)

そうではなくて、もっと詩的な表現です。曲の途中の部分が「タリン・タリン~、ララ『サダム・サダム』~♪」と(歌っているように)聴こえるから、です。

また、このコンサートの直前に知ったのですが、この曲が「サダム・サダム」と呼ばれていることに関して「罪深い人」がいることがわかりました、それはÖrjan Englundです、Örjan、皆さんに手を振ってみてください。

(笑いが起きる)

彼がそうなんです。

(※「罪深い」の部分の意味→「この曲を『サダム・サダム』と呼び始めたのはÖrjanだった」という意味だと思います)

⑬(1:04:06~)Ditteの演奏1:「サダム・サダム」Bondpolska efter Bosse Larsson(ボッセ・ラーション伝承のボンドポルスカ)

(※曲名のアルファベット表記をどうするか迷ったので、カタカナで書きました)

(1:05:54~)

(Ditte):私自身は、いつもこんな風に(この曲の雰囲気の通りに)ハッピーでいることはできません。

(※Bondpolskaは全体的にハッピーな雰囲気の曲が多い)

スコットランドの友人(演奏仲間)が言っていました。

「ちょっと一旦落ち着こう、心配事でも考えて」

(笑いが起きる)

次に演奏するのは悲しい雰囲気の曲です。

この曲もBosseやAndersと一緒によく弾きました。

Andersが伝統音楽においてとても憧れていたのはViksta-Lasseでしたから、AndersとBosseが一緒に演奏するのはとても合っていたのです。

次の曲は演奏する際の(彼らの中での)呼び名がありまして、「Ögat(目)」と呼ばれていました。

演奏する曲の呼び名は必要ですから。

(※↑曲の愛称。「自分たちだけの通称」とか、「自然とつく省略名」のようなもののこと)

本当の曲名としては「Polska efter Frisell(フリセッル伝承のポルスカ)」という曲名になっています。

ダーラナ地方の曲です。

Viksta-Lasseが言うには、「(この曲を弾くと、自然と)空に目を向けてしまう(Jag lyfter ögat mot himmelen)」のだそうです。

実際、そうかもしれないなと思わせる音が、この曲には存在しています。

「Polska efter Frisell, efter Bosse Larsson」(Bosse Larssonに教わった、Frisell伝承のポルスカ)です。

⑭(1:06:51~)Ditteの演奏2:「Polska efter Frisell, efter Bosse Larsson」(ボッセ・ラーションに教わった、フリーセッル伝承のポルスカ)、もしくは“Ögat(目)”

(1:09:15~)

(Bengt):Ditte、ありがとうございました。

(ここから次の演奏家に向けての話になるので、続きはまた明日にします)


Ditteはあまり配信コンサートなどで動画があがっていないのですが、好きなので、久しぶりにこうして現在の演奏を聴くことができて、私はとても嬉しいです。

話の内容も、Ditteらしく整理されていて、聞きやすい話し方(そしてユーモアもある)だったなあと思います。選曲もDitteらしくて良いなと思いました。

TVのBosse Larssonのくだりは、最初に聴いた時は全然わからなかったのですが(内容がわからないと訳もできないのですが)。

何度か聴き直しているうちにふと「そういえば同姓同名の別人がいるよなあ」と思いついて、それで訳してみたらつじつまが合いそうなので(「TVの見過ぎ」の部分など)、帽子のことも調べながら、訳してみました。

明日以降の分もお楽しみに。

お読みいただき、ありがとうございました。