昨日はしっかり寝ました。
体調管理はとても大切なのですが、なぜか睡眠時間を削りがちなので、無理しないようにしようと思います。
最近の練習では、指先から身体まで、使うべきところをどう意識するのか、また、使わなくてもいい部分を感情に伴って「あえて」動かす時に、先ほどの「使うべきところ」がいかに影響されずに弾けるか、というのを少し意識しながら弾いています。
コントロールする部分とコントロールしない部分のバランスをとる、という感じでもあります。本当は(結果的には)どこもコントロールすることになるのだとは思いますが、そのコントロールが意識にのぼっている部分と意識にのぼっていない部分とがあって、全てを意識でコントロールしようとしてするというよりは「結果的にコントロールされている状態」になると良いのかなと思います。
…というのは完全に私個人の日記みたいな書き方なので、読んでくださっている方に伝わるかどうかわからないのですが。
あとそれからもう一つ思うのは、やはり「一つ一つの積み重ね」だということです。
全てのことがそうで、地道な努力が積み重なって積み重なった先に、想像を超える楽しみが待っているように思います。その「努力」も「苦行」のようなものではなく、それを積み重ねること自体が楽しいような、丁寧に何かを作り上げることのような気がします。
…というのもとても感覚的な話で読んでくださっている方には「は?」って感じかもしれませんが。
それでもお付き合い頂きありがとうございます。
全てを自分でどうにかしようとするのではなく、自分にできることを丁寧にできる範囲で積み重ねることで、他の人と自分とを比べる余地もないくらいのところまでいけると良いかなと思っています。そうすると多分、「自分と相手」とか、「自分とその対象」とかの一対一のシンプルな関係になって、お伝えしたいことをただまっすぐに伝えることができるのではないかと思います。
終始抽象的な話になりましたが、普段から考えていることはだいたいこんな感じの私です。
ここ数日はVäsen尽くしです。今日の曲は「Pilvi & Eskos Brudvals(PilviとEskoの結婚式のワルツ)」です。
私は以前、「『Väsenの曲はトラッド(伝統曲)じゃない』ってスウェーデン人に言われたから…」と話す日本人(ニッケルハルパをやっている方)の発言を聞いて、「は?だから何?バンドとしてオリジナルをやるのは当然じゃん」と思いながらも「ああ、トラッドじゃないと日本のニッケルハルパをやっている人には評価されないのかな…」となんとなく思い込んでしまったことがありました。その日本人の方も悪気は無かっただろうし、そういう意図で言ったのでもなかったかもしれないし、そもそもその方の言葉を私が過大に受け取る必要自体全くなかったのですが、ちょっと胸が痛いような気持ちになりました。
そんな記憶を封印したくて、Väsenを堂々と聴いたり耳コピしたりしにくく感じていた時期もありました。結構長く。でもやっぱり好きです。
他人の言葉や評価よりも、自分がその人達の演奏を聴いて感じることを大切にしていきたいと思います。
私の動画は259曲目「Fäbodvisa från Jämtland」です。Fäbodvisaというのは「牛飼いの歌」のような感じです。拍を感じさせない弾き方を最初しているので、ちょっと訳わからないかもしれませんが、そういう歌なのだと思って頂けたら良いかなと思います。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!