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指先のコントロールと、キーから指を離す時の感じについて。

/ ニッケルハルパ奏者

やはり、指先のコントロールが大切だと思います。

といきなり書きますが、なんというか「指をキーから離す瞬間」が結構うまくいっていないことが多くて。ついキーを「離そう」としてしまうのですが、それだと余計な雑音と力が入るのが聴こえるので、私の場合はおそらく「離そうと意識せずに自然と離れる」くらいが良いのかな、と思うんです。

「押す」「離す」「別のキーを押す」というようにアクションを増やすのではなく、「押す」の次はもう「次のキーへ移行する」。その間に指は自然と離れるし、押さえっぱなしで良いキーはそのままで良いし、という感じです。

言い換えれば、「弾き終わったキーから指を離すことを意識する」よりも、「次のキーへの音の移り変わりをどう持っていくかに意識を向ける」です。

それは音が隣同士の時も、音が飛んでいる時も関係なく。

それができるためには指先を使う必要があるし、指先の筋肉は手や手首を通って肘のあたりまで来ているので、その肘の辺りを意識すると動きやすくなります。

ここで手のひらを緊張させていると指先の動きを邪魔してしまいます。指先の筋肉は手のひらや手の甲を通っているので。

かといって、手のひらや手の甲を「だらん」とすれば良いかというとそうでもなく、指先が自由に動くためには手のひらや手の甲にわずかな緊張(抵抗)も必要です。指先が自由に動けるためにはその自由に動かす部分以前の「動かない部分」をしっかりさせて、支える必要があります。(例えば手首を動かす体操をする時には、前腕をある程度固定させますね。それと同じです)

それは肘や肩も同じです。私は多分肘と肩関節もうまく使えていないので、そこがもっとしっかりすると良いかなと思います。

そして昨日も書きましたが、指先などの部分的なコントロールとは別に、身体や意識は音楽全体を感じているということです。これは音楽を聴いている時も結構意識しているかもしれません(聴いている対象のミュージシャンはこれができている、という意味で)。「この人こうしているな、すごいな」みたいな感じです。

…という内容って他の人にとっては読んでいてもつまらないかもしれないので、今日は違うことを書こうと思ったのですが、結局書いてしまいました。やはり考えていることが言葉に出やすいみたいです。


あと昨日Väsenのことを書きましたが、似たような思いを私は意外にたくさん抱いているなと感じました。何かを見た時、何かを聞いた時、何かを読んだ時、誰かがその何かを批判していた言葉を思い出します。その小さい言葉たちが棘のように自分に刺さって痛いので、その何かをつい自分から遠ざけようとしてしまいます。その何かが、本当は自分の好きなものであっても。

でもその批判を言った人には言った人の事情があり、棘も本当は存在しません。刺さっていないし痛くないです。

批判する人の横でその何かに感動することも、その何かを好きでいるのも、恥ずかしいことではありません。

誰かが批判しているものに対して「ばか正直に」感動することは、「負け」のように思っていました。でも負けても良いのだと気が付きました。負けで良いし、好きでいて良い。そう思うと楽になれる気がします。

今日の動画は、Kongero(コンゲロ)の新しい動画がアップされていたのでそちらを。去年の6月に撮ったもののようです。やっぱり良いですね。歌も雰囲気もすごく似合います。

私の動画は260曲目、「Fäbodvisa från Jämtland」です!昨日と同じタイトルですが別の曲です。これもすごく好きな歌です。私は楽器で弾いているのでリズムとかがよくわからないかもしれませんが…弾く方でも歌の感じが伝わったら良いなと思います!

今日もお読みいただき、ありがとうございました!