今回は、私が思う伝統音楽の魅力について、雑談多めで書いてみたいと思います。
…というか雑談の方が多くなってしまうかもしれませんが、ゆるく読んでいただけたら嬉しいです。
その前に
その前に早速どうでもいい話ですが。
最初、この記事を「スウェーデンの伝統音楽の魅力」と題して書こうと思ったのですが、私はスウェーデン以外の国の伝統音楽について詳しくないので、今から書くことはもしかしたら他の国の伝統音楽にも当てはまるかもしれないな~と思い、「スウェーデンの」というのは外しました。
私はたまたま留学先として選んだのがスウェーデンで、スウェーデンに滞在していた中でたまたま伝統音楽に出会っただけなので、「他の国の伝統音楽ではなくて、絶対にスウェーデンだ!」と思ってスウェーデンの伝統音楽を始めたわけではないんですね。
ニッケルハルパもスウェーデンでたまたま知って、帰国したらたまたま巣鴨にニッケルハルパ教室があるということで通い始めて…という感じで、そのご縁で今もこうしてニッケルハルパを弾いているので、もしも留学したのが全然違う国で、全然違う楽器や音楽と出会っていたら、違う楽器と音楽をやっていたかもしれません。
…と思う一方で、ここまで生きてきてなんとなく思うのですが、私はいわゆる「普通の道」を選ぶのが苦手なんですね。
なんというか、「普通の道を選ぶ勇気は出ないけど、変わった道を選ぶのはそんなに苦じゃない(勇気が出やすい)」と思っているタイプのようで、変わったことに挑戦するのがおそらく好きみたいなので、スウェーデンじゃなくても何かしら変わった楽器をやっていたかもしれません。
伝統音楽の魅力ー落ち着く
さて、そんな私が思う伝統音楽の魅力ですが。
落ち着きます。
落ち着くんです。
音楽性の話(メロディがどうという話)だけではなくて、「日本で送る日常」とちょっとかけ離れている存在の音楽なので、「伝統音楽の世界」のことを考えるだけで、一瞬でも「別の世界に行った」ような気持ちになるんですよね。
そうやって、自分の日常とちょっと違う世界のことを考えたり、一生懸命メロディを覚えてみたり、リズムを考えたり、あれやこれやアレンジしてみたり、スウェーデン語の解説を眺めながら「へえ、この人たちが一生懸命取材して、この楽譜を書いたのね」とか「この人たちは伝統音楽のことをとても大切に思っているんだな」みたいなことを想像して考えるだけで…自分の日常生活の悩み等々とは違う次元に行ける気がして、落ち着くんです。
(話がそれますが、私は放っておくと文を続けてしまって、長い1文をずらっと徒然なるままに書いてしまうのですが、今回はそれで良いということでこのまま書き続けます。いつもはもっとロジカルに書くように心がけるのですが、読みにくくてすみません)
自分の日常から離れて、伝統音楽のことを考える。
これは半分「現実逃避」でもあるかもしれませんが、現実逃避の逃避先が伝統音楽って、すごく詩的でかっこいいと思います。ぜひやってみてください。
話がそれますが、私は現実逃避の方法として、昔は「小説」をたくさん読んでいました。子どもの頃はファンタジー、中学生以降は恩田陸さん、乙一さん、梨木香歩さん、などなど。梨木香歩さんは大学の卒論にも書きました。一番好きなのは『家守綺譚』です。
ただ、小説だと、本が終わるまで夢中になってしまうし、読み終われば読み終わったで物語が終わる度に悲しい気持ちになって現実生活に支障をきたすので、最近は漫画を読むようになりました。
漫画だと連載で長期間続くし、ちょっとずつしか進まないのでストッパーになって良い感じです。大好きです。今は、定期購読の関係で、ヤンマガとモーニングとアフタヌーン(すべて青年漫画雑誌)を中心に主に講談社の作品を楽しく読んでいますが、その他の漫画も読んでいます。(レソノサウンドの松岡さんともよく漫画の話をします)
しかし、漫画も漫画で「脳みそを破壊される」ような素晴らしい作品がたくさんあり、それらに感情をかき乱されまくってしまうので(先週から今週にかけては、『青野くんに触りたいから死にたい』という作品にひたすら脳みそを破壊されました。大好きです)、そんな時は伝統音楽のCDや本や地図を眺めて心を落ち着かせるのです。
(ちなみに今、私の机の上には大好きなヨセフィーナ・ポールソン(ニッケルハルパ奏者)のCDのジャケットがずらっと並べてあります。スウェーデン以外だと、これもやっぱり大好きな上原ひろみさんのCDと高橋優さんのCDと、好きな漫画の表紙も並べています。私が癒されるように)
また、昔の伝統音楽奏者について調べたりするのも落ち着きますね。人の人生に想いを馳せるのは悪くありません。
どうしても普段の生活だと、SNSやYouTubeなど、「おもしろいんだけど、いつの間にか自分を見失う」ような媒体やコンテンツに触れることが多いじゃないですか。
私も、Instagramを5月に始めましたが、演奏動画を縦型にして「顔出し」を始めた途端に再生回数が減り始めたことを気にしたりしましたし(でも縦の方が便利なんです)、「宣伝をすると嫌われるんじゃないか」と思ったり、ブログやその他の発信を頑張ったところで、「私が発信していることなんて何の意味もない、誰にも伝わっていない」と思って涙が出ることも全然あります。
いつもじゃないです。いつもは平気なんですけど、ごくたまにです。でも発信者の孤独を思い知る時があります。
(発信者って孤独を感じやすいんだな、と心底思います。承認欲求モンスターになる気持ちもわかります。だからこそ、自分の好きな方法で発信しないといけないなと思います)
「それでもやり続けるんだ!努力と気合と根性だ!」と思って乗り切ってしまう時も多いのですが、それはそれで無理があるかもしれないので(心がポキッと折れてしまうかもなので)、そんな時に伝統音楽の世界そのもののことだけを考えると、そういうゴタゴタ自体を忘れられるんですね。
(Rogerのインタビューを訳すのも、精神統一みたいでおもしろかったです)
SNSの内容も「伝統音楽の話」ではあるのですが、どうしても「日本でどうやって良く受け止めてもらえるか」を考えすぎたり、それこそ再生回数やいいねの数を気にしたり、「教室の生徒さんを増やすために頑張っているのに、成果が出ないな」みたいな、「受け止められ方」「評価」を考えすぎると病むし辛いです。
「これでは全然食べていけないな、私、生きていけるんだろうか」とか。集客力の無さに絶望したりとか。
なので、ただただ伝統音楽そのもののこと「だけ」を考えるようにすると、とても落ち着きます。やれポルスカだ、ワルツだ、音色がどうだ、あの人のボーイングを真似するならこうで、この人のボーイングを真似するならこうで、どちらも良いな、などなど。そういう細かいことに集中すると、リラックスするし安心します。
伝統音楽の魅力は他にもあって、たとえば「インスピレーションが湧く」とか「それぞれの楽器の音色が良い」とか「地方ごとに特色があっておもしろい」などたくさんあるのですが、それは私も以前の記事でおそらく何度か書いていると思うので、今回はこの「落ち着く」ということに焦点を当てつつ、私の雑談をさせていただきました。
ニッケルハルパをやっていると、どうしてもなんか「いじられてナンボ」みたいな空気になることがあって、「変わった楽器をやっている変わった人だから、笑っても良い」みたいな。TVの取材の時だけかもしれませんが、ちょっと嫌だなあ、失礼だなあ、ていうかなんで私が笑われなくちゃいけないんだろう?と思う時があって、あれも、自分がたまにネガティブになると引きずってしまいます。
(ていうかニッケルハルパってそんなに変わってます?…あ、変わってるか)
あと、以前ほとんどノーギャラで呼ばれたお仕事で演奏していたら、一番後ろで座っていた主催者の人の1人が演奏中30分間ずっとスマホをいじっていて、「え…!」と思いました。しょうがないのですが、嫌だなあと思いました。
でもそんな時に、他にも一緒にニッケルハルパをやっている友達とか、教室や動画レッスンを受講してくださる方々や、ライブや講演にいらしてくださった方々のことを思い浮かべると元気になるし心強いし、何よりも「知ってもらうだけでも充分だ」と思うと、発信も気楽に頑張ろうって思えてくるんですね。
今すぐに何か数字の成果に結びつけなくても、知ってもらうだけでも意味がある、と思えれば。
私は、「ただ自分が伝統音楽を演奏できればそれで満足~♪」というわけでは全然無くて、「人に伝わる」ことで自分のやっていることの意味があると思うし、「商業的にやっていきたい・食べていきたい」と思っているので、最終的には何か成果につなげたいと思っています。
一方で、成果というのは、私自身が今日出す音や、話す言葉に表れているとも思っていて。つい数字だけで成果をはかってしまいそうになるし数字はめちゃめちゃ大事なのですが、そこで音楽にもう一度目を向けて、地道にやっていこう、と思います。
そして周りの人への感謝。
そんな気持ちで、10月も心を込めてニッケルハルパを弾いていきたいと思います。