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Hjort Andersについて

/ ニッケルハルパ奏者

Hjort Anders(1865-1952、ヨート・アンダーシュ)は、特にウップランド地方でよく知られる、フィドル奏者です。

前回、「Viksta-Lasseについて」を書いた時に、Viksta-Lasseの師として出てきたのがこのHjort Andersでした。また、Eric Sahlströmについてを書いた時にも少しだけ登場しました。

今回はHjort Andersについてご紹介します。

Hjort Anders

Hjort Anders(1865-1952、ヨート・アンダーシュ)…フィドル奏者

・Hjort Anders Olsson。一般的に「Hjort Anders」と呼ばれている。「Hjort」の最初の「H」は発音しない。

ダーラナ地方(Dalarna)Rättvik(レットヴィーク)という地域の、Bingsjö(ビングショー)という所の出身。

・1906年以降は、ウップランド地方(Uppland)に住んでいた。農家(hemmansägare)。

出身地のBingsjöは、ダーラナ地方の中でも民族音楽が非常に盛んな地域の一つです。

また、1906年以降の移住先であるウップランド地方は、ダーラナ地方のBingsjöよりも、右下(南東)の辺りに位置しています。

地方名については、こちらをご参考に:スウェーデンの地方名(landskap)

以下の文章は、いつも通り”Uppländske spelmän under 4 århundraden”という本の情報を基本に、私が少し補足するかたちで書いています。

6歳頃にフィドルを弾き始め、Peckos Perに影響を受ける

Hjort Andersには、3人の兄と3人の姉妹がいました。兄たちは全員何かしらの楽器を演奏していたそうです。(姉妹の方は、本に書いておらずよくわからなかったのですが)

Hjort Anders自身は、6歳の頃に、兄の一人Jerkが作ったお手製のフィドルで楽器を弾き始めました。

その後、父親がフィドルを買ってくれたため、どんどん腕を上げました。

当時有名だったフィドル奏者にPeckos Per Olsson(1808-1877)という人がいたのですが、Hjort AndersはこのPeckos Perを真似して演奏したり、Peckos Perが演奏する結婚式などに出向いて彼の演奏を聴いて、演奏方法を学んだそうです。

Peckos Per Olsson(1808-1877)

・Peckos Per Olsson…ペッコス・ペール・オールソン。通称”ペッコス・ペール”。Bingsjöのフィドル奏者。Peckosは”Pekkos”や”Päckos””Päkkos”等の表記もあり。

Peckos Perについて

Peckos Perは裕福な農民であった。経済的に困っていなかったため、自身が大きな関心を寄せていたフィドル演奏に、多くの時間を割くことができた。

彼のフィドル演奏や、秘められた知識に関して、多くの伝説が彼の周りに渦巻いていた。

(”Uppländske spelmän under 4 århundraden”よりそのまま引用)

Hjort AndersはPeckos Perの弾いていた曲や、出身地域Bingsjöで伝わる曲をレパートリーとしていました。

Peckos Perが亡くなった後、Hjort Anders(当時10代頃)は地域でも有数の演奏家になりました。

ヘルシングランド地方の曲も一部弾いていた

Peckos PerやBingsjöの曲を演奏する一方で、Hjort Andersは(ダーラナ地方以外だけでなく)ヘルシングランド地方(Hälsingland)の曲も一部レパートリーとしていました

彼は若い頃に林業(skogsarbetare)に従事しており、その関係でヘルシングランド地方に滞在することがありました。その際ヘルシングランド地方の曲を教わっていたそうです。

ヘルシングランド地方は、ダーラナ地方の右隣(東)に位置しています。地図の真ん中あたりです。画像をクリックすると大きくなります。

ウップランド地方で曲が伝わっていく

そんなHjort Andersですが、ウップランド地方に引っ越した後は、以前にも書いたViksta-Lasseなどとともに演奏し、多くの曲をウップランド地方で伝えていきました。(自身の作曲もあります)

参考:Viksta-Lasseについて


ここからは私がウップランド地方の奏者から聞いた話になります。

ウップランド地方でも彼は有名な奏者だったのですが、「性格としてはわりと激しい気性で、気難しく頑固な面があった」そうです。

優しくナイーブなViksta-Lasseとはまた全然違う性格で、その激しさや力強さが演奏にも表れていたとのことです。

Hjort Andersの伝えた曲を留学先で習った時、「ブルドッグが噛みつくような感じで、弦を掴むような感じで弾くと良い」と私は習いました。

実際のところ本人の性格がどうだったのかは、彼を知る人にしかわかりませんが、そういう一面があったのだな、と思いながら私も曲を弾いています。


また、彼が伝えたBingsjöの曲は、ウップランド地方で伝わっていく過程で、Bingsjöで伝わっているバージョンとはまた異なる演奏方法がされるようになった、とも聞いています。

同じ曲のBingsjöのバージョンを知っている奏者から聞いたのですが、ウップランド地方で伝わっているバージョンは、Bingsjöのものよりも「より均等な拍の運びで、癖の少ない演奏」となっているそうです。これは、人によって感じ方は違うかもしれません。

地方ごとに、既に伝わっている伝統曲のリズム感が異なっているため、ウップランド地方でBingsjöの曲が伝わっていく過程で、演奏方法に変化が出るのは当然のことなのかもしれません。


さらにWikipediaによれば、Hjort Andersはウップランド地方へ移住した後に、ウップランド的なスタイルでの曲も作り始めた、ということです。

(Hjort Anders)のウップランド地方への移住は、おそらくBingsjöの曲とは全く異なる伝統曲との出会いをもたらしたのだろう。これは、Hjort Andersが、ウップランド地方での一般的なスタイルでの曲を作り始めたことの、説明となっている。

https://sv.wikipedia.org/wiki/Hjort_Anders_Olssonより

これもまた、伝統と伝統同士が互いに影響を与えて、新しいものが生まれていったということなのだと思います。それがまた後世では伝統になるわけですが。

本人の演奏

こちら、おそらく本人が写っている写真、本人の声・演奏・動画を使って作られている動画だと思います。

スウェーデン語でHjort Andersの説明がされていますが、写真、BGMに流れている音楽と声、それから1:34くらいからの映像など、全て本人のものだと思います。

私があまりHjort Andersのことを知らないので、もしも万が一、本人ではなかったらすみません、後で訂正します。1:34~の曲は”Vallåt efter Hjort Andersmor”(Hjort Andersの母親が伝えたVallåt(=ヴァルロート。家畜を呼ぶ歌/曲))だそうです。


他にも本人の録音がこちらです↓YouTubeのHjort Andersのトピックページにいってプレイリストを開くと、他の曲も聴くことができます。”Polska efter Pekkos Per”(Pekkos Per伝承のポルスカ)という曲がたくさんあります。

私も知らない曲だらけです。

録音の音質も時代を感じさせますが、こうして本人の演奏を聴くと、言葉で読む情報よりもたくさんのことが伝わってくるような気がします。

また、他の奏者が彼の曲を弾いている動画もたくさんありますので、もしよろしければぜひ検索してみてください。


「Hjort Andersについて」は以上です。

様々な奏者に影響を与えた人なので、ご紹介しました。

この人もまだ情報がたくさんあるので、機会があればまたぜひご紹介したいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

参考・出典:”Uppländske spelmän under 4 århundraden” Lars Erik Larsson

WikipediaのHjort Andersのページ(スウェーデン語)https://sv.wikipedia.org/wiki/Hjort_Anders_Olsson