前回まで、フィドル奏者のAnna EkborgとAnders Jakobssonのコンサートの和訳をしてきました。
このコンサートは、もともとその前にAnna Ekborgのソロコンサートを訳していた時に話題に出たので、それがきっかけて訳で扱ってみました。
そしてそのAnnaのソロコンサートの中で、話題に出たもう一人別の演奏家がいました。
Johan Nylander(ヨーワン・ニーランデル)です。
今回からはそのJohanのソロコンサート(Bodaで開催)を和訳していきたいと思います。
前回までの、AnnaとAndersのコンサートの和訳①はこちら→Anna Ekborg & Anders Jakobsson(Boda, 2021)コンサートの和訳①
Johan Nylander(ヨーワン・ニーランデル)
コンサートの概要欄の紹介文を参考に書いていきます。
Johan Nylanderは、高校の先生をしているフィドルの演奏家です。
(スウェーデンでは、演奏家も別の職業を持っていることもわりと一般的です)
Johanは、ストックホルム、Västerås(ヴェステロース、ヴェストマンランド地方)、Bingsjö(ビングフェー、ダーラナ地方)で育ったそうですが、伝統音楽の演奏家としては、Bingsjöの曲と特に深く関わりがあるそうです。
奥さんと出会ったのもBingjsöのステンマ(※伝統音楽やダンスのイベントのようなもの)だそうです。
Bingsjöはダーラナ地方の地域名です。ダーラナ地方は伝統音楽が盛んな地域がいくつもあり、そのうちの1つになります。
地図で言うとこちらです↓
(地図を「-」して範囲を広げていくと、かなり右下にVästerås、その右下にストックホルムが見えてきます)
また、コンサートの開催場所は前回と同じく、Boda(ボーダ)にある、Boda Gammelgårdです。
前回訳したAnnaとAndersのコンサートの、おそらく翌週に行われたコンサートで、この年の夏のコンサートの最後のプログラムです。
ソロコンサートなので、演奏とお話をたっぷり聴くことができると思います。
※「AnnaのソロコンサートでJohan Nylanderのことが話題に出た」と冒頭で書きましたが、その時の記事はこちらです→Anna Ekborg i Bror Hjorths ateljé(2022.1)コンサート和訳②
※名字の「Nylander」は「ニーランデル」と書きましたが、スウェーデン語の子音の「y」は「『ウ』の口の形をした状態で『イ』」を言う、という発音になっています。人によってはこれをカタカナで「ニュー」と書いていますが、私はイで書いています。
動画
(0:15~)
Gunnar(最初の挨拶のおじさん):Boda Gammelgård、最後の「Måndag kväll(月曜日の夜※このコンサートのシリーズ名)」へ、ようこそ。
今回は今年2021年の夏の、最後のプログラムになります。
このコンサートのシリーズは1981年の6月15日から行ってきました。40年、(夏の)月曜日の夜にこのような小さなコンサートを行ってきました。
ほとんど毎回、演奏の後はダンスで終わっていましたが、今年はダンスの演奏は残念ながらありません(※コロナの影響)。
今夜はソロコンサートになります。
この40年の間、ソロコンサートというのはここではそんなにたくさんは行ってきませんでした。
ソリストを迎えるというのが、(このコンサートでの)新しい伝統になっていくかもしれません。
楽しみですね。
今日演奏してくれるのは、友であり、演奏家である、Johan Nylanderです。
熱烈さと、力強さ、大きな表現力を持ちあわせた演奏家で、私たちにその演奏を聴かせてくれます。
Johanをこちらで迎えるのがとても光栄です。
彼はここには別の機会に何度も訪れていますが、今夜はお一人です。
では、Johan Nylanderです。
①(2:01~)Skänklåt efter Pekkos Per(ペッコス・ペール伝承のフェンクロート)
※別の記事でも出てきた曲です→Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑥、Anna Ekborg & Anders Jakobsson(Boda, 2021)コンサートの和訳④
(4:13~)
Johan:マイクで話しましょう、ありがとうございます。
こちらに来させていただき、そして演奏させていただけることがとても光栄です。
コンサートすべてをソロで、ということで。これ(※ソロのみでコンサートをすること)は今まで私の人生で起きたことがあるかどうかもわからないことです(笑)
とても光栄で、楽しみで、そしてもちろん、少し怖くもあります。
皆さんと、こうしてここでお会いできて嬉しいです。
最初に演奏しました曲は「Skänklåt efter Pekkos Per(ペッコス・ペール伝承のフェンクロート)」です。
Skänklåtと呼ばれているような曲というのは、おそらく、Brudmarsch(結婚行進曲)とかそういうものとしても、弾かれてきた曲たちだろうと思います。
そしてこの曲は、私のフィドル人生の最初の頃から付き合っている曲です。
この曲はPäkkos Gustaf(ペッコス・グスタフ)とも弾きましたし、Jonny Soling(ヨニー・ソーリング)とも、とてもたくさん弾きましたし、私の妻のTäpp Jenny(テップ・イェニー)とも、そして他の多くの演奏家たちとも弾いてきた曲です。
そして、物事はなるようになります。
音楽は変化し、曲も変化します。
私は、10年前には、この曲をこういう風には弾いていなかったでしょう。
すべてが変化していきます。
一定のもの(変化しないもの)など無い、と言えるでしょう。
今夜演奏するのはBingsjöの曲です。
このコンサートでどんな曲を演奏するか、少しの間考えたのですが、あまり長い時間考えるよりも前に「Bingjsöの曲を弾こう」と思いました。
なぜなら、それらの曲が私にとってのホームであり、最も長い時間弾いてきたからです。
おそらく、Bingsjöの曲のみの構成になると思います。
何か、突然のひらめきを得て「変更しよう」と思わないかぎりは。たぶん無いと思いますが。
では、演奏を続けます。次の曲は「Polska efter Päckos Olle(ペッコス・オッレ伝承のポルスカ)」と呼ばれているポルスカです。たしか、Gustaf(Päkkos Gustaf)が「Polska efter Päckos Olleだ」と言っていたと思いますので。
私はこの曲をGustaf(Päkkos Gustaf)と一緒に弾いてきましたし、Påhl Olle(ポール・オッレ)が弾いているのをとてもたくさん聴いてきました。彼はこの曲(の自分の演奏)を録音してくれたので。
そしてまた、Päckos Helmer(ペッコス・ヘルメル)と○○(※演奏家の名前。Nylands Kalleと聴こえるけどわかりません)とPetters Erik(ペッテシュ・エリック)が一緒に弾いている動画もYouTubeで見ました。彼らがかつて、Pekkosgården(ペッコスの家)で、ダンスの演奏で弾いていた時のものです。
Päkkos Gustaf、そして○○、ピータと彼女は呼ばれていたと思いますが、ダンサーです。(※ここ聴き取れなかったので、ちょっと違うかもしれません。文も意味が通らずすみません)
彼らは美しい演奏をしていました。
私が演奏するとこのようになります。
では、この曲を演奏します。
※参考:Pekkos Per(1808-1877)Wikipediaのページ(スウェーデン語)
※参考:Päkkos Gustaf(1916-2000)Wikipediaのページ(スウェーデン語)
※Pekkos PerはPäkkos Gustafの祖母の祖父の兄弟(farmors morfas bror)だそうです。そしてGustafはPäckos Olleの演奏をよく聴いていたそうです。
※参考:Päckos Helmer(1905-1985)Wikipediaのページ(スウェーデン語)
※参考:Påhl olle(1915-1987)Wikipediaのページ(スウェーデン語)
※PekkosのつづりはPäkkos、Päckosなどどれでもいいみたいです。今回は、一応それぞれの人を調べた時によく使われていそうなつづりにしましたが、私自身はこだわりはありません。
※「Pekkosgårdenで、ダンスの伴奏に3人が弾いている動画」というのは、こちらのことではないかな?と思います。4:49~の部分なので、そこから再生するようにリンクを貼っています→https://youtu.be/VA4IcJ5ycNc?t=289。ただし、演奏している人物はJohanが言っているのとは少し違っているかもしれませんが。
②(7:05~)Polska efter Päckos Olle(ペッコス・オッレ伝承のポルスカ)
(10:10~)
Johan:ありがとうございます。(今演奏した曲を伝えた)Päckos Olleは、Päckos Helmerの父親です。
(続きは明日)
「音楽も、自分の曲の弾き方も変化する」という話のところは、興味深く聴きました。
「『一定のものは無い』だなんて、平家物語のようなことを言う人だな」と思いましたが(彼の雰囲気的にも)、実際、1人の演奏家の弾き方はいいくらでも変わっていきますし、それがおもしろいと思います。
Annaも言っていましたが、Johanも「全部がソロのコンサートというのは少し怖くもある」と言っているのが印象的でした。
Johanの話し方は、あまりパフォーマーという感じの話し方では無い感じがしますが、高校の先生なので、落ち着いた話をするのに慣れていらっしゃるのかもしれません。
また、Skänklåtについては以前私が「どう説明したらいいか悩む」と書いていたのですが、やっぱり結婚式とかでも使えるんだなあと、今回のMCを聴いていて思いました。なので、曲の命名の出自(演奏家がチップをもらう時に歩いて弾いていた曲(たぶん。私が間違えていなければ))と、実際の曲のイメージや使われ方(素敵な感じの曲、というイメージ)が私の中でも少しずつ形になってきたような気がします。
今回のこのコンサートも、話も演奏も両方含めてとても良いコンサートになりそうだな、と思っています。演奏家の名前を調べるのだけが大変ですが(笑)、間違っていたらまた直します。
明日の部分もお楽しみに。
お読みいただき、ありがとうございました。