昨日はレソノサウンドでのニッケルハルパ3人でのコンサートでした。
【演奏情報】10月7日(土)18:00~「デュオデュオデュオ!vol.3 ニッケルハルパ奏者3人によるコンサート」@レソノサウンド(巣鴨)
お越しくださった皆さま、本当にありがとうございました!!
コンサートのことはまたあらためて書きたいと思いますので、その前にこちらのコンサートの和訳を、あと数日間かけて終えたいと思います。
Ole Hjorthをしのぶコンサートの和訳⑤です。
①~④はこちら↓
Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳①
Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳②
Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳③
Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳④
動画
前回の続きから(31:42~)の再生です。
Sven:今演奏しました曲は、彼が先生のHjort Andersから教わった曲の1つです。
Oleは一緒に演奏するのがとても楽しい人で、私たちはCDなどでたくさん一緒に演奏しました。本当にとても楽しかったです。
また、コンサートもたくさんしました。
たいていの場合、家で練習して、曲を覚えたりして、そして彼と一緒演奏するのですが、彼は(練習している時は)控えめに(弱めに)弾くんです。あ、今ちょっと引いて(隠れて)いるなというのがわかるくらい。
そしてLIVEの状況になると、それが一変します。
力強く、そして表現力豊かな演奏になります。
一緒に演奏している者は、できる限りのすべてのことをやることになります。彼の演奏についていくために。
(笑いが起きる)
彼は、計り知れないくらいの素晴らしい表現力でもって、とてもユーモアのある演奏をしていました。
彼は臆病な演奏になることを非常に嫌っていました。それは最悪のものだと思っていたようです。
(笑いが起きる)
そしてそれは、(演奏を聴いた)他の人たちも、一緒に感じていました。
人々は彼の演奏からインスピレーションを得ていました。
こんな風に思ったりするんです。
「あれ、彼と一緒に演奏したことで(演奏する前よりも)、なんだか気分が良くなっているみたいだ」と。
本当に力強い音楽的な表現力の持ち主でした。
また、それが彼自身の中心でもあったようです。
「人間」「一緒にいる人たち」「彼らの人間性」というのが、音楽なのです。
つまり、「場所」ではありません。
たとえば彼がよく話していたのはBingjsö(ビングフェー※地名)の曲についてです。
これも「場所」ではなくて「演奏家」なのです。
Bingsjöの曲は、「Bingsjöの演奏家たちによって演奏されていた曲」なんです。決してBingsjö(という場所自体)が演奏していたわけではありません。
(※「Bingsjöの曲」という伝統や弾き方が独り歩きするのではなくて、あくまでもBingsjöの演奏家たち一人一人が弾いてきたものが伝統になっている、という意味)
彼にとっては、人間、人間性による芸術や表現というものが中心を占めていました。
さて、ではさらに1曲演奏したいと思います。
Oleが先生のHjort Andersから教わった曲です。
この曲は、確か私がOleと一番最初に一緒に弾いた曲の1つです。
これについてはいきさつがあり、この曲は彼のホームの曲なのですが、それについてはまた演奏の後でお話ししたいと思います。
⑦(33:48~)Polska i tre repriser efter Hjort Anders(ヨット・アンダーシュ伝承の3部構成のポルスカ)
(36:36~)
Sven:さきほど、この曲はOleのホームだと言いましたが、彼はこの曲のステンマ(※ハモリなど、メロディ以外のパートのこと)を、私にその場でいきなり(即興的に)弾かせようとしてきたのです。(嫌そうに言う)
(笑いが起きる)
簡単ではありませんでした。
でもおもしろくはありました。
私たちが最初に一緒に演奏したのは、Österbybruk(ウステルビーブルーク※地名)のコースでのことで、私はこんな風に思ったんです。
「Ole Hjorth、彼はなんでもできる人のようだから、演奏家のAnton Jernberg(アントン・ヤーンベリィ※Svenの先生)から教わった曲(Oleが普段弾いているのとは違うタイプの曲)を何曲か一緒に弾いてみよう」と。
それでOleと一緒にそれらを弾いてみました。
さらに私はこう思ったんです(※→Oleにこう言ったんです)。
「ぜひステンマを即興で弾いてみてください」と。
でも、(それらの曲に即興でステンマを作るのは)「まったくもって不可能だ(とても難しい)」と彼は思ったようです。
これらの曲にステンマをつけるなんて、と。
メロディはあっちにいったりこっちにいったり、交錯していましたから。
そしてそのうち、私たちは、お互いの提案する曲を両方弾くようになっていました。
彼のレパートリーと、私のJernberg一家から教わったレパートリーを。
お互いのレパートリーに一緒に取り組んでいたんです。
彼はよく、座って、伝統音楽の中にある芸術的表現というものに目を凝らしていました。
それもまた彼の中心にあったようです。
○○とするのではなくて(※ここ聴き取れずすみません)、伝統音楽を、クラシック音楽を扱う時とまったく同じ類の(同じレベルの)芸術として扱っていました。
また、それだけではなく、私たちはピアノに存在しない音(※ちょっとだけ音程をずらして弾く音。クオーターノート)についても取り組みました。
それらの音にどうやってステンマをつけるか、という。
これもまた共通の(一緒に取り組んだ)思い出ですが、彼はこの時の経験を「Österbybrukでの間違った演奏」と呼んでいました。
(笑いが起きる)
そしてさきほどの曲(Svenがステンマをつけらされた曲)も「Bingjsöの曲の間違った演奏」と言っていました。すると私はより怒るのですが(笑)
次に演奏する曲は、Jernbergの伝えた曲の中でも最もよく知られている曲の1つです。
Oleは父(Bror)と一緒にいて、Gustaf Jernbergやその息子たちAntonやHerbertらがこの曲を弾いているのを聴いていたそうです。Gås Anders medalj(ゴース・アンダーシュ・メダル)が贈られた時のことです。
この曲はSikvikspolskan(スィークヴィークス・ポルスカン)と呼ばれています。
※Gås Anders-medaljen…Oleの父Bror Hjorthが、演奏家Gås-Andersの銅像を作り、Björklinge教会の外に建てた際、Hjort Andersをはじめとする15人のウップランドの演奏家たちを招き、記念にこのメダルを贈った。メダルはBror Hjorthによって作られ、一方の面にはGås-Anders、もう片方の面にはHjort Andersがデザインされている。Wikipediaのページより。
→38:57~映っている絵画で、Bror(右のスーツのおじさん)が手にしているのがこのメダルです。
⑧(38:57~)Sikvikspolskan efter Jernberg(ヤーンベリィ伝承のスィークヴィークス・ポルスカン)
(続きは明日)
SvenがOleと一緒に演奏しているCDはこちらです。「Arabiskan」というタイトルのCDです。
この曲以外にも、YouTubeで聴くことができます。
ステンマというのは、こういう風に2人以上で弾いている時に「メロディじゃないパート」を指します。明らかな伴奏の場合は伴奏(komp)と言ってしまいますが、ステンマ自体はどんなものを弾いても自由です。ハモっても良いし、裏メロみたいなものを弾いても良いし、という感じです。
明日の分からはJoelが出てきますので、明日もお楽しみに。
お読みいただき、ありがとうございました。