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「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳④

/ ニッケルハルパ奏者

今回も、「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳④をお届けします。

①~③はこちら↓

「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳①

「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳②

「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳③

動画

前回の続きから(37:59~)再生します。

※今回は色々な人の名前が出てくるので、後でまとめて補足説明しています。

(前回の曲)

⑤「Polska efter Svedmark」

⑥「Adventspolska」 av Olov Johansson

⑦「Kristinas brudpolska」 av Curt Tallroth & 「Bästen」 av Curt Tallroth

(37:59~)

さきほどお話しした通り、ここは演奏するのに素晴らしい空間です。

すべての彫刻や絵画に囲まれて。

あそこの上に飾ってある絵画は、Ole Hjorth(オーレ・ヨット※Bror Hjorthの息子)とHjort Anders(ヨット・アンダーシュ)とBror Hjorth(ブロール・ヨット※このアトリエの主で絵を描いた人)が描かれています。

(※38:17で画面に映っている絵。向かって左からOle、Hjort Anders、Bror)

私はOleとは会ったことがあります。一緒に演奏もしました。

OleはHjort Andersから演奏を教わっていました。

…ここには伝統音楽に関するものがあふれていますね。(見渡す)

あちらにいるのは、Näcken(ネッケン)です(笑い)。Gås-Anders(ゴースアンダーシュ)の左にいます。

(※38:38の2つの彫刻。向かって左がNäckenの彫刻で、右がGås-Anders)

Gås-Andersの彫刻はBjörklinge(ビヨルクリンゲ)の教会の外に設置されています。ウップランド地方の有名な演奏家です。


次に演奏する曲は、(Ole HjorthやGås-Andersとは)別の演奏家が作ったポルスカです。

彼もここに来たことがあり、ここでたくさん演奏していました。

その演奏家とは、Curt(※前回出てきたOlovの先生)のお兄さん、Ivar Tallroth(イーヴァル・タルロート)です。

IvarはCurtよりも20歳年上でした。

(※正確には16歳はなれている)

彼はここからだと私の左手方向(こっち側、と手をあげている)の、Valsätra(ヴァールセートラ)という所に住んでいました。

Svamptorget(※広場の名前)からそう遠くない所に住んでいました。

私はIvarと一緒に演奏するためによく彼の家へ行っていました。

そこでIvarが教えてくれたのですが、Bror Hjorthが時々電話をしてくることがあったそうです。

「フィドルを持ってぜひすぐに来てくれ、古い曲たちを一緒に演奏しよう!タクシーを使いなさい!運賃は私が支払うから」

と。(笑い)

そしてIvarはここまでやってきて、一緒に演奏していたそうです。

ここに来ると、Brorがどこかで出会って招いた、たくさんのおもしろい演奏家たちに出会えたそうです。

ということで、そんなIvarが作った曲を1つ演奏したいと思います。

Valsätrapolskan(ヴァールセートラポルスカン)です。

(補足)絵の人物について

上でも書きましたが、MCの中で出てきた絵の人物は、このアトリエの主で芸術家のBror Hjorthと、その息子Ole Hjorthと、Oleの演奏の師匠のHjort Andersです。絵の順番で言えば、向かって左からOle、Hjort Anders、Brorが描かれています。

また、Hjort Andersについてはこちらをどうぞ→Hjort Andersについて

Näckenについて

Näcken(ネッケン)はスウェーデンの精霊のようなもので、人間の男性のような姿をしていて、川のあたりなどに棲んでいます。伝統音楽の文脈だと非常によく出てくる存在です。

フィドル(もしくは他の楽器)を演奏するのがとても得意で、様々な言い伝えが残っています(Näckenにフィドルを教わる方法とか、その方法でフィドルを教わるとどうなるかとか)。「Näckenのポルスカ」という名前で残っている曲もたくさんあります。

Bror Hjorthが作ったNäckenの彫刻は、ウプサラ駅の駅前に大きいものが設置されていて、こちらのWikipediaのページに彫刻全体の写真が載っています→「Näckens polska」

また、おそらくですが、ミニチュアの小さいバージョンがちょうど画面向かって右側、Olovのコントラバスハルパの奥(マイクスタンドの後ろ)の丸い台の上に載っています。緑と金色で見える像です。

Gås-Andersの彫刻

Gås-Andersの彫刻の写真はこちらです。この写真は私が留学した時に撮ったものですが、ネットで検索しても似たような写真が出てくると思います。後ろに写っている白い建物が教会です。

Gås-Andersについてはこちらをどうぞ→Gås-Andersについて

⑧(39:57~)「Valsätrapolskan(ヴァールセートラポルスカン)」 av Ivar Tallroth

(42:44~)

コンサートをお聴きくださり、ありがとうございます。

(英語で同じことを言う)

今演奏しました曲は、かなり前にもこの同じ空間にいて演奏をしていた、Ivar Tallrothが作った曲「Valsätrapolskan」でした。

次にお送りする曲は、私が初めてアメリカに行った時に作った曲です。

私はある団体(「Leksands spelmän」という団体、もしくは団体名は無くて「レークサンドの演奏家たち」)と一緒にアメリカに(演奏のために)行くことになっていました。

しかし問題が発生し、彼らは行くことができなくなり、私は一人でアメリカに行ったんです。

一人でもいくつかやらなければいけないことがあったので。

たとえば、カリフォルニア州のメンドシーノでニッケルハルパのレッスン(ワークショップ)を行う、など。

サンフランシスコまで飛行機で行き、そこでPatrik(パトリック※つづりは英語表記だったら違うかも)に車で迎えに来てもらい、海岸沿いを北上しました。

左側は静かな海、そして右側は広大なレッドウッド(セコイア)の森や山が広がっていて、素晴らしかったです。

結構長い間ドライブをして、辺りが暗くなってきました。

道を曲がって、砂利道を走って…すると突然Patrikが車を停めました。

大きな茶色い動物が、車の前で、こちらをじっと見つめていました。

ピューマ(プーマ)でした。

こちらをじっと見つめていたんです。

アメリカ滞在3~4時間にして、目の前にピューマがいて、私のことを見つめていました。

彼は私たちのことを長いこと見つめていました。

何か考えているようでした。

私が思うに、おそらく、初めて目にしたんでしょうね…

…スウェーデン人のニッケルハルパ奏者というものを。

(スタッフの笑い声)

そしてピューマはいなくなり、その後、私は(アメリカ滞在で)たくさんの素晴らしい体験をしました。

スウェーデンの自宅に帰ってきた後、曲を作りました。

「Bisonpolska(ビーソンポルスカ)」です。

(※bisonはバイソンのこと)

ええ、そうなんです。皆さんお気づきの通り、全然違う動物の曲名になりました。

※参考:ピューマ→Wikipedia「ピューマ」

※参考:バイソン→Wikipedia「アメリカバイソン」

⑨(44:48~)「Bisonpolska(ビーソンポルスカ)」 av Olov Johansson

続きはまた明日。


以上、「Olov Johansson ソロコンサート」(2021)の日本語訳④をお届けしました。

今回もおもしろかったですね。

ピューマ(動物)って、日本語だと「プーマ」ではなくて「ピューマ」なんですね。

スウェーデン人のニッケルハルパ奏者で、愛称がPuma(プーマ)という人がいるので、「プーマポルスカン」だと紛らわしいかもしれません。Pumaにあてた曲みたいに思えます。

確か「Bisonpolska」と名付けたのはOlovではなくて、Olovと一緒にVäsenというトリオを組んでいた他の2人だと(Olovから)聞いた気がしますが、うろ覚えです。

明日は最後までいきます。

お読みいただき、ありがとうございました。