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Rena Rama & Roger Tallroth(Boda, 2021)のコンサートの和訳⑤

/ ニッケルハルパ奏者

Rena RamaとRoger Tallrothのコンサートの和訳⑤です。

今回でこのコンサートの和訳は終わりです。

①~④はこちらです↓

Rena Rama & Roger Tallroth(Boda, 2021)のコンサートの和訳①

Rena Rama & Roger Tallroth(Boda, 2021)のコンサートの和訳②

Rena Rama & Roger Tallroth(Boda, 2021)のコンサートの和訳③

Rena Rama & Roger Tallroth(Boda, 2021)のコンサートの和訳④

動画

前回の続きから(1:09:18~)の再生です。

Håkan:さて、次で最後の曲となりました。

(お客さん「え~」と言う)

そうなんです…それについてはまた後ほど…(※アンコールのこと)。

Roger:アイスがもらえますね。

Håkan:アイスですね。Daimのアイスでしたっけ?

Anders:Daimstrutです。

Håkan:Daimstrutね。

(笑いが起きる)

何年も前のことですが、私の兄弟の子どもがもうすぐ生まれようとしていました、私の義理の姉妹のお腹の中で。

彼は(生まれて名付けられるまでの一時的な名前として)「Lillpasan(リルパーサン)」と呼ばれていました。

私はその頃、Norrtälje(ノッルテリエ/ノテリエ※地名)でlumpen(※兵役義務の訓練とかそういうものだとお思います)の最中だったので、Tekniska Högskolan(テクニスカ・ヘーグスコーラン※大学名ですが、ここで言っているのは、その大学がある駅やバス停の名前だと思います)からNorrtäljeまでバスで通っていて、その時に「彼が生まれてくる時のために曲を作ろう」と思いました。

その子はBjörn-Olov(ビョルン・オーロヴ)と名付けられました。

彼は今では、そうですね…37歳になったと思います。

Roger:おお。

Håkan:そうなんです、昔の話ですね。本当に古い年代記の曲です。

Roger:伝統ですね。

Håkan:Trad(伝統曲)ですね。efter Håkan Olsson(ホーキャン・オールソン伝承)のね。

Roger:確かに。

Håkan:では、Lillpasavalsen(リルパーサヴァルセン。リルパーサのワルツ)です。

そしてさきほども言いましたが、皆さん、お越しくださって本当に本当に、ありがとうございました。

イェッテローテン(※ここの建物の名前?)の中まで、列に並んで、聴きに来てくださった皆さん、本当に、表現できない気持ちでいっぱいです。

Andersが最初に話していたように、人の存在を感じながら演奏するのは本当に素晴らしいです。

私たちは配信コンサートも経験しましたが、やはり皆さんと一緒にここで、音楽が鳴っているこの瞬間を共有することというのは最高なことなんです。

Roger:私も便乗して言わせてもらえれば、皆さんにとってもそうなのではないかと思います。

これは新しいスタートです。新しいチャンスなのです。私たちはチャンスをもらったんです。

今まで経験してきたことの尊さを学ぶための。

同じ空間で、一緒にいることの尊さを。

(この機会が無ければ)その素晴らしさはわからなかったかもしれません。

ですので皆さん、お越しくださり、本当にありがとうございました。

(皆さんが来てくれたことが)ここに関わるすべての人達にとってとても意味のあることなのです。

お互いに拍手を。

(拍手)

そしてまた、Rena Ramaにも感謝申し上げます。音楽のヒーローたちです。

HåkanとAndersは私は一緒に育ったようなものですし、Urbanと知り合いになったのは(他の2人に比べると)最近のことですが、とても心地の良い関係を築かせてもらっています。音楽的にも、社会的にも。

一緒に演奏させてくれて、ありがとう。

(拍手)

Håkan:こちらこそ、一緒に演奏してくれてありがとう。

Anders:また、Boda Hembygdsföreningの皆さん、その中のGunnar Brandin(グンナル・ブランディーン)、ありがとうございました。彼らに拍手を!

(拍手)

Roger:そして音響と配信とその他…色々な機器を担当してくれたPetter Berndalen(ペッテル・ベーンダーレン)!

(拍手)

⑭(1:12:33)”Lillpasavalsen” av Håkan Olsson(「リルパーサヴァルセン(リルパーサのワルツ)」ホーキャン・オールソン作曲)

(1:17:06~)

Roger:Håkan Olsson!

Urban Andersson!

そしてAnders Eriksson!

HåkanとAnders:そしてRoger Tallroth!

Roger:では、クラシックな(古典的な)曲、私にとってはクラシック音楽のような曲を演奏したいと思います。今までに…1回以上は弾いたことのある曲です。

曲の背景についてはあまりよく知らなくて、様々なバージョンを聞いたことはあるのですが、Håkanは関係しているみたいですね?

Håkan:またAndersとMajaの話に戻ります。

彼らをお祝いした機会がこれまでに何度かありましたが、彼らが結婚したのが今年でちょうど50年前になるんです。まだ言っていませんでしたが。

そして私はその結婚式にありがたくも参加させていただきました。

もう1人そこにいた人物というのが、演奏家であり友人でもあるFredrik Lindh(フレードリック・リンド)です。おそらくここにいらっしゃる皆さんの多くがご存じの演奏家だと思いますが。

彼は結婚式のパーティーが半分くらい過ぎた頃、私のところにやってきて聞きました。

「Håkan、Brudvals(結婚式のワルツ)とか作ってきた?」と。

私は「いいや」と答えました。

考えてはいましたが、実際には作っていなかったので。

そこで、結婚式の(パーティーでの)お祝い(歓談)がどんどん進んでいく中で、私たちはちょっと部屋を抜けだしました。

その結婚式は古い学校で行われていて、砂場があったので、そこに座って、何か良いBrudvalsは見つけられないだろうか…と、色々と弾いてみました。

美しい候補はいくつかありましたが、“飛翔するようなもの”(※=これだと思う曲/メロディ)――という言い方を普段しますが――はその中にはありませんでした。

すると、Fredrikが言ったのです。

「実は、Brudvalsを作ってきたんだ」と。

(笑いが起きる)

Fredrikがどういう意図だったのかは私にはよくわかりません。もともとその曲をBrudvalsとして演奏するために作ってきたのか、それとも違うのか。

彼に訊ねてみないとわかりませんが、とにかくそのBrudvalsを弾くことになりました。

Roger:私が聞いたのは、彼はもともと、その曲をまったく別のカップルに向けて準備していたのだと聞きましたけど(笑)

(笑いが起きる)

ただし真偽のほどはわかりませんよ。だから、Håkanに話してもらいたいと思ったんです。

Håkan:そうですね、彼は少し曖昧だったから、この曲がその機会に向けて本当に作られたものなのかはよくわからないんですよね。

Roger:私、今までのキャリアの中でこの曲に関しては「嘘の紹介」をしてきたことを認めますね。

私が聞いていたのは、「この曲はメイン料理とデザートの間に作られた曲で、駐車場の黄色の242(※車の車種だと思います)の横で、そこで作られた」と聞いていたんです。

Håkan:もしかしたらその車も駐車場にあったかもしれません、あまり覚えていませんが。

砂場に行ったのは覚えていますが。

Roger:とにかく、そんな色々な噂が生き残っているのですが、このBrudvalsを演奏したいと思います。

この曲はもはやマイルストーンになりつつあります。色々な人に好んで演奏されています。世界中で。

Håkan:「Majas brudvals(マイヤの結婚式のワルツ)」という曲です。

実はMaja自身が、あそこに座っています。

Roger:花嫁があそこに座っていますね。

Maja、今いちど結婚式をあげなくてはいけませんね!

もう一度、結婚してはどうですか。同じ人と。

⑮アンコール1(1:22:40~)”Majas brudvals” av Fredrik Lindh(「マイヤの結婚式のワルツ」フレードリック・リンド作曲)

(1:23:43~)

Anders:今回はもう外へ行きません(※外へ行く=アンコールがかかる前に一度舞台袖に行く)。ただ、私自身は外に行くのがおもしろいなと思っていますけど。

今まで一度もやったことがないので。

(笑いが起きる)

いやあの、外には行ったことはありますけど、こういうコンサートのアンコールの前に外に出たことは無いという意味で…

Roger:やらないでよ。そしたら二度と戻ってこられなくなるから(笑)

(笑いが起きる)

Anders:ともかく、もう1曲弾かなければいけないなと思います。

(お客さんから「Ja(Yes)ー!」という声が上がる)

そしてその後は、私たちは(湖などに)泳ぎに行くつもりです。

Roger:うん、シャンパンの中でね。

Anders:Håkan自身の最初の子どもが生まれた時のことは、私にとっても大きな出来事でした。

Håkanと私は長い間ずっと一緒に育ってきましたから、子どもの頃も、十代の頃も、一緒に泣いた時も。お互いに助け合ってきました。

そんな友人に子どもが生まれるというのは、とても特別なことでした、皆さんもおわかりかと思います。子どもが生まれるというのは…。

Roger:こうして色々な感情が皆さん1人1人にも訪れます。

Anders:ですので、私はSara(サーラ※Håkanの長女の名前だと思います)にこの曲を作りました。

かなり昔のことです、92年前のこと…いや92歳じゃないからね。

(笑いが起きる)

1992年のことです。

Håkan:(娘の年齢は)29歳。

Anders:彼女は20歳だそうです(29歳を20歳と聞き間違える)。

(「え、本当に…?」とAndersとHåkanがお互いに見つめ合う)

お客さん:30歳じゃないの?

Anders:30歳だ!そうですね、ありがとう。

Håkan:29歳って言ったんだ。

Anders:ああ、そうか。ちょっと訂正します。29歳です。

⑯アンコール2(1:25:21~)”Saras polska” av Anders Eriksson(「サラのポルスカ」アンダーシュ・エリクソン作曲)

※タイトルわかったので追記しました。10/16

(終わり)


以上でRena RamaとRoger Tallrothのコンサートの和訳は終わりです。

とても盛り上がるコンサートで、おもしろかったですね。

特にRena Ramaの3人のことは私は初めて知ったので、このコンサートを見る(訳す)ことができて本当に良かったです。

Rogerの演奏も、やっぱりすごいなと思いました。

お読みいただき、ありがとうございました。