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短調=暗い、じゃない。

/ スウェーデンの民族楽器「ニッケルハルパ」奏者

おそらくどこかに既に書いているかと思いますが、今日Twitterの方にも書いたのでこのことを。

短調=暗い曲。長調=明るい曲。

というのは現代に生きる私たちの感覚で判断していることに過ぎなくて、100年前・200年前の人達が同じ感覚を持っていたとは限りません。というか、おそらく違う感覚を持っていたでしょう。

スウェーデンの古い曲には短調の曲が多いですが、これら全てを「暗い曲」と言い切るのはとても安直です。結婚式の曲なども短調が多いですが、それは「結婚式で暗い曲を流していた」ということではありません。(もちろん、「暗い曲だなあ」と思うのは全然かまいません。ただ、その見方が絶対ではないし、ましてや昔の人達が同じ感覚を持っていたとは限らない、ということをお伝えしたいのです)

日本の昔からの曲にも短調が多いですよね。暗い曲もあるかもしれませんが、お正月などの晴れやかな状況で演奏される曲もあります。それはそそもそも、短調=暗い、という認識を当時の人が持っていなかったからではないでしょうか。

スウェーデンの曲も、ウップランド地方やハランド地方など、海側で外との交流が盛んだった地域の曲は長調が多く、山間の閉ざされた地域では短調の曲が多いです。それは海側の地域の曲は入れ代わりが激しく、今現在伝わっている曲が比較的新しめのものが多い(ヨーロッパの他国の音楽が入ってきやすかった)のに比べ、山間の地域では外との交流が少なかったために比較的古い曲が守られやすかったから、という説明を聞いたことがあります。つまり古い曲は短調が多く、新しいものは長調が多い、と。実際、かなり古い曲はめちゃ短調です。というか「調」という概念が無いような感じの曲もあります。


私達の感覚が絶対ではない、というのを私が口を酸っぱくして言われたのは、大学生の時でした。私は日本文学を専攻していて、色々な教授によく言われました。「研究の際は、今の私達の感覚で当時の文学を見てはいけない」。

例えば金銭感覚などはわかりやすい例ですが(今と100年前の「1円」の価値は全然違う)、他にも結婚観や恋愛観なども今と昔では全く違います。近世文学でいえば、「男色」も普通でした。あと職業毎に置かれている状況というのも、私達には全然想像がつかないものばかりです(私は自分が抱いていた「遊女」のイメージと、授業で聞いた遊女の状況に結構ギャップがありました)。

文学に求められたも役割もまた、全然違います。例えば(すごくざっくり言うと)、平安時代には「文学」は「宮廷で自分の使える女性を皇后にしてもらうために天皇に目を留めてもらえる(目立つ)チャンス!」として、女性たちの家庭教師的な役割であった「女房」によって利用されていた政治的手段でもあったのです。紫式部とか、清少納言とか。だからあんなすごいものを書いたのだ。

(違うけど、あえて例えるなら「自分がプロデュースするアイドルを売りこむために様々な企画を考えるプロデューサー」のような感じでしょうか。その企画として最も人気だったものが文学、みたいな。強引な例えですが)


文学のことを書きすぎました。

ちなみに「自分の感覚が絶対じゃない」と知るのって、すごくおもしろいし希望に満ちていると思います。とくに落ち込んでいる時。「今の状況は、自分が思っているほど悪くはないのかもしれない」とか「自分の失敗は周りからしたら大したことじゃないのかもしれない」と思えると、元気が出てきます。

「自分の常識が絶対じゃないことを文学を通して学べ」。

そのことを、文学研究なんて全然していない今でもよく思い出します。


113曲目は「”Sigrids polska” av Johan August Andersson」です。この地域の曲は、Gマイナーがとても多いそうです。昨日の曲とごちゃまぜにしないように気をつけました。

今日もお読みいただき、ありがとうございます!