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「Gubben Noach(グッベン・ノア)」というスウェーデンの曲(ドリンキング・ソング)について

/ ニッケルハルパ奏者

ニッケルハルパをはじめて「最初の練習曲」として弾かれる曲の一つに、「Gubben Noach(Noak)」(グッベン・ノア)という曲があります。

少ないキーで(指を移動させずに)弾くことができるので、最初の練習曲に向いています。

私の留学先のDitte Anderssonというニッケルハルパ奏者(先生)がよくこの曲を使っていたのですが、そもそもこの曲はスウェーデンでは一般的によく知られているものだということなので、この機会に調べてみました。

今日はこのGubben Noach(Noak)について書きます。

作者・年代など

Gubben Noachは、作者不詳の曲(メロディ)に、Carl Michael Bellman(1740-1795)という詩人が歌詞をつけた歌です。

一番古い記録は1766年のものですが、「おそらくそれより以前に作られたのではないか」と言われています。

こういう歌です。

↑この音源の写真に写っている人がBellmanです。

短いメロディが続いていて、全部で8番まであります。音源だと途中が一つ抜けて7番になっています。

ニッケルハルパで弾く際には音をもう少し簡単にして弾いています。

ドリンキング・ソング

この曲、「歌」と書きましたが、正確には”dryckesvisa”(ドリュッケス・ヴィーサ)、ドリンキング・ソングと呼ばれるものです。

ドリンキング・ソングは、お酒(食事)の場で乾杯の際などに歌われるものです。神聖な歌というよりも、わいわいと皆で一体となって楽しく歌う歌、という感じです。

お酒の席で、誰かが立って歌い始めたら、皆も一緒に歌い始めて、最後に皆で「乾杯!(スコール!)」と言ってお酒を飲みます。普通は乾杯というのは飲み会の最初にだけするもの、というイメージがあるかもしれませんが、ドリンキング・ソングに関しては飲み会の間中、何度でも乾杯します。

私は伝統音楽のことで留学するよりも前に、ルンド大学にも留学していましたが、そこの学生オケ(吹奏楽)の集まりでもよく皆さんやっていました。

北欧のドリンキング・ソングのルーツは中世までさかのぼるそうで、主に1600~1700年代(もしくは1800年代)頃にかけて、詩人たちによって作られました。メロディも詩人によって作られたものもあれば、Gubben Noachのように作者不詳のメロディに詩をつけたものや、他にも外国のメロディを持ってきたものなど、色々とあるようです。

作者が明確(有名)で、歌とセットで彼らの名前がよく知られていた、というのがdryckesvisaの特徴の一つです。

これらのドリンキング・ソングは、作られた同時代にすぐに広まり(作詩者が生きている間に)、一般の人々に歌われて親しまれました。

1700年代終わりから1800年代にかけて、ドリンキング・ソングは最も盛り上がりました。

その後、”skålvisa”(スコール・ヴィーサ、乾杯の歌)というものが出てきて、dryckesvisaは次第にskålvisaにとって代わられるようになったそうです。skålvisaは、dryckesvisaよりも短く機能的(本当に乾杯のための歌)で、dryckesvisaよりも作者があいまいなものも多いそうです。

Carl Michael Bellman(1740-1795)

ドリンキング・ソングの有名な詩人(宮廷詩人)の一人がCarl Michael Bellman、通称Bellman(ベルマン)です。

彼は多くのドリンキング・ソングを作り、当時も、そして現代に至るまでも非常によく知られている人です。

Gubben Noachは、曲(メロディ)は作曲者不詳のものを使っているそうですが、他の歌ではBellman自身が作曲したものもあるようです。

話がそれますが、私はルンド大学にいた頃、興味本位で音楽史の授業をとっていました。でも英語がよくわからなかったり、旧石器時代くらいの石の音を再現した音源(=当時の音楽)みたいなのを授業の最初から聞くことになり、眠かった記憶があるのですが、その授業の中でもBellmanのことについては熱心にふれられていたのを覚えています。試験前にもBellmanのことばかりノートにまとめていました。

Bellmanはスウェーデンの「国が認める詩人」のように言われているそうで、「北欧のアナクレオン(古代ギリシアの抒情詩人)」と称されることもあるそうです。後世のスウェーデン文学・音楽にも大きな影響を与えました。

Gubben Noachの歌詞・内容

gubbenは「おじさん」という意味があります。Noach(Noak)はノアの方舟(はこぶね)の「ノア」です。

直訳すると「ノアおじさん」です。

ノアを使っていることからお気づきかもしれませんが、この詩は聖書の人物であるノアをモチーフとし、かつ滑稽化した内容になっています。

聖書の内容では、「ノア達が乗った方舟は洪水に耐え、アララト山にたどり着いた」となっているそうですが、Gubben Noachの歌ではそのノアが方舟を降りたあとに「大地にぶどう畑を作って、たくさんのワインを作った(1番)」という陽気なお酒の詩になっています。

《歌詞(詩)の1番のみ抜粋》

Gubben Noach, Gubben Noach
Var en hedersman,
När han gick ur arken
Plantera han på marken
Mycket vin, ja mycket vin, ja
Detta gjorde han.

グッベンノア(ノアおじさん)、グッベンノアは、

尊い人(紳士/素晴らしい人)

彼は方舟から降りて

植物/樹(ここではぶどうを指す)を大地に植えた

たくさんのワイン、そう、たくさんのワインを

彼は作った。

(訳・峰村。歌詞は8番まであり、1番と同じようなノリのものが続きます)

歌は一躍有名になり(広まり)、この歌はBellmanの作品の中で最も知られるものの一つとなりました。

この歌以外にも、Bellmanは同じようなスタイルで、聖書の人物をモチーフとしたドリンキング・ソングを作りました。

最初にこの歌を発表した際には、教会からの弾圧を恐れて、歌を匿名で全国に発表したそうです。(発表の際には、”skillingtryck”(ブロードサイド、ブロードシート)と呼ばれる印刷を使用していたそうです)

しかし、多くの民衆はそれらの歌がBellmanによるものだとすでに気づいていました。教会側からの反発もあったようですが、その時にはすでに歌が世に広まっていて、Bellmanもあとから自分が作者であることを公表しました。

ちなみにですが、私が眠気とたたかいながらルンド大学で受けた音楽史の授業の記憶によれば、聖書を滑稽化した内容にしたのは、「聖書(教会)批判」という意味合いよりも、「聖書に登場する人物=よく知られている人物だったからこそ、一般の人々にも伝わりやすいようにモチーフとして使った(よく知られている人物たちなので、モチーフとして使いやすかった)」と考えられるそうです。

童謡として歌われる(Gubben Noak、Björnen sover)

この曲は、今ではbarnvisa(童謡)としても様々なバリエーションで広く歌われています。

たとえば「Gubben Noak」や「Björnen sover(くまが寝ている)」といったタイトルで親しまれています。

童謡としての歌詞はBellmanのものとは少し違っていて、たとえばノアは「大地に植物/樹を植えた人」という記述だけで、ワインのことにはふれなかったり(ワインの部分の歌詞は、最初の「グッベンノア~」の歌詞が繰り返されるようになっている)、

「Björnen sover」は全く別の歌詞で、ノアとは関係ない「くまの歌」(「くまさんが寝ているよ」という歌詞)になっていたりします。

この「Björnen sover」は、日本でも「むっくりくまさん」という遊び歌として歌われているようです。こちらの動画では、最初に手遊び歌として、そして後半に、スウェーデンでも行われるような遊び方が紹介されています↓


Gubben Noachについては以上です。

今まであまりちゃんと調べてこなかった曲なので、調べてみました。

お読みいただき、ありがとうございました。


このページを書くにあたり、以下のWikipediaの情報を参照させていただきました。

参考:Gubben Noach(スウェーデン語)https://sv.wikipedia.org/wiki/Gubben_Noach

Carl Michael Bellman(スウェーデン語)https://sv.wikipedia.org/wiki/Carl_Michael_Bellman

Dryckesvisa(スウェーデン語)https://sv.wikipedia.org/wiki/Dryckesvisa

ブロードサイド(日本語)https://ja.wikipedia.org/wiki/ブロードサイド

あまり参照していませんが、Gubben Noachには英語のページもあるようです→https://en.wikipedia.org/wiki/Gubben_Noak