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違和感があるから、良い。

/ ニッケルハルパ奏者

今日も、昨日に引き続き11月の講座と演奏の準備をしていました。講座部分の手直しと曲目の流れを作りましたが、もっとおもしろくできると思うのでもう少し練ってみます。


最近、スウェーデンに今いる知人(日本人)が日本に一時帰国した際に「日本はやっぱり過ごしにくいと感じた」と言っていたそうです(又聞きです)。

私も2010年に留学してからついこの前まで約10年間、「スウェーデン好き」兼「東京(日本)嫌い」を自負していたので、その気持ちはわかる部分があります。私自身も似たようなことを体験してきたし、海外に行った人からはよく聞く話です。

今現在私が東京が好きかと聞かれると、正直今は好きか嫌いかであまり考えなくなりました。スウェーデンは大好きだけど、自分が今いる場所ではないから、反対に言えば「好き」で終わりなのです。東京(日本)は自分の故郷だし今私が選んで生きている場所だから、好きとか嫌いというよりも「私がここでどうしていきたいのか」を考えさせてくれる場所です。


東京や日本に対して抱いてきた違和感。それが以前はとても不快でした。その違和感をなるべく取り払って、自分が幸せになれる場所で暮らしたかったです。

今はそこから気持ちが少し変化して、むしろその違和感があることが自分にとって良いことなのではないかと思うようになりました。

ここが自分の快適な居場所だと思ってそこに同化してしまったら、多分私は自分の成長を止めてしまうでしょう。というよりも快適すぎて飽きるでしょう。少しくらいの違和感を感じている方が、「他人や世の中の流れとは違う存在である自分」が進むべき道と、自分自身の芯を強く持つことができるようになる気がしています。それは私を成長させてくれるものです。

自分と同じ考えや似た考えの人達の中にいたらその考え方が当たり前になって、いざ違う価値観を持つ存在を目の前にした時に心が揺れます。「この人はなんでそんなこと言うんだろう?」と。でも自分と違う存在を日々目にしていると、「私はどうしたいのか?」「私はこうなんだ」という思いを強くすることができるし、それは誰と一緒にいても揺れることなく、私をもっと私らしくするきっかけになってくれるのだという気がします。同時に、あの人は自分とは違うんだ、ということもよくわかります。

「自分と同じ考えの人」というのも実は幻想に過ぎなくて、人は全員違う存在で違う価値観を持っています。スウェーデンにいると、見た目や出自が明らかに違う(自分が外国人だから)のでそのことを忘れずに済みます。日本だとそれを忘れがちで、そのせいで他人と自分が違うと決定的にわかった瞬間にショックを受けたり、「他人と違う自分」を責めたりします。でもそれは逆で、自分が他人と違うとわかる瞬間というのはむしろ「そうそう、それでいい。もっと自分らしくいろ、もっと突き抜けてみせろ」という誰かからの合図のようなものです。違和感を通して私は自分を知ることができるし、「違和感の中でも自分を貫く勇気を持て!その道を突き進め!」と誰かに力強く励まされているような気持ちです。

さあ、お前はどうする?周りに染まるのか?それとももっと突き抜けてみせるのか?

自分らしさを選択し続ける、その勇気と覚悟がお前にあるのか?

そんな感じで良い意味で挑発されているような気持ちです。それが少し心地いい。

そこを突き抜けた先に、もっと楽しいことが待っています。

今日もお読みいただき、ありがとうございます!