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「宙ぶらりんで曖昧な気持ちを抱えたまま前に進めるタフさ」を目指して

/ ニッケルハルパ奏者

伝統音楽と直接は関係無い話題ですが…

人間関係のお話です。

音楽でもなんでも、私は「結局は人との関係性(信頼関係)が重要」と思っていまして。

人と関係性を続けていくうえで、以前から少しずつ考えていたことを、言葉にしてみたいと思います。

宙ぶらりんで曖昧な気持ちのまま前に進めること

ここ数年で、自分が大事だなと思うようになったことの1つに、「宙ぶらりんな気持ちのまま、前に進めること」というのがあります。

これは、白黒はっきりつけたり、「あの人はこうだ」「あの人のあの時の言動の意味はこうだ」と決めつけるよりも、もっと前の段階(白黒はっきりつかずに、「よくわからないな…」と思っている段階)にあえて留まって、

「曖昧」で「宙ぶらりん」な気持ちのまま・物事や相手への判断を保留にしたまま、とりあえず前に進む…ということです。

白黒はっきりつけると人間関係が壊れることもある

このことを意識し始めたのは最近(ここ数年くらい)で、以前はこういう考え方をすることはありませんでした。

なんとなく、白黒つけなくちゃいけないような気がしていたからです。その方が上手くいくと思っていたんですね。

これはこういうものだとか、絶対にこうすべきだとか、この人はこういう人だとか、自分はこういう人だとか。

でも実際、白黒つけてしまうと、どこかしらで人間関係のわだかまりができることが多くて。

相手か自分自身か、もしくはその他の誰かが傷ついたりして、関係性自体が終わることも少なくないと感じてきました(そしてそのことによって更に自分が傷つく)。

そうすると、もしかしたら上手くいくはずだったかもしれないことも上手くいかない。

それ以前に、そもそも何も始まらない。

そういう状態を自分が望んでいるかというと、そんなことは無い…と気づいたんです。

(もちろん、そういう原因に限らず、「合わない」という理由で自然と疎遠になる関係性もあります。離れること自体は悪いことではないと思います)

結果の判断を保留にしたまま、明日自分がどうするかを考えられること

それよりは…

判断を保留にしたまま・結果を曖昧にしたままで、次のステップや明日のことを考えられること。

自分と相手との間に何か問題があったとしても、それを大きな問題とせずにそっと水に流せること。

今の状況を受け入れられること。

相手の言動の裏や気持ちを推しはかりすぎずに、「まあ、自分にはわからないや」と思ったまま、とりあえず明日も明後日も数か月後も、(相手のことをわからないままで)普段通りに相手に接し続けられること。

そんな風に、「決着をつけずに、前に進める力を身につけること」が、大事なのかもしれない(=自分に必要なのかもしれない)と思うようになりました。

もちろん、水に流してはいけない問題(犯罪とか)もあるし、毅然として決着をつけなくてはいけないこともたまにはあると思いますが、普段自分の人生に起きることは、そんなに大きな問題というのはあまりなくて。

もっと小さくてどうでもいいような(本人にとってはどうでも良くないとしても、周りからしたらささいな)ことだらけです。

決断が迫られることに関しても、「今回はこの決断をとる」という風にすれば良いだけで、それを人間関係における決着…みたいな風にする必要は無いと感じるようになりました。

意志の力で変えられる(?)気がする-つらさを突き抜けると楽になる

こういうのって、もともとは性格が影響するところが大きいのかなと思っていたのですが、最近意外と、「意志の力でできること」なのかもしれないと思うようになってきました。

と書きつつ、白黒はっきりつけたがりな私には難しくて、よく葛藤するのですが。

そんな時、少し頑張って踏ん張って、「曖昧なものを『あえて』抱えたまま、深く考えずに前に進もう…」と試みています。

おそらくですが、最初は「頑張って」意識していることでも、徐々に習慣化されていって、そういうやり方に慣れていけると思うので、一番大変なのは最初だけだと思うんですね。

実際、今もほんの少しだけ慣れてきて、宙ぶらりんな気持ちや状況のまま前に進めた時に、「楽だ」と感じるようになってきました。

葛藤するのは、自分が大切にしていることだから

つらいのは、葛藤しているその瞬間です。

「このまま前に進んでも良いのか?でももやもやするなあ」と思って、逡巡している瞬間が一番つらくて。

そこを吹っ切れて「まあいいや。前に進んじゃえ」と思うと、とても楽になります。

私の場合、葛藤するのは、「そのもやもやにこだわらないと、自分が消えてなくなりそうな気がするから」です。

自分がこだわっているところというのは、自分にとってとても大切だったり、重要だったり、譲れないところだったりするので、そこを譲ってしまったら自分が自分でなくなるような気がするから、譲ってしまって良いのだろうか?と葛藤します。

ただ、実際のところは、「譲ってしまったら自分がなくなる」ということはあまりありません。

たいていは、譲ったことによって「新しくできた道」が、自分自身の可能性を増やすことになるし、選択肢を増やすことになると感じています。

未来の自分にも、その葛藤を乗り越えて、楽になって、選択肢を増やしていって欲しいと思っています。

(ただし、本当に自分の尊厳が失われる場合は譲らなくて良いと思います。私の場合はそういうケースは少ない、というだけなので)

自分が正しい、と思ってしまうけれど…

物事の見方はたくさんあって、どうしても「自分の見方は正しい」と盲目的に思ってしまいがち(しかもそのことに自分は気づいていない)ですが、自分が「絶対に正しい」なんてことは無いですよね。

あの人には違う風に見えているのかもしれないし、人それぞれ、違う事情があります。

そこから見えているものは自分と全然違うかもしれないから、自分にとって、たとえば「失敗だ」と思うものも、人によっては「成功」に見えるかもしれないし。

私の場合、よくあるのは「失敗した。これは相手(もしくは自分)のせいだ」と、何かを「失敗だ」と決めつけて、誰かや自分のせいにしたくなることなのですが、

それが、よくよく考えたら別に失敗ではなかったりして、「相手も自分も責める必要は無かったのに、私はいったい何をやっていたんだ?」と後から気づき、後悔することです。

(「とはいえ、その時は『これじゃダメだ』と思ってしまったのだから、それはそれでしょうがない」という見方もありますが)

「自分にはわからないし、わからないままで良い」と思えること

相手の事情や、相手の考えていること。周りの人が受ける印象。

すべてを知ることはできない…どころか、そういうものの「大部分」が、自分にはわからないままだと思うので。

「自分にはよくわからないや」の余地を残しておくこと。

「自分が正しいわけではないのだろうな」「別の見方が常にあるのだろうな」と気づいておくこと。

わからないなと思う余地を残したまま、判断を保留にしたまま、今や明日、自分のやるべきことに取り組めること。

そういう柔軟なタフさを身につけていけたら良いなと思っています。


あ、あと書き忘れましたが、「相手への指摘やアドバイス」(君は○○を絶対にやるべきだとか、いつも××ができてないから改善して欲しいとか)というのも難しい問題ですよね。

指摘しないとどうしても困ることなら、指摘するのも1つですが。

指摘って、そこに信頼関係(もしくは立場の正当性)が無いと、かえって逆効果になることがよくある…と思っています。

(「あなたは間違っている」と指摘されて、嬉しい人はあまりいないかな、と…。たとえそれが自分のためになることだとしても、言い方を考える必要があるし、言わなくても済むことなら、言わなくて良いかなとも思います。指摘された側の人がぐっと堪えられるタイプの人だったり、成熟している人だったりすると、良い感じに流してくれますが)

「指摘する」「言葉で伝える」以外の選択肢をたくさん持てたら素敵だなと思います。

人間関係って、以前は本当に「面倒だな」と思うことばかりで、色々疲れて嫌になってしまったことも何度もありました。

が、その面倒くささも含めて、「まあ、いいか」と思えるようになったら、楽しいかなと思っています。

では、皆さま体調に気をつけて、今週も良い一週間をお過ごしください。