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海外に行くと大胆になれるのは、自分が周りと違う存在であることを受け入れやすくなるから

/ ニッケルハルパ奏者

私は、海外に行くと謎に大胆になれる時があるのですが、これは、「自分と周りが違う存在だ」ということを、自分が受け入れやすい環境になるからなんだろうな、と思っています。

今回はこのことについて書きます。

海外に行くと大胆になれる

私だけではないと思うのですが、海外に行くと、謎に大胆になれたりするんですよね。

のびのびしたり、自由になれたり。

服装が変わったり。

普段だったら恥ずかしくてできないようなこともできるように思います。

これは、「海外だとのびのびしている人や大胆な人が実際に多いから」というのもあるかもしれませんが、私としては、「周りと同じであろうとする呪縛」から逃れられる、というのも大きいと思っています。

自分と周りが明らかに違う、という状況

私の場合は「海外=スウェーデン」だったのですが、スウェーデンに行くと、「自分が周りと違う」ということが、普通に生きているだけでけっこう浮彫になるんです。

まず、見た目が全然違いますからね。

ファッションも違うし、行動パターンも、やっぱり違います。

別に、「自分が周りと違う存在だ」ということ自体は、どこにいたって本当はそうなはずじゃないですか。

日本にいようが、どこにいようが、自分は周りとは違う存在ですよね。

でも、日本にいるとつい「自分は周りと違う存在だ」っていうことを忘れてしまって、周りと同じでなくちゃいけない、って無意識に思い込んでしまう気がします。

少なくとも私はそうなんですよね。

それが、スウェーデンに行くと、「諦めがつく」んです(笑)

見た目が違うだけではなくて、最初の頃はスーパーの買い物の仕方もわからないし、正直「入口」と「出口」のスウェーデン語すらもわからない。

(さすがに入口・出口くらいは雰囲気でなんとなくわかりますが)

そういう状況で「常識的に振舞おうとする」って、もはやコントですから。

わかってないのバレバレなんですよ(笑)

だからもう、「私は常識外の人間です!」って感じで開き直れるんですよね。だってわかんないんだから、しょうがないよね、って感じで。

環境の話では無くて、私の内側の話

で、さきほども書きましたが、これって本当は環境の話ではなくて、全部私自身の内側で起きている話なんですよね。

私は最初の留学を終えて日本に帰ってきた時、日本が嫌で嫌でたまらなくて(スウェーデンでホームシックになったことも一度もなかったので)、それくらい、日本では窮屈さを感じていたのですが、

何度か留学を重ねるうちに、「これは日本の問題というよりは、自分自身の問題なんだな」と思えるようになりました。

日本に帰ってくると、つい、常に「常識人であろう」としてしまうんです。

それ自体はまあ、大事なことでもあるのですが(笑)、行き過ぎると自分らしくなくなってしまいますよね。

日本人が日本で生きていくのは、他の国で移民として生きるよりも、制度面ではかなり楽(労働許可とかビザとか必要ないので)だと私は感じているのですが、「日本で日本人をやること」の心理的プレッシャーって、実はあるんだな、って思います。

私としては、日本でも、自分が少しくらい「変」でいることを自分に許したいなと思うし、脇道を歩くことを楽しんでいたいな、と思うんです。

と書きつつ、毎日普通に生きているとそのことをすぐに忘れてしまうので、今回こうしてブログに書いてみました。

スウェーデンにいる時の、あの「多少変人って思われてもいいや(すでに思われている気がする)」の感覚、すごく好きだったので(笑)あの感覚を東京でも適度に持っていたいと思っています。


ということで、海外に行くと謎に大胆になれるという話でした。

海外に行くとのびのびできるという人は、おそらく、本来はのびのびしている人なんだと思います(笑)

環境を変えることで本来の自分が出てくるんじゃないかと思うんですよね。

私も、のびのびした自由な気持ちを持ちながら、生きていきたいと思います。