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同じ楽器をやっている=皆同じグループ、ではないし、相手と自分は全然違う

/ ニッケルハルパ奏者

すごく書きにくいというか、私も言葉にしにくいと思っていることなのですが、書いてみますね。

ニッケルハルパを始めてから、ずっと感じ続けていたことについてです。

同じ楽器をやっているだけで、「皆同じグループ」みたいに思っていた

ニッケルハルパが少し特殊な楽器なのでなんとも言い難いのですが、この楽器を始めてから、ニッケルハルパという楽器で自分と他人がくくられることが多いなと思って。

それが、ちょっと嫌だな、ちょっと違うな、って思ってたんですよね。別に他の人が嫌だとかではなくて(笑)

ニッケルハルパをやっている人って日本ではやっぱり少なくて、ネットワークも狭いんです。

なので、以前は新しい人が始めるとすぐにその人の情報が話題にのぼるようなそんな感じで、私のような、もともと慎重で隠れていたいタイプにはそれがちょっと怖くもあったのですが(笑)

(知らない人がなぜか自分のことを知っている、しかもファーストネームで呼ばれている、みたいな)

で、そういう中にいると、自分の中で次第に勘違いしてくるんですよね。

「私達は皆同じグループに所属しているんだ」みたいな気持ちになるんです。

…でも、それが私には窮屈だし、違和感だなって思いました。

繰り返しますが、別に他の人が嫌なわけではなくて、「気がついたらそう思い込んでいた」という点にちょっとひっかかっていたんですよね。

しかも、それをずっと言葉にできなかったから、「うーん、なんなんだろう?」って思っていました。

皆さんそれぞれ、別の人だし、正直、楽器以外の点ではお互いに知らないことばかりなのに、「急に近い感じになりすぎる」というか。

距離感が少しバグった近づき方をしていた…ような気がしました。

他の人のことも正直よく知らないのに、知った気になっていた

大人同士が親しくなるのって、結構時間がかかると思うんです。

なのに、(さっき書いたような感じで)ニッケルハルパという共通項だけで急に近づいてしまって、私としては、その人のことを知らないのに「知った気になっていた」な、と思ったんですよね。あくまでも自分自身の話ですが。

それがちょっと怖いな、って思いました。

知らないのに知った気になって、仲間みたいに思いすぎるのって、その人のことをちゃんと見ていないというか、自分の都合の良い部分しか見ずに付き合うことになるし、都合が悪い部分を切り捨てることになるんじゃないかな、と思ったんですね。

実際、私で言えば、たとえばニッケルハルパを始めてすぐの頃にできた周りの人との関係性を、なぜかずっと続けなくちゃいけないような気持ちになったり(変化させてはいけないと思ってしまった)、

自分の「役割」がなぜか固定化されて、それに従った振舞いをしなくちゃいけない、って思ってしまったり、ということがあったんですよね。

周りに「こういう自分が求められているだろう」(こういう自分しか見せてはいけない)というものだけ提供していた時期があった、というか。

(以前書いたような、相手の下に入らなきゃ、と思っていたのもその一環だと思います。気づいていないふりをしなくちゃ、とかもそうですね)

これはもちろん自分の思い込みなので、自分で変えられるものだし、今はあまりそういう風に思わなくなってきたかもしれませんが、そういう時期が確かにあって、つらかったな、って思ったんです。

自分の問題ですけどね。

それをもし、自分が他人にもやっているのだとしたら、やっぱりそれは違うし、人のことをそういう風に見るのはやめたいなって思いました。

相手を個人として見たいし、個人として付き合いたいし、相手と自分は全く同じではない

それぞれの人を、私はもっと「個人」として見たいと思ったし、私も、「個人」として「自分」でいたいなと思っています。

そこで、「同じ楽器をやっている人」として、自分が何かにくくられるのも、誰かを何かでくくるのも、私はちょっと抵抗あるな、って今は感じているんです。

同じ楽器だけではなくて、同じ音楽とかでもそうです。

くくってしまうと、お互いの違いに蓋をしているというか、ちょっと無視しているように私は感じてしまうんですね。考えすぎかもしれませんが。

親しくなるにしても、「個人同士の付き合い」から発展していくものだろうと思っているので、カテゴリで親しい感じになるのって、入口としては良いけど、そのまま突き進むと後で軋轢を生むようにも感じています。

先日、学生時代の部活のわだかまりの話を書きましたが、あれも「同じパート」というくくりで自分と相手を見すぎたことにわだかまりの原因があったような気がしていて、それって、単位を変えて、どの集団でも起きうるよな、と思うんですよね。

相手と自分は同じ、って思いすぎるのはやっぱり怖いし、違うな、と。

それが、狭い世界だと特にそういうことが起きやすいし、相手と自分を同系列だと勘違いしやすいから、そこで線引きして冷静でいたいなって思っています。

お互いに、立っているところも目指しているところも全然違うので、それをわかりながら、楽器も音楽も楽しんでいきたいです。


という、結論のあるようなないような話でした。

この気持ちを私はずっと前から持っていたので、ちょっと言葉にしてみようと思いました。

たぶん「わかるな」って思う人はいると思うんですよね。分野とかに関わらず。

何かのネットワークに、意図せずに自分がのみこまれるのって、嫌じゃないですか。私はすごく嫌なんですけど(笑)

自分からいく場合は良いのですが、私はちょっと、取り囲まれると身動き取れなくなる感じがしちゃって。その気持ちをわりとずっと持ってたんですよね。

でもこの楽器は楽しいし、続けていきたかったので、自分なりにこの8年くらい?どう折り合いをつけたら良いのかをずっと考えてきました。留学中もです。「東京に帰ったらこのがんじがらめの状況(※私目線です)が待っている、果たして私はどうしようか…」と。

周りのクラスメイトに相談したりもしていましたね。懐かしいです。

それで留学後、地方に就職しようかと思って面接受けたりね、色々しましたね。誰も私を知らない所でニッケルハルパが弾きたくて…(笑)結局、東京で楽器で頑張ると決めたのですが。

今は、自分で自分を自由にしよう、といつも思うようにしています。って、いつもバカみたいに書いてますけどね。

で、これもいつも書いていますが、私は別に誰か他の人を批判するためにこれを書いているのではないので、そういう意味で反応しそうだったらスルーしてください。

私のこの感じている感情が、誰かにとっても救いになれば良いなと思って書いてみました。書いたら私の中でも少し整理がつきました。

今日も、楽しく音楽をやっていきたいです!!