スウェーデンの歴史についてのシリーズです。
前回は、16~17世紀の大きな歴史の流れ(主に国王の流れ)を見てきました。
今回は、前回書ききれなかった内容、具体的には、17世紀の若い男女の出会い、結婚と出産、教会の役割、徴兵についてです。
楽しい話題もあれば、暗い話題もありますが、両方書いていきますね。
★前回までの内容↓
・ヴァイキング時代→④ヴァイキング時代への移行、⑤ヴァイキング時代(略奪と交易)、⑥ヴァイキング時代の終焉~中世へ(9~11世紀)
・中世→⑦中世(12世紀~、王の力と神・豊かな社会・聖人)、⑧鉄・祝祭・都市部の様子(~12世紀終わり)、⑨ビルイェル・ヤール、聖ビルギッタ、ペスト(13~14世紀)、⑩デンマーク王による統治とカルマル同盟(14~15世紀)
・ヴァーサ朝→⑪クリスチャン2世とストックホルムの血浴(15~16世紀はじめ)、⑫グスタフ・ヴァーサの時代(16世紀)、⑬ヴァーサ王朝の国王たち(16世紀終わり)、⑭バルト帝国時代/大国時代の幕開け(16世紀~17世紀初め)
※歴史番組「Historien om Sverige」の内容をメモして記事にまとめています。
17世紀の若い男女の出会い、結婚、出産について
・デートの方法…「Nattfrieriet(ナット・フリエリーエット)」
17世紀の若い男女の出会いの方法(慣習)として、「Nattfrieriet(ナット・フリエリーエット)」というものがありました。
(※定形だとNattfrieriet、不定形だとNattfrieriです。直訳すると「夜の婚約」みたいな感じでしょうか)
これは、スウェーデンの中でもとりわけ北部で行われていた慣習で、一種のデートのようなものでした。
内容は「若い男女が一緒に一晩過ごす(眠る)」というものです。
《手順》
手順としては、まず、17~19歳頃の男性たちが家々の周囲を集団でまわり、同じ年頃の女性たちを探して訪ねます。
当時、10代の女性たちは納屋や屋根裏、母屋以外の家屋など、自分だけの寝床を持っていることが多かったそうです。
男性は女性を見つけると、挨拶し、歌を歌うなどして、寝床を共有したいことを伝え、女性側がそれを迎え入れると成立しました。
《ルール》
このNattfrieriet、「男女が一緒に一晩過ごす(眠る)」と書きましたが、実は大事なルールがありました。
それは一晩中ずっと、①2人はきちんと服を着ていること、②お互いに全く触れないこと、です。
(その状態で2人で普通に眠ります)
もちろん、規則をやぶる人はいたでしょう。しかし、この慣習が生き残っているということは、多くの人がこの規則を守り伝えてきたことを意味しています。
(誰も守っていなかったら、慣習として残っていないはずなので)
Nattfrierietの後は、2人が互いを気に入れば、まず両親の所へ行き、結婚しても良いか許可をもらいます。許可が出れば2人は結婚することができました。
当時の親たちは、この慣習に対して肯定的な人が多かったそうです。
Nattfrierietが伝わる地域の若者たちは、自身のパートナーを、ある程度自分で選ぶことができました。。
Nattfrierietと言えば、以前私が要約・解説のようなものを書いた、スウェーデンの劇(伝統音楽の演奏家From-Olle(フロム・オッレ)を題材にした演劇)の中で、「結婚式に参列した若い男女たちが、服を着たまま、ペアで一緒に寝床に入っている」描写があったのを思い出しました。
★こちらの記事↓
「Ingen som jag」(演奏家From-Olleの劇)解説④
この記事を書いた時は意味がよくわからなくて、この場面の訳は飛ばしてしまったのですが、おそらくNattfrierietの慣習を基にした場面なのだろうなと、今回の番組を見ていて思いました。
From-Olleはヘルシングランド地方の演奏家なので、ちょうど「スウェーデン北部で伝わる慣習」という部分とも一致しますね。
・当時の「結婚」について
当時のスウェーデンは深くキリスト教化しており、結婚というものが、とても重要な出来事の1つでした。
たとえば、結婚は「若者たちの社会的身分を変えるきっかけ」として機能していました。
結婚する前の若い男女の身分(職業)と言えば、メイド/下女(piga)や下男(dräng)など、「他の家の下働き」といった身分に属していることが多かったのですが、結婚すると、「一家の主」として、妻/奥さん(hustru)や家長(husbonde)を名乗ることができました。
また、それまでのスウェーデンの婚姻の慣習(※17世紀より前ということでしょうか)では、結婚とは主に「家族内・家族間での合意により成立」するもので、「婚約さえしていれば婚前交渉もOK」ということになっていたそうですが、
この頃から、教会はその慣習を変えようとし、婚姻は「教会が関与するもの」へ、そして「婚前交渉は(婚約中であろうが)すべて禁止」になっていきました。
その一環として、例えば「婚前交渉をしていない女性は、結婚式において、地域の花嫁の冠(Brudkrona)をかぶることが許される」など、規則を守った女性に対して教会は特権を与えました。
こういった教会による規則は、「結婚は、個人の欲によってなされるものではなく、教会や国によって管理・統制されるべきものだ」という明確なメッセージを意味していました。
ちなみに、「花嫁の冠」とは、花嫁がかぶることのできた冠で、教区ごとに(教会によって)保管・継承されていました。宝石や銀など、様々な装飾がなされており、大きく、美しく、高価なものでした。
花嫁の冠も含めて、昔の結婚式の慣習について調べた時の記事がこちらです↓もしよければご参考に。
(この記事↑を書いた後、HPのお問い合わせフォームに、結婚相談所さんからの営業メールが来ました(笑)以来「営業メールお断り」の文言をお問い合わせフォームに書き足しました)
・当時の「出産」…命がけだった
グスタフ2世アドルフとアクセル・オクセンシェルナによって首都ストックホルムが制定された頃(※前回の記事)、スウェーデンの都市部は徐々に近代化されていきましたが、一方で、多くの民衆はまだまだ地方や田舎に住んでいました。17世紀初め頃のことです。
人口は増加の一途をたどり、100万人に到達しようとしていました。
子どももたくさん生まれましたが、出産は命がけでリスクを伴いました。出産の際に命を落とす女性も少なくありませんでした。
出産において男性が立ち会うことは当時はあまり無く、地域の女性たちが出産を手伝いました。
女性たちは、自身の出産や他の女性の出産の手伝いを通じ、「出産に関する知識や実践的な経験」を共有・継承していきました。
しかしながら、生まれてきた子どものうち、5人に1人は1歳になるまでに亡くなったそうです。
教会の役割
当時は、どの地域にも教会がほとんど必ずありました。
地域の人々にとって、教会が果たす役割は大きかったのです。
日曜日には教会に行くことが「義務」でしたが、多くの人々は自らの意志で積極的に教会へと足を運びました。
当時の教会は、「神とのコミュニケーションをとる場」であったのと同時に、「重要な連絡を知ることができる場所」(※社交場・掲示板のような感じでしょうか)だったからです。
たとえば、迷子になった牛の知らせから、兵士の脱走の情報に至るまで、大小様々な情報が教会での集まりを通じて、人々に知らされました。
司祭もまた、力を持つ存在でした。
説教をするだけではなく、徴兵の際に、「誰を兵士として送るのか」を決めるのも司祭でした。
(当時、「兵士の人数の割合」(たとえば村の男性10人につき1人を兵士として送らなければいけない、など)を決めるのは議会でしたが、「実際に誰を兵士とするか」を決めるのは司祭だったそうです)
兵士として選ばれてしまうと、自分の意志で辞退することはできませんでした。
多くの人にとって、徴兵の知らせを受けることは、「死の通告」を受けることと同義で絶望的なものでした。
(「名誉なこと」と捉える人もいましたが、それはほんのわずかでした)
兵士を選ぶ基準
最初のうちは、兵士を選ぶ際の原則として、「非常に貧しくて、地域で生きていくのが困難な人」「相続する遺産の無い人」などが選ばれました。
地域の税収に関わるため、裕福な人よりは、家が小さく貧しい人が選ばれました。
一方で、息子(後継者)や下男が1人しかいないような家(男手の少ない家、跡継ぎの少ない家)は免除され、大家族で、多くの息子や下男がいる家(男手の多い家)が積極的に選ばれました。
しかし、戦争が長引くにつれ、多くの兵士が亡くなり、この原則を守ることが難しくなっていきました。
より多くの男性が戦争へ駆り出され、戻ってくる者はほんのわずかでした。
(85%の兵士が戻ってこなかった、と言われているそうです)
人々もまたその事実をよく知っており、徴兵前に逃走したり、多額のお金を積んだり自らケガをしたりして、兵役を免れようと考えた人もいましたが、多くの人はそのまま陸軍や海軍へと送られることとなりました。
(※前回の記事でも書きましたが、戦争で亡くなった兵士の多くは、戦いそれ自体よりも、伝染病などの病気で亡くなる割合がとても多かったそうです)
17世紀のスウェーデンは、「兵役により家族を失った人たち」が多くを占める国となっていました。
さて、今回はこんなところで終わりにしたいと思います。
いつも「もうちょっと進めたら良いのに…」と思うのですが、私の時間とエネルギーの限界により、続きはまた次回です。
3月初めに義理の姉が亡くなって以来、落ち着かない日々を過ごしていましたが、最近徐々に普段の自分のペースを取り戻せるようになってきた気がします。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、ですね。
次回は、おそらく明後日以降かもっと先になるかもしれませんが、グスタフ2世アドルフが亡くなって以降のスウェーデンを見ていきたいと思います!
