今回は私がニッケルハルパを始めた頃の話を書きたいと思います。
きっかけー2015年に参加したサマーコース
2015年夏、私はBlekinge folkhögskolaでの2年間の演劇コースを終え、クラスの皆が地元に帰ったあと、夏休みの間に同じ学校で行われるサマーコースに参加しました。
サマーコースは音楽のコースで、ジャズを中心とする各ジャンルの音楽家が先生になり、色々なジャンルの音楽をその場限りのアンサンブルで楽しめる、というものでした。
私は1年間だけ大学のジャズサークルに所属していたこともあり、スウェーデンにもクラリネットを持って行っていたので、なんとなく「チャレンジしてみようかな」という感じでサマーコースに申し込みました。
コースが始まる前は、「スウェーデン語、わかるかな?」「私のクラリネットの腕前でついていけるかな?」と心配していましたが、実際のサマーコースはとても楽しく終わりました。
さて、そのサマーコースにはスウェーデンの伝統音楽の授業もあり、担当した先生はニッケルハルパ奏者のEmilia Amperでした。
私はその時に初めて、スウェーデンの伝統音楽をクラリネットで演奏して、「曲の短さ」や「楽譜を使わない」ことに親近感を覚えたんです。なんか良いなあ、と。
あとEmiliaがすごくはきはきした女性でかっこよかったです(笑)
それが私と、スウェーデンの伝統音楽やニッケルハルパとの出会いでした。
そのサマーコースが終わった2カ月後、2015年の8月、実は私、もう一度スウェーデンに行きまして。
演劇の仲間に誘われて、スウェーデンで暮らそうと色々頑張ったのですが、全く上手くいかず…(労働許可とか永住権とか、先の見通しを立てることができず)。
主にメンタル面での体調を崩して、2015年12月末にまた日本に帰国しました。
レソノサウンドでニッケルハルパを始める
帰国してから3カ月くらいは留学中の物や家の整理などをしつつ、ぼんやりと過ごしていました。
なんというか、「燃え尽きた」感じになってしまったんですね。
何もやる気が出ず、とりあえず断捨離をしながら「これからまたバイトとかしなくちゃなあ」と思っていました。
そんな中、Emiliaから購入したCDを思い出し、それらを聴いたりして、ふと「ニッケルハルパ」を日本語で検索してみました。
その検索結果をもとに、2016年の3月にレソノサウンドのニッケルハルパ教室に申し込みました。
当時開講されていたのは個人レッスンではなく、グループレッスンで、2時間(か2時間半くらい)のレッスンでした。先生はニッケルハルパ協会の鎌倉さんです。
レッスン日の一週間くらい前になって、レソノサウンドから「グループレッスンなので、前日までにお申し込みがもう1人いなければ、開講されないかもしれません、すみません」というメールが来ました。(最低催行人数が2人でした)
「そうなんだ…。お願い、誰か申し込んで!」と心の中で思っていたら、なんとレッスンの前々日くらいにもう1人急きょお申込みがあり、開講されることになりました(笑)
運が良かったのか、それともレソノの方々が頑張って宣伝してくれたのかなと思っています。
そのグループレッスンを受けて、私は「ああ、伝統音楽の世界も、やっぱり私の知っているスウェーデンそのものだなあ」と思ったのを強く覚えています。
私は大学生の時に一度スウェーデンに留学し、大学を卒業した後も演劇で2年留学しました。
スウェーデンへの留学の内容自体は毎回違うし、留学先の学校や地域も違ったのに、「何を目的に、どこに留学しても、やっぱり私の好きなスウェーデンだなあ」といつも思っていたんです。
それは伝統音楽もやっぱりそうで。まあ、伝統音楽に限らず、もしかしたら他の音楽とかジャズとかもそうかもしれないのですが。
とにかく、ニッケルハルパのレッスンで鎌倉さん(かこさん)の話してくださるスウェーデンの姿に、共感しまくりでした(笑)
そうそう!スウェーデンってそうですよね!みたいな感じで。
グループレッスンは、全部で2~3回受講しました。その間に習ったのは、Båtsman DäckとGåsvikarnとVäddövalsen(とTierpspolskanもかも)です。
初心者にはなかなかハードな選曲ですが(笑)でもウップランド地方らしい、鎌倉さんらしい選曲でした。
また、燃え尽きていたはずの私自身も、ニッケルハルパ教室に申し込んだあたりから一気に元気になっていって、アルバイトなども始め、無事に復活しました。
新橋のトレフに参加。全然弾けないことに気づく
グループレッスンを2~3回受講したくらいのタイミングで、レッスン以外にもニッケルハルパを練習しにレソノに行った時に、新橋のトレフのことを聞きました。
新橋のトレフというのは、日本ニッケルハルパ協会が行っている新橋の生涯学習センターでの集まりのことです。
ニッケルハルパでもそれ以外のアコースティック楽器でも良いのですが、皆で集まって、スウェーデンの曲などを弾きます。途中にFikaもあります。セッションみたいな感じです。
私は当時まだ自分の楽器は持っていなかったし、そういう集まりに行くのはためらわれたのですが、「今日ちょうあるので、行ってみたらどうですか?」とレソノの松岡さんに言われて、勢いでそのまま行きました。
で、行ってしばらくは楽器無しの状態で皆さんの演奏や会話を聴いていたのですが、レソノの講師の水野さんが隣に座っていて、楽器をちょっと貸してくださって。
当時習ったばかりのBåtsman Däckとかを皆さんと弾かせてもらったんですが、全然弾けなかったんです(笑)
弾けなさ過ぎて衝撃的でした(笑)
まず、レッスンでしか楽器にふれていないから、音はわかるのに指がそこにいかないし、指が追い付いても弓が上手く動かせませんでした。
しかも知らない人たちと弾いているから手も震えてくるし、会場が普通の教室だから自分の音の響きも全然聴こえないしで、ほとんど弾けずに終わった気がします。
今も覚えているということは、それだけ強烈な印象だったんですね。
忙しくてニッケルハルパができなくなる
グループレッスンを受けたりレソノに練習しに行ったりして3カ月か半年くらい過ぎた頃、ニッケルハルパと同時期に始めたアルバイトが忙しくなってしまい、ニッケルハルパを一回やめてしまいました。
やめるというより、忙しくてレッスンにも集まりにも参加できず、そのままフェードアウトです。
確か1年間くらい。
その間、ニッケルハルパに関しては一切何もできなかった気がします。
たまに鎌倉さんからトレフとか集まりとかの連絡が来て、毎回お断りして…という状態でした。
実は、鎌倉さんから個人的に楽器もお借りしていたのですが、弾く時間が無さ過ぎて、お返ししました。
(当時は「寝る」ので精いっぱいでした)
そして案の定、仕事三昧で廃人のようになり、「このままではいけない」と思ってバイトの形態とか条件とかを色々変えていただいて、2017年の秋くらいからまたもう一度ニッケルハルパを始めました。
フェードアウトしてから約1年後です。
その頃から、「ニッケルハルパで留学したいなあ」と思うようになりました。
目標があった方が頑張れるので、留学を目標にすることにしました。
最初は弾けなくて当然。でもそれが自分のポテンシャルだと思うな。
それからはレソノで水野さんのレッスンを毎月受講しつつ(その頃は月に一回のグループレッスンのみの開講でした)、新橋のトレフにも参加しつつ、他のニッケルハルパやダンス等の集まりにも顔を出すようにしました。
ただ、当時の私は自分の弾き方に本当に自信が無くて、今よりももっと「こう弾きたいのに弾けない…」というジレンマがあったので、なんかすごく葛藤にまみれていたと思います。
しかも私は新人というか、その時の「新顔」だったので。
古参の先輩ニッケルハルパ弾きの方とかに嫌なことを言われて、心の中で「くそー!」ってめっちゃ思っていました(笑)なんだこの人偉そうに、絶対見返してやる!って。
ダンスのパーティー会場のトイレで泣いたのも覚えています(笑)
でもそれも、私にとってはもう過去の思い出で。「そんなこともあったなあ」って感じなのですが。
(むしろ、ブログにこういう風に書いてしまってすみません…と毎回思っています。恨んでいるとかではないんです。似たような経験をした人の参考になればと思っているだけなので)
きっと私のような経験は一切せずに、楽しく楽器を続けている方もたくさんいらっしゃると思うのですが、私は結構楽器に対する欲が深くて(笑)、「もっとこうしたい」「もっとこんな風に弾きたい」というのがとてもありました。
それで葛藤したり、人に言われたことをいちいち気にしたりもしましたが、今ならわかります。
楽器を始めた頃の力量というのは、その人のポテンシャルがまだ全然発揮されていない状態なんだな、と。
だからその時点でのその人の力量を切り取って、ああだこうだ言うのはナンセンスです。
だってまだまだこれからだから。
数年後に誰がどうなるかなんて誰にもわかりません。自分がどうなっているかは自分次第。
だから、何か嫌なこととかがあったとしても、そこでやめたらとてももったいないんですね。乗り越えることが成長になるし、自分の知らない自分に出会えるので。
自分のポテンシャルが引き出されるまで、頑張れ!って、私はいつも思っています。
そんなこんなで、葛藤にまみれたりしながら、私は2018年の春先にToboのESIに申し込みをし、8月から留学をしました。
以上、私がニッケルハルパを始めた頃の話を書きました。
参考になりましたら嬉しいです。
お読みいただき、ありがとうございました。