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伝統音楽を愛した芸術家Bror Hjorth(ブロール・ヨット)について

/ ニッケルハルパ奏者

この前、ネッケン(Näcken)についての記事を書いた際、最後の方で「ネッケンのポルスカ(Näckens polska)」という銅像の紹介をしました。

その銅像を作ったのがBror Hjorth(ブロール・ヨット)という芸術家なのですが、彼は伝統音楽をモチーフとした作品をよく作っていた人です。

今回は、そんな伝統音楽を愛した芸術家Bror Hjorth(ブロール・ヨット)について紹介したいと思います。

芸術家Bror Hjorth(ブロール・ヨット、1894-1968)

彫刻と絵画の芸術家で、スウェーデンで最も有名な芸術家の1人と言われているそうです。

彼はウップランド地方のウプサラという町の郊外にアトリエ兼自宅を持っていて、その一部が、今ではミュージアム「Bror Hjorth Hus」として公開され、たまに伝統音楽のコンサートなども開かれています。

(ブログでも、コンサートの配信映像を紹介する記事で、Bror Hjorthの話題をよく出しています)

私も留学中にコンサートを見に行ったことがあります。また、学校の授業の一環として、ミュージアムの中をガイド(スウェーデン語)つきで見学させてもらったこともありました。

・コンサートの紹介記事(Bror Hjorths Husの紹介含む)→Duo Cavez / Paulsonのコンサート、日本語訳①

Bror Hjorthの人生

さて、そんなBror Hjorthの人生を簡単に紹介します。

Brorはウップランド地方北部のÄlvkarleby(エルヴカーレビー)で生まれ、Dalboda(ダールボーダ)という所で幼少期を過ごしました。

父は森林の管理者として働き、母は家の仕事全般に加え小さな郵便局も営んでいたそうです。

Brorの名字「Hjorth」(ヨット)は、父や母の名字ではありませんでしたが、祖先にもともとそういう名字があったということで、子どもたち(2人)はHjorthの名字をもらうことになりました。

幼少期~芸術の目覚め

Brorの家の近所に、Elis Petterson(エリス・ペッテション)という芸術家がいました。

そのElisの影響で、Brorは小さい頃から芸術に興味を持つようになります。

学校に通い始めてからも、学校新聞に絵を描いたり、教師や生徒の似顔絵を描いていたそうです。

1914年(18歳頃)、彼はストックホルムの芸術学校に行き、初めて芸術の世界にしっかりと足を踏み入れます。

結核による療養

しかし、まもなく結核にかかったBrorは、療養のためすぐに学校を離れることになります。

4年間の療養生活の間、彼は、イェムトランド地方の療養施設や、ウプサラの病院、実家などで過ごすことになりました。

また、耳の鼓膜も破れてしまったため、長い間、難聴をわずらうことになります。

(補聴器のおかげで、彼が再び鳥の声をはっきりとわかるようになったのは、1950年代のことでした)

結核も、Brorの場合は療養期間が終わった後も完治することはなく、健康に気を遣いながらの人生だったそうです。

Brorの芸術作品は、カラフルな色や、力強く太い線、大胆な形に見られる「生命力」が特徴的ですが、それは彼が生涯かけて病気と向き合ってきたことや、死と隣り合わせの生活を送ってきた経験に基づいているとも言われています。

芸術家としての活躍

4年間の療養の後、1919年(25歳頃)にデンマークのコペンハーゲンの芸大に1年半通ったBrorは、その後パリに4年間留学をし、彫刻家としての教育を受けます。

そして、パリでそのまま芸術家として働きました。

妻のToveとも出会い、1927年に2人は結婚しました。

Brorは最初は彫刻家として活動していましたが、徐々に画家としても活動するようになります。

(最初は、絵は個人的な楽しみのために描いていたそうです)

1920年代をずっとパリで過ごしたBrorでしたが、その後、妻Toveが妊娠したタイミングで2人はスウェーデンに戻ることを決めます。

1930年頃、スウェーデンに戻ってきたBrorは、「Färg och Form」(フェリィ・オ・フォルム=色と形)という芸術家集団のメンバーとして活躍しますが、

この頃に彼が製作した作品(彫刻)が「煽情的だ」と批判をあび、表現の自由に関する議論を巻き起こします。

(※彼の作品は、確かにそう見えるものもあるのですが、今の時代だったらそこまで批判されないような気がします)

しかし同時に、芸術家としても活躍し、生計を立てられる(家族を養える)ようになった彼は、1943年にウプサラのKåbo(コーボー)の辺りに、妻とともにアトリエを作りました。

これが、現在ミュージアムとしても公開されている「Bror Hjorths Hus」(ブロール・ヨッツ・ヒュース。意味はBror Hjorthの家)です。

Brorは、亡くなるまでの25年間をここで過ごしました。

最初は妻のToveと、息子のOleと、オーストリアからの難民の少年Tommyとともに。そしてその後(おそらくToveが亡くなった後)は、再婚相手のMargaretaとともに。

伝統音楽との関わり

Brorは伝統音楽を愛していましたが、彼が音楽に特に興味を持つようになったのは、結核の療養期間中だったそうです。

もともと祖父から譲り受けたフィドルがあったそうなのですが、このフィドルで、簡単なポルスカやワルツを弾くようになりました。

当時すでに難聴になっていたため、フィドルの音が自分に聞こえるように、工夫しながら弾いていたそうです。

(※私もよくわからないのですが、「歯で棒をくわえて、その棒をフィドルのボディに当てて振動が自分に伝わるようにしていた」とのことです)

フィドルは、彼にとって、あらゆる楽器の中で最も特別な楽器でした。

また、彼は地域の演奏家たちとも交流があり、生涯を通じて、たくさんの演奏家たちと交流していたそうです。

1940~1950年代には、Brorは伝統音楽や演奏家たちの地位の向上のため、積極的に活動していました。

なかでも、Brorが最も尊敬していたのがフィドル奏者のHjort Anders(ヨット・アンダーシュ)で、息子のOle Hjorth(オーレ・ヨット、1930-2021)にも、Hjort Andersにフィドルを習わせるほどでした。

(※Bror HjorthとHjort Anders、どちらも「ヨット」で名前と名字が似ていますが、親戚などではありません)

Brorは、音楽を「すべての芸術の母」と考えていたそうです。

彼の作品には、OleやHjort Andersをはじめ、演奏家や、伝統音楽をモチーフとした作品(伝統音楽を演奏し踊る人の姿など)も多くのこされています。

・HJort Andersについて詳しくは→Hjort Andersについて

・Oleが2021年に亡くなった際の追悼コンサート→Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳①

彼の作品の特徴

結核の箇所でも少し書きましたが、彼の作品は「生命力」「生きる喜び」「愛」をモチーフとしている作品が多く、

さらに、「人々の生活に根差した文化」「伝統音楽」「家族」などからインスピレーションを得ていたそうです。キリスト関連の作品もあります。

また、原色を多用していることでも有名ですね。

カラフルな色合いで、「まるで子どもが描いた/作ったようにも見える、プリミティブで力強い絵や形」というのが特徴的です。

これは実際に作品をご覧いただくとわかるかと思います。

英語の動画があったので、載せますね。

記事の冒頭で書いた「ネッケンのポルスカの銅像」(ウプサラ駅前設置)についても紹介されています。作り終えるのに16年かかったそうです。

また、以前紹介したGås-Andersの像も、Bror Hjorthが作ったものですね。

・Gås-Anders→Gås-Andersについて


ここまで、メインで参考にしたページはこちらです。

Bror Hjorths HusのHP(スウェーデン語)(英語版もあります)

(特に、「Bror Hjorth – konst och liv」「Kort om konstnären Bror Hjorth」のページを参照しました)

その他の参考:

Bror Hjorths HusのYouTubeチャンネル(動画の埋め込みができなかったのですが、一部の動画の内容を参考にしました)

Wikipedia「Bror Hjorth」(スウェーデン語)


今回は、伝統音楽を愛した芸術家、Bror Hjorth(ブロール・ヨット)についてでした。

結核にかかった経験や、その療養というのが、Brorの人生にとって大きなインパクトを与えていたのかな、とあらためて思いました。

Bror Hjorthについてはこれまでもちょくちょく紹介していたのですが、こうしてあらためて1つの記事でまとめて紹介できて良かったかなと思います。

(私も、調べてもすぐに内容を忘れてしまいますし)

これまでのコンサート紹介動画でもBrorの話題が出てきているので、そちらもよろしければご覧ください。

「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)コンサートの日本語訳①

「Bingsjölåtar i Uppland Erika/Robert/Örjan」(2022)コンサート和訳①

Duo Cavez / Paulsonのコンサート、日本語訳①

Konsert till Ole Hjorths minne(Bror Hjorths Hus, 2022)の和訳①

Anna Ekborg i Bror Hjorths ateljé(2022.1)コンサート和訳①