ニッケルハルパ奏者の中でおそらく最もよく知られているのが、Byss-Calle(ビス・カッレ)という人です。
今日はByss-Calleについて簡単にご紹介します。
Byss-Calle(ビス・カッレ)
Byss-Calle(1783-1847)、本名はCarl Ersson Bössa。
(Byss-Kalleと表記することもあります)
ウップランド地方北部のÄlvkarleby(エルヴカ―レビー)出身の奏者です。Älvkarlebyの中でもÖstanåという所の生まれです。
ニッケルハルパ奏者として非常によく知られており、彼が伝承した曲は今もたくさん弾かれています。
独学で演奏していた、と言われている
演奏家が楽器や音楽に親しんだ最初のきっかけとして、親や家族が既に演奏家(プロ・アマ問わず)で、その人達から楽器や音楽について教わった、等の話がよく出てきます。
しかし、Byss-Calleの場合は特にそういうわけではなかったようです。
演奏を習得するうえで、誰が彼の先生役となったのか?というのはよくわかっていないそうで、独学で身に着けたのかもしれない、と言われています。
(独学で演奏を身に着けた奏者は、当時他にもよくいたそうです)
出身地域のたくさんの伝統曲をレパートリーとして持ち、また、自身が作った曲も数多く残しました。
16分音符ポルスカ(Sextondelpolska)
Byss-Calleはダンスのポルスカから結婚行進曲まで、様々なタイプの曲を演奏していましたが、彼が主に演奏していた曲の特徴の一つとして挙げられているのは、それが「16分音符ポルスカ(Sextondelspolska)」であったことです。
(以下、説明が入ります)
【ポルスカの説明】
ポルスカは大きく分けて、「8分音符ポルスカ(Åttondelspolska)」、「16分音符ポルスカ(Sextondelspolska)」、「3連符ポルスカ(Triolpolska)」に分けることができます。
この名称と実態が違っているので少しややこしいのですが、それぞれの特徴はこちらです↓
・「16分音符ポルスカ(Sextondelspolska、セクストンデールスポルスカ)」は1拍を「2つに分けることができるもの」
→1拍を「8分音符」か「16分音符」で分けられるもの(拍を偶数に分けることができるもの、という感じ)。
・「8分音符ポルスカ(Åttondelspolska、オットンデールスポルスカ)」「3連符ポルスカ(Triolpolska、トリールポルスカ)」は同じくくりで考えることができ、これらは1拍を「3つに分けることができるもの」。
→「8分音符ポルスカ」の場合は、その分けた3つのうち最初の2つがタイで繋がっていて、譜面上は「付点8分音符」で処理することが多いもの(でも実際のリズムは3連符。これはジャズの楽譜などでよく見かけるかと思います。付点8分音符だけれども、実質は3連符の最初の2つがタイ、というものです)。
→「3連符ポルスカ」は、そのままですが、より3連符が明確に出ているものを指します。
※この説明の仕方は私が留学中に学んだものなので、他の地域では異なる説明の仕方がされているかもしれません。
ウップランド地方の曲は「8分音符ポルスカ(Åttondelspolska)」が多いのが特徴的ですが、Byss-Calleが伝承した曲に関してはほとんどが「16分音符ポルスカ(Sextondelspolska)」です。
(どのような影響でそうなったのかは、諸説考えられるそうです)
速くて技巧的な曲も多く、彼の演奏技術が大変高かったことがうかがえる、と言われています。
また、彼が作った曲に関しては、曲とともにエピソードが語り伝えられているものも多く、大変興味深いです。
Mats Wesslénによって記録される
Byss-Calleの曲は記録され、曲集となって伝えられていますが、これは生前Byss-Calle本人によって記録されたものではありません。
Byss-Calleに曲を習っていた、ウップランド地方のÖsterlövsta(ウステルーヴスタ)のオルガン奏者兼ニッケルハルパ奏者、Mats Wesslén(マッツ・ヴェスレーン、1812-1878)によって記録されました。
ただしこれも一筋縄ではいかなかったようです。
Wesslénはたくさんの曲を譜面に残し、出版するところまでこぎつけましたが、印刷所のあった町Gävle(イェーヴレ)で火事が起き、原稿が全て燃えてしまいました。1869年のことです。
当時既に高齢だったWesslénは、記憶にある限り楽譜を再現しましたが、出版までは間に合わず、A.G.Rosenberg(ローゼンベリ)という人に楽譜を託して亡くなります(1878年)。
その後A.G.RosenbergはWesslénの原稿も含めた曲集を出版しますが(1879年)、この曲集自体が「ピアノ向け」のものであったことから、どこまでがオリジナルの原稿に沿っているのか、今となっては誰にもわからない、と言われています。
それでも、多くの曲がこうして伝えられていて、実際に多くの奏者に演奏されていることは、すごいことだと思います。
Byss-Calleに関しては、調べれば調べるほどたくさんの情報が出てきます。日本語でも、他にもっと詳しく書かれている方がいらっしゃるかもしれません。
私も知らないことだらけなので、また機会があれば書いていきたいと思います。
最後に動画2つと音源をご紹介します。ぜひ聴いてみてください。
お読みいただき、ありがとうございました。
参照:”Uppländske spelmän under 4 århundraden” Lars Erik Larsson