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プライドと人間関係についての話

/ ニッケルハルパ奏者

音楽や演奏の仕事というのは、他の仕事と同じように、結局は人間関係と深くリンクしているんだなと感じています。

「人間関係」という単語を聞くと、それだけで「わずらわしいもの」というイメージがあるかもしれませんが、実際は人間関係を通して学べることはたくさんあり、自分自身の成長の糧になります。

中でも、最近私がよく考えるのは「自分のプライドと人間関係」についてです。今回はこのことについて書きたいと思います。

音楽というよりも、一般的な話になりますが、参考になりましたら嬉しいです。

自分のプライド、他人のプライド

一般的に、プライドの高い人は嫌われる、とよく言われます。

私もそれはよく知っているのですが、「そうは言っても自分はそこまでプライドは高くないはず、たぶん…」と無意識に思っていました。

(みんな、自分のことをそう思っているのかもしれません)

そんな中、周りの人のことをよく見ていて、なんとなく「この人はいつも怒っている/文句を言っている/他人の批評をしている/他人を自分に合わせたがるなあ」と思わせるタイプの人や、反対に「この人はいつも何か言われても気にせず明るく柔軟に振舞っていてすごいな」と思わせるタイプの人がいることに気がつきました。

そして思ったのですが、「よく怒ったり、いつも他人の批評みたいなものをしている人はもしかしてプライドが高いのかな?」ということと、「柔軟に見えるタイプの人は、自分のプライドにこだわりすぎないから、周りの人が付き合いやすいと思うのかも」ということに、思い至りました。

(ちなみに後者のタイプの人というのは、周りを悪者にしないので、本当に接しやすいです。仕事や連絡も円滑にすすみます)

プライドって目には見えないものだし、私自身、自分がどういうプライドをどのくらい持っているのかわかりませんが、他人のことを見ていて、自分に対しても色々と考えたり発見したりしました。

発見①プライドが高いから、問題が起きる

発見の1つ目は、「プライドが高いから、問題が起きる(のかもしれない)」ということです。

たとえばの話ですが…

自分の家の敷地内に誰か(誰かはわからない)がちっちゃなごみのポイ捨てをしたとします。

それを「ああ、はいはい」と軽く受け止めて、自分が代わりに捨ててあげるのか、それとも「うちにポイ捨てをするなんて許せない!!」と怒って燃え上がるのかは自分次第です。

そこでもしも怒りが燃え上がった場合、その「ポイ捨て」が自分の中でものすごく「大きな問題」「むかつく問題」に発展してしまいますよね。今日一日不機嫌になるとか。

一方で、軽く受け止めて自分がかわりに捨ててあげれば、そこで嫌な気持ちともさよならできるし、すぐに忘れてしまうことができるかもしれません。

小さなトラブルというのは日々絶えませんが、その1つ1つを「自分(や自分の所有物)に対してそんなことをするなんて許せない!」と思っていると、どれも自分の中ですごく大きな問題になってしまいます。

反対に、軽く受け流せば、自分にとってそれは大した問題にはならずにすみます。

(トラブルの内容によっては大げさに問題にするべきものもありますが、それはまた別の話として)

私の出したたとえが適切かどうかはわかりませんが、そんな感じで、プライドが高いことで、小さなことがいちいち大きな問題に発展してしまうんです。

だからといって何もかも我慢すれば良いという話ではありませんが、私も自分自身をかえりみて、「ああ、私が『問題だ』と思っていたことは、ただ単に私のプライドが許さなかっただけなのかも(解決策は別のところにあるかも)」と思いました。

発見②自分のプライドを一旦わきに置いておけば、問題にならない

①の内容を反対側から言っただけですが、「自分のプライドを一旦わきに置いておくことができれば、問題にはならないことって結構多いんだな」と発見しました。

(「プライドを曲げる」と言うとちょっと違うような気がしたので、「一旦わきに置いておく」という言い方にしました)

自分のプライドをとりあえずわきに置いておける人って、なんか強いんですよね。

へこたれないし、小さなことをいちいち問題にしないから、最強なんです。

「無理して、頑張って気にしないようにしている」のではなくて、とにかく本当に軽々と、「気にしない」んです。

どんどん先に進んでいきます。

問題にこだわっているとそこで停滞してしまいますが、先に進んでさえしまえば、その問題は「反省点」や「学び」に活かされるくらいで、「問題」のまま、大きく自分の中に残ったりはしないんだな、と気づきました。

プライドにこだわっている人は、問題があるといちいちそこで成長を止めてしまいがちですが、問題としない人は、どこまでも成長していくんだなと思いました。

発見③「自分のプライドをわきに置いておく=相手から利用される/自分の価値が下がる」ではない

また、「プライドを一旦わきに置いておくと、相手から余計につけこまれそうだ」とか「相手に利用されそうだ」「ばかにされそうだ」という思いを私は抱いていたのですが、そんなことはないのだと知りました。

これは、私がそういうタイプの人を実際に客観的に見ていて、知ったことです。

そういう人を見ていて私が思うのは「この人は大人だな」「すごいな」ということでした。

ましてや、ばかにするなんてとんでもないし、そういう人のことを利用しようなんて全く思いませんでした。

誰でも、見ていないようで、周りの人のことをとてもよく見ています。

最初に書いたように「あの人はいつも怒っているな」とか「あの人は他人の批評ばかりしているな」という人のことも、また、そういう人とうまくやっていくために頑張って色々と動いている人のことも、色々な人のことを、それぞれの人が見ています。

自分と誰かの1対1のやりとりであったとしても、そういうやりとりの関係性というのは表面的に出やすく、周りにも伝わっていることが多いし、誰かがちゃんと見ています。

自分のプライドを主張しまくっている人よりも、プライドを一旦置いておいてトラブル解決や目的遂行に尽力している人というのは、やっぱり輝いて見えます。

発見④プライドを主張しても逆効果

最後に、「プライドを主張するのって、かえって逆効果なんだな」と、他人のことを見ていてしみじみと感じました。

ささいなことで自分のプライドを主張する人ほど周りの人に煙たがられてしまうし、「自分が怒っているのをわかってほしい~!」という人ほど、悲しいことに実はその怒りをわかってもらえないのだと知りました。

(もちろん、本当に怒るべき問題やトラブルは全く別です)

他人が怒っている問題って、客観的に見るとやっぱりどうでもいいことや、些細な問題が多いんですよね。

だから、「うわ、また怒ってる」「まだそんなことで怒っているの?」「まだそんなことにこだわっているの?」と周りの人はやっぱり冷静に思ってしまうんですね。そうは見えないように振るまっていたとしても。

そこで、ぱぱっと気持ちを切り替えて明るく次に進んでくれる人がいると、そういう人の方が全然付き合いやすいし、仕事なども進めやすいなと思います。

自分のプライドを主張すればするほど周りの人は遠ざかり、自分のプライドよりも相手を尊重できる人の周りには人が集まってくるのかな、という気がします。

これも、自分のこととなるとなかなか実行するのは難しいものですが、参考にしたいなと思っています。

負けるが勝ち

以上のようなことを、他の人を見たり、自分自身を内省したりして発見しました。

私は自分ではそこまでプライドが高い方だと思っていませんでしたが、他人の色々な姿を見ていて、「私も自分が思っているよりは全然プライドが高かった、しかもそれが問題を作る原因の1つだったんだ」と気づくことができました。

気づけて良かったと思います。

上に書いたようなトラブル、考え方の癖などは、私自身の経験ももとになっています。

プライドを持つというのは、「誇りを持つ」という意味では必要なことかもしれません。

しかし、「プライドが邪魔する」という意味でのプライドは、捨てるまではいかなくても、「ちょっと一旦置いておく」ことができると良いのだと感じます。

人間関係を円滑にすすめるうえで、よく「負けるが勝ち」「バカになったもん勝ち」というのを聞きます。

良い関係を築きたいなら、相手を負かすことよりも自分が先に負けること。自分がバカになること。その方が大事だということです。

そういうことが楽にできる人に、私もなりたいなと思います。


以上、プライドと人間関係の話について書きました。

今日は更新が少し遅くなってしまいましたが、お読みいただき、ありがとうございました。