「Väsen Duo」のコンサートの日本語訳⑤です。
①~④はこちら↓
「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)コンサートの日本語訳①
「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)コンサートの日本語訳②
「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)のコンサート日本語訳③
「Väsen Duo i Bror Hjorths Hus」(2021)コンサートの日本語訳④
動画
前回の続きから(48:18~)再生します。
(前回の曲)
⑨「Polska efter Svedmark」
⑩「Dis」 av Olov Johansson
(48:18~)
(Micke):ありがとうございます。
私、シルベルバスハルパで本当にすごいなと思っているのが、皆さんもお聴きの通り、すべてがC-dur(Cメジャー)の曲だということです。
100年間、それで楽しんできたということですね。
C-durを100年間。
私だったらきっと思ったでしょうね。「いや…もうさすがに変えないと」って。
(笑いが起きる)
(Olov):August Bohlin(アウグスト・ボリーン)でしたね、それ(100年のC-durの流れ)をやぶったのは。
(Micke):彼が「成し遂げた」のですね(笑)。
(Olov):彼はシルベルバスハルパの演奏家で、スカンセン(※動物園/野外博物館、伝統音楽のイベントや演奏がよくされる場所)での演奏を頼まれていました。
周りには別の演奏家たちもたくさんいて、彼らのほとんどはフィドルを演奏していました。
1900年代の初め頃ですから、曲の調としてはB♭の曲、たとえばHälsingland(ヘルシングランド地方)のポルスカとか、そういう曲が多かったんですね。
そうすると一緒に弾くのが難しいわけです。C-durしか弾けない楽器で、ドローン弦もCの楽器にとっては。
そこで彼は、現代の3列の(キーが3列の)ニッケルハルパを作りました。
私がさきほどEric Sahlströmの曲を弾いた時に使った楽器のことです。
この楽器を最初に作ったのはAugust Bohlinです。
(Micke):自己保存の生み出す力と言いますか、必要に迫られて、という感じだったのでしょうね。
(Olov):1920年代の終わりごろのことだと思います、彼が3列目のキーをつけたのは。
そして重音になる仕組み(1つのキーで2本の弦を押さえるようなキーのタンジェントの仕組み)を取り除いて、キーに穴を作って、1つのキーで1つの弦を弾けるようにしました。
それで…。
(Micke):それで終わり(笑)C-durの歴史は。
(Olov):それでIvar Tallroth(イーヴァル・タルロート)の話になりますが、
Ivar、私たち両方に曲を教えてくれてValstätraに住んでいたIvarですね。
彼はこう言っていたんです。
「ああ…私が3列目のキーをつけたのは、August Bohlinの2週間前だった」と。
(笑いが起きる)
(Micke):それってなんか「最初に月に行ったのは誰か」みたいな話だね。
(Olov):本当にね。
それから、Ivarは木工の腕前も素晴らしく、「木工が得意なおじさん(木のおじさん)」だったのですが、
彼は「踊っている男女のペアの彫刻」を作って、持っていたそうなんです。
ちょうどそこの、Bror Hjorthが作った「Näckens polska」(※ネッケンの銅像。ウプサラ駅前に飾られていることで有名)の、ネッケンの上で踊っている男女ペアのような感じの。
(丸イスの上に「Näckens polska」のミニチュアが置かれてあり、それをOlovが指さして話す)
それについても彼は私にこう言いました。
「その踊っているペアは、私の家にあったものをBror Hjorthが目にしたんだ」と。
(Micke):…「謙虚さが彼の良いところだ」って言えるのかもしれませんね。
(笑いが起きる)
(Olov):どうだろうね(笑)。
とにかく、そんなIvar Tallrothに教わった曲を1曲弾きます。
この曲はIvar自身はAugust Bohlinに教わったのだと思いますが。
「Marstalla Olles brudmarsch(マーシュタッラ・オッレ伝承の結婚行進曲)」です。
美しい、短調の結婚行進曲です。
ちなみに話に出てきた「Näckens polska」の銅像はこんな感じです。この写真は2018年にウプサラの駅前で私が撮ったものです。
下でフィドルを弾いているのがネッケン(という精霊のようなもの)で、ネッケンの上で男女が踊っているデザインになっています。
⑪(51:32~)「Marstalla Olles brudmarsch(マーシュタッラ・オッレ伝承の結婚行進曲)」
(55:04~)
(Olov)ありがとうございます。
(Olov英語で話す)
世界でお聴きの皆さんへ、ここで再び少し英語でご挨拶したいと思います。
(Micke):ここで、ここまでお話しした内容すべての通訳をします(笑)。
(Olov):いいえ(笑)
皆さんがどこでこの配信コンサートを聴いてくださっているのか、ぜひ、コメントで一言書いていただければと思います。
それを知るのは私たちにとってもとても楽しいことですから。
(Micke):もちろんです。
(Olov):そして、次でコンサートの最後の曲です。
(Micke):はい、次の曲はポルスカですよね?
(Olov):そうです。(ここからスウェーデン語)
(Micke):このポルスカはCarl Herman Erlandsson(カール・ヘルマン・エルランドソン)が伝えたものです。
(Olov):Carl Herman Erlandssonは、ここウプサラのRickomberga(リッコンベリヤ※地名)の人です。
彼は旅をしていた一族(ロマ)の生まれで、ダーラナ地方南部の、たしかHorndal(ホーンダール※地名)の出身だと思います。
それからウプサラに来ました。
彼はウップランド各地を色々とまわって、壊れた銅鍋を直して生計を立てていました。
(Micke):各地をまわっている人々がそういった仕事をするのは、昔は一般的だったのですよね。手仕事ですね。
(Olov):はい、そして彼は重要な伝達者(メッセンジャー)でもありました。
色々なことに関する、ニュースや伝言など。
また、人々は彼に必要なものを注文して、彼は次にその場所に来た時に持ってこられるよう、ウプサラで(言われた品々を)買いつけていたそうです。
(Micke):たとえば、August Bohlinがそうです、彼はフィドルを手に入れたんでしたよね。
(Olov):そうです。Erlandssonに頼んで持って(買って)きてもらったフィドルを。
そして、Erlandssonは経済的な困窮に陥り、valackare(馬の去勢手術をする人)としても働いていました。
(Micke):旅をする人たちは馬を扱うことに長けていた(馬について詳しかった)ので、この仕事もまた一般的なもののひとつでしたね。
(Olov):はい。
この先の話は私がUNT(Upsala Nya Tidningというローカル新聞)の古い記事で読んだものなのですが…。
と、中途半端ですが、長くなってしまうのでここで一旦区切りたいと思います。
続きはまた明日。
明日で最後までいきますので、どうぞお楽しみに。
以上、「Väsen Duo」のコンサート日本語訳⑤をお届けしました。
曲数的には少しなのですが、今日から明日の部分にかけて、内容はもりだくさんです。
私自身は単語を調べるのが少し大変でしたが、昔の演奏家たちについてのお話を聞けるのはとてもおもしろいなと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。