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Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④

/ ニッケルハルパ奏者

Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳④です。

①~③はこちら↓

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②

Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③

動画

前回の続きから(21:12~)の再生です。

(Cajsa):ありがとうございます。

Bosseは一緒にいてとても楽しい人でした。

よく笑い、ユーモアたっぷりの人でした。

私は何度かアメリカに(演奏で)行ったことがあるのですが、Bosseは、私が一番多く一緒にアメリカに行った演奏家です。

本当にたくさんの、おもしろい思い出があり、どれか1つを選んで取り出すのが難しいくらいなのですが。

一番最初に(アメリカに一緒に)行ったは確か1990年のことで、最後は2009年のことだったと思います。

2007年の話をしますが、私たちはカナダのカルガリーに行って演奏することになっていました。

そこで私はBosseにこう言いました。

「カナダからスウェーデンに帰ってくる時、まっすぐ帰るのではなくてサンフランシスコに寄ろうかと思っているの。カナダからだとそんなに遠くは無いから。

Bosse、あなたはどうする?まっすぐ帰るのが良いか、それともサンフランシスコに行くか…。私はショッピングとかをしようと思っているんだけど」と(笑)

そしてまた「もしよければ、サンフランシスコで演奏する機会も作れるかもしれない(※もしBosseが行くなら)」と言いました。

ニッケルハルパもフィドルもあちらで演奏している人がたくさんいますから。北欧音楽を演奏している人はアメリカにたくさんいます。

「でもBosse、あなたがどうしたいかはわからないんだけど…」と私が(遠慮がちに)言ったら、

「私も行く(※きっぱりした口調で)」とBosseが即答したんです(笑いが起きる)

それで、一緒に行きました。

あ、そうだ。

それでおもしろかったのが、Bosseが(カナダやサンフランシスコに行く前に)Ole Hjorth(オーレ・ヨット※演奏家)と話した時に、私たちがカルガリーに行ってそれからサンフランシスコに行く予定であることをOleに話したそうなんです。

OleはBosseに「サンフランシスコで何をするのか?」と訊きました。

Bosseは「ショッピングだ」と答えたそうです。

(笑いが起きる)

で、実際に私たち、ショッピングしました。

その日はとてもよく晴れていて、美しかったのをよく覚えています。

私たちはゴールデン・ゲート・ブリッジの北側に滞在していて、そこではフェリーがサンフランシスコの中心街へと行き来していました。

私たちはデッキ(※海辺のウッドデッキ、もしくは船のデッキかどちらかだと思いますが)に座って太陽を浴びていました。

本当にとても素晴らしい一日を過ごしました。

最初に買い物をしたのはBosseでした。

私たちは「babyGAP(GAPのベビー服ブランド)」に行き、Elsa(エルサ)への服を買いました。

Elsaは当時ちょうど生まれたばかりの、Bosseのお孫さんです。彼はおじいさんになったばかりでしたから。

そしてこれはまだ言っていませんでしたが、ElsaがいることでまたLarsson一家は次の世代へとさらに繋がっていくんですね。Elsaは、おじいさんのフィドルを演奏しています。

良いですね。

このように、Bosseに関してはお話ししたいことが本当にたくさんあるのですが、彼は簡単に言えば、「一緒にいるのがとても楽しい人」でした。

彼にまつわるとても美しい思い出を、ここにいる全員が持っています。

私は今日どの曲を弾こうかなと考えていました。

たくさんの美しい曲がありますが…

Bosseから教わった、Bingsjö(ビングフェー)のポルスカを弾きたいと思います。よく(ときどき)演奏する曲です。

「Polska efter Ritäkt Jerk(リーテクト・ヤーク伝承のポルスカ)」です。

※ElsaはRobertの娘さんで、RobertもElsaの曲も作っています。「Elsas dopvals」→「Maskin」のコンサート日本語訳③

⑤(23:50~)Cajsaの演奏2:Polska efter Ritäkt Jerk, från Bingsjö(リーテクト・ヤーク伝承のポルスカ)

(26:02~)

(Bengt):Cajsa、ありがとうございました。旅行の思い出をシェアしてくださり、ありがとうございます。

私と私の彼女のMariaが数年前に日本に行って演奏した時、何人かの日本人がやってきて、Cajsa Ekstavが日本に来た時のことを話してくれました。

彼らはこう言っていました。

「彼女はビールを飲むのが得意だった(お酒に強かった)」と。

(笑いが起きる)

人はそれぞれの方法で、自分の痕跡を残すことができまるのですね(笑)。

さて、その情報の後で(笑)、次はErika Lindgren Liljenstolpeに登壇いただき、思い出語りと音楽の演奏をしていだきたいと思います。Bosseを取り巻く伝統について。

(続きは明日)

(※ちなみに、Bengtの話で「彼女」が出てきています。日本だと彼女・彼氏という話題は少しプライベートな(妻・夫よりも「公」ではないような)印象がありますが、スウェーデンでは籍を入れないカップルも一般的なので、妻・夫同様、彼女・彼氏というワードも公の場で(紹介などで)耳にすることが多いです)


昨日、「最初にこのコンサートを聴いた時は意味がわからない部分も結構あった」と書きましたが、日本人の「Cajsaはお酒に強かった」のくだりだけはすぐに理解しました。

まさか日本のことがネタにされているなんて予想外でした。話題が話題なだけにちょっと恥ずかしいですけど(笑)。

日本でスウェーデンの伝統音楽というと、すごく珍しい感じがするかもしれませんが、実は世界的には「スウェーデンの伝統音楽をやっている外国人」として日本人はかなり上位に食い込むくらい、真面目にスウェーデンの音楽をやっている部類に入るかなと私は思います(スウェーデン人の話しぶりからの私の印象ですが)。

日本に演奏に来たことのある伝統音楽の演奏家も結構多いです。ダンサーさんも多いのではないかと思います。

スウェーデンの伝統音楽界隈では、日本人は結構有名というか。有名なワークショップには、日本人が1人はいるような感じでしょうか。

他に北欧の伝統音楽が盛んところ(外国で)と言えばやはりアメリカです。スウェーデンから移住している人も多いので、文化の伝達や継承がされやすいのだと思います。

おもしろいですよね。

続きはまた明日にします。

お読みいただき、ありがとうございました。