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自分の好きものについて、周りのノイズが気になってしまう時は

/ ニッケルハルパ奏者

自分の好きなものについて、周りからの意見やノイズが気になってしまう時もあると思うのですが、そういう時はあらためて、自分の気持ちや好きなものを信じることを選択できると良いなと思っています。

このことについて書いてみます。

他人の意見に「台無しにされた」と思う時がある

何かに感動した時とか、没頭した時とか、その時に自分が感じた気持ち(感動)や感じた世界を素直に大切にすれば良いのに、つい周囲からの雑音(いらない情報・他人の意見など)が入って、「台無しにされた」ような気持ちになることって、ありませんか?

私はあります。嫌だなと思いますが(笑)

で、そういう時に、よく思うんです。

「自分の感じている気持ちをただ大事にあたためていけば良いのに、どうしてそんなどうでもいい情報を気にしてしまうんだろう?」って。

自分の気持ちよりも、誰かの意見の方を優先してしまったり、周りの価値観の方を正しいと思ってしまうみたいなんですよね。

毎回、自分の気持ちに立ち返る

そういう状態になっている時って、周りの意見に心が奪われているので、毎回、自分の気持ちに立ち返ることが大切だと思っています。

周りの意見を気にしている時って、自分の気持ちが見えなくなるんですよね。

周りからの見られ方を気にしてしまって、自分の好きな物とか、好きな気持ちとかをジャッジしたくなります。

感動した気持ちを疑ったり、それを好きである自分を、否定したくなったり。

気持ちの面だけではなく、自分がそれまで頑張ってきたことに価値を見られなくなったり、モチベーションが下がったり、集中できなくなったり、行動を継続することが怖くなってしまう時もあると思います。

もったいないですよね。

周りの意見なんて自分にはどうしようもないし、どうせたいした根拠もなく適当なことを言っている人も多いのだから(私も興味の無い分野に関しては、好みや感想がコロコロ変わってとても無責任なので笑)、

自分がそれまで積み重ねてきたものや、感じてきた気持ちを、あらためて勇気を出して信じてみる、信じるという選択をし直す、ということが大切だと思っています。

本当は台無しになんてされていない、ということに気づくこと

で、冒頭に書いた通り「台無しにされた」と感じた場合でも、本当は台無しにはされていないことに気づいて、自分の感じてきた気持ちや自分に見える世界をまたあたためていくこと(それを選択し直すこと)が大事だと思っています。

「台無しにされた」とか、「けちをつけられた」と思うと、好きなものに傷がついたように思ってしまうのですが、本当は傷なんてついていないんですよね。

でも、「傷がついている(傷つけられた)」と思い込んでいる自分や、思い込みたい自分がおそらくいますから、そこで「本当は傷なんてついていないんだ」ということに、自分自身で気づかないといけません。

それがちょっと大変というか、根気やパワーがいるような気がします。

ネガティブに引っ張られる方が楽な時もあるのですが、そこで、自分の好きなものを信じ直すんですね。

本当は誰にも台無しにされていないし、傷もつけられていない。

私はやっぱりこれが好き。これに勇気をもらっている。これを楽しいと思う。

そういう気持ちをまた持ち直して、歩き出すのが良いと思っています。

自分の好きなものを、自分で守ってあげたいですね。


もしも周りのちょっとした雑音が気になってしまったとしても、そのたびに、勇気を出して、自分の好きなものをあらためて信じ直していきたいな、と思います。

結局、楽しいと感じるものを信じられる人が最終的には強いので(別にたたかいではありませんが)。

私も私が楽しいと感じるものを通じて、人とつながっていたいです。