今回でこの歴史の記事のシリーズは終わりです。
やっとですね。
今回は1950年代以降のスウェーデンからですが、大きな流れというよりは、細かい内容がいくつか簡潔に出てきます。
少しまとまりが無くて読みにくいかもしれませんが、私の区切りとして書いていきたいと思います。
★前回までの内容↓
・ヴァイキング時代→④ヴァイキング時代への移行、⑤ヴァイキング時代(略奪と交易)、⑥ヴァイキング時代の終焉~中世へ(9~11世紀)
・中世→⑦中世(12世紀~、王の力と神・豊かな社会・聖人)、⑧鉄・祝祭・都市部の様子(~12世紀終わり)、⑨ビルイェル・ヤール、聖ビルギッタ、ペスト(13~14世紀)、⑩デンマーク王による統治とカルマル同盟(14~15世紀)
・ヴァーサ朝→⑪クリスチャン2世とストックホルムの血浴(15~16世紀はじめ)、⑫グスタフ・ヴァーサの時代(16世紀)、⑬ヴァーサ王朝の国王たち(16世紀終わり)
・バルト帝国時代→⑭バルト帝国時代/大国時代の幕開け(16世紀~17世紀初め)、⑮若い男女の出会い、結婚、教会の役割、徴兵(17世紀)、⑯女王クリスティーナとカール10世の時代(1633~1658年頃)、⑰魔女裁判とカール11世(1658~1700)、⑱カール12世(大北方戦争、カロリーネル死の行進。1700~1721年)
・自由の時代→⑲自由の時代(1719年~)議会制と身分、交易、学問の発展、⑳自由の時代の終わり(~1772年)出版の自由、党の対立、ベルマン、グスタフ3世、㉑グスタフ3世とその後(ユダヤ人の定住、当時の王室の様子、王の暗殺)(1772~1809年)
・近代、そして現代へ→㉒自由教会とリバイバル運動、産業化、学校の設置(19世紀前半)、㉓学校、アメリカ移住、労働運動、女性の権利と参政権、ナショナリズム(19世紀後半~20世紀初め)、㉔農民の行進とグスタフ5世の中庭演説、労働紛争の激化と協定(1914年~1930年代)、㉕住宅の改善、第二次世界大戦、ヨンショーピンの暴動(1930年代~1940年代)
※歴史番組「Historien om Sverige」の内容をメモして記事にまとめています。
1950年代-戦後の好景気と経済成長、増えた税収は福祉へ
第一次世界大戦後は、生活必需品や食料不足と貧困にみまわれたスウェーデンでしたが、第二次世界大戦後はむしろ逆。
戦争に参戦していなかった影響から、どんどん産業が発展していきました。
スウェーデン北部では、鉱業と、水力発電のための新しい施設の建設が進み、そのおかげで、自動車部品や機械関係製品の生産が増加。
経済成長へとつながりました。
労働者たちの賃金も上昇し、税収が上向き、福祉制度の整備と拡充へ。
1930年代以降、手探りで行われた様々な改革や民主化の恩恵が、ここにきてやっと、人々の日常生活において具体的に感じられる成果となってあらわれ、福祉国家スウェーデンが形作られていきました。
学校での性教育の開始
1950年代、スウェーデンは他の国々にさきがけて学校での性教育を開始。
これが世界の注目を浴び、「スウェーデンの罪」(Den svenska synden=The Swedish sin)と呼ばれていたそうです。
(※日本でも、私よりも年齢が上の世代の方だと、以前は「スウェーデン=性」のイメージでとらえる方が多かったように感じます。イメージの裏側には、こういった政策が関係しているのかもしれません)
1960年代-社会福祉の改革。冷戦による国防強化。労働者不足・住宅不足の解消に向けて。
社会福祉の改革、制度の導入
1950~1960年代は社会福祉面での改革が行われ、医療や教育の整備、公的医療保険(allmänna sjukförsäkring)の導入が行われました。
1960年にはスウェーデンの全国民に対して、国民年金制度が導入されました。
人々の暮らしの変化
社会の消費は増え、家電の進化により、女性たちの家事労働は以前よりも楽になっていました。
TVも普及し、各家庭にTVが設置されるようになりました。
また、この頃に成長した若者たちは、親世代とは違う新しい価値観を持っており、それまでとは異なる服装・音楽が好まれるようになりました。
冷戦→国防の強化
1960年代、ソ連とアメリカの冷戦の影響により、スウェーデンもまた核兵器の危機におびやかされていました。
スウェーデンは引き続き「中立の立場」を守るため、「防衛面」を強化。
毎年5万人の男性が徴兵され、80万人の兵士がいた時期もあったとも言われます。
さらに、スウェーデンは一時期「世界で4番目に大きい戦闘機」を所有していました。
このように、必要に迫られたことで防衛産業が強化。技術が発展していきました。
労働者不足→移民の労働力
産業の発展にともない、国としてのスウェーデンは徐々に豊かな国になっていきましたが、労働者(労働力)が不足していました。
そこで、1940年代から1960年代終わりにかけて、多くの人々がスウェーデン(各地の工場)へ働きに(出稼ぎに)、国外から移民としてやってきました。1940年代には約10万人ほどでしたが、60年代の終わりには約50万人まで増えました。
移民の多くはフィンランドをはじめとする北欧諸国からの人々でしたが、他にもイタリア・ハンガリー・西ドイツ・オーストリア・ギリシャ・ユーゴスラビアなど。
男性は主に金属・機械系の工場で。女性は布製品・靴の工場で働きました。
この頃、生産ラインは分業制となり、部署から部署へと引き継がれる形で製品が作られました。
移民の労働力によって産業の成長は続き、福祉もより充実していきました。
ミリオーン・プログラムによる住宅不足の解消
1960年代は住宅不足も問題となりました。特に若者たちの住宅不足が深刻化していたため、国は対策を講じました。
1965年、「百万戸住居建設計画(ミリオーン・プログラム。10年間かけて100万戸を建設する計画)」の開始です。この計画は功を奏し、多くの人々(特に子ども連れの家庭)が、新しくて質の良い住居に住むことができました。
こういった住居(公営団地など)には、たいてい車の入ってこない中庭(子どもが安心して遊べる)があり、スーパー、保育園、学校も近く、便利でした。
(※ミリオーン・プログラムについては、以前、スウェーデンの住宅史について簡単にまとめた記事があるので、そちらも参考にしてみてください→スウェーデンの郊外(Så byggdes Sverigeを見て⑥)、スウェーデンの村・社会とのつながり(Så byggdes Sverigeを見て⑧))
(※ミリオーン・プログラムは1970年代に計画が完成しますが、完成後、世論は手のひらを返したかのようにミリオーン・プログラムで建てられたマンションなどを批判し始めます。こちらもさきほどのリンク先の記事に少し書いていますので、もしよろしければ、あわせてご覧ください)
1970年代-女性の社会進出と離婚率の増加。個人主義と様々な集団による運動
女性の社会進出(主婦が働きに出る)
ミリオーン・プログラムのおかげで住宅不足の問題も解決しつつあった、1970年代。
労働者不足がまだまだ続いていた影響もあり、それまで専業主婦であった女性たちが、外に働きに出るようになりました。
(※さきほど書いた、家電の進化の影響もあるかもしれません)
女性たちが外で仕事をするようになっても、まだまだ家事は女性の仕事であったため、外での仕事を終えた女性たちは帰宅してから家の仕事を行いました。
1970年代は、平等な社会実現のための運動や、政治的な改革(教育関係など)が盛んでしたが、その中には、女性や共働きの人々のための状況改善の試みもありました。
たとえば、「夫婦合算課税」(Sambeskattningen※夫婦やパートナーの収入が合算で課税となる)の廃止です。
(※これにより、個人の所得に対してそれぞれ課税がされるようになりました。共働きの場合、一般的には合算課税よりも、個人単位での課税の方が税金が少なくて済むそうです。また、日本も個人単位の課税になっていて、そのうえで配偶者の所得が低い場合などに、控除など負担軽減の措置がとられています)
また、個人の意志による「中絶」(fri abort)が認められるようになったのもこの頃です。
1970年代半ば~終わりにかけては、年間の「離婚率」が過去最高となり、この記録は今でも破られていません。
これには、女性の社会進出の機会の増加と福祉の充実により、離婚しても生活ができ、子育てができ、支援を受けられる、という状況ができていったことも影響しているでしょうし、
裁判での離婚理由の「不問」も関係しているかもしれません。
女性の選択肢が増えていった時代でした。
(※私もあまり詳しくありませんが、どうやらスウェーデンの離婚裁判では、離婚理由が不問であり(どちらに原因があっても関係無い)、どちらか片方が離婚を望めば基本的には可能。ただし、「理由を問わない」と言っていることからもわかる通り、相手の不倫を原因とした離婚などで、相手から慰謝料をとったりすることはできない(不倫が罪ではないらしい)そうです)
オイルショック
1973年、オイルショックにより、暖房は止まり、自動車を使うことも一時的に難しくなりました。これはスウェーデン全体の経済にも影響を与え、長く続いたスウェーデンの経済成長は止まりました。
スウェーデンだけでなく、世界的に不況となりました。
社会民主党政権のゆらぎ
オイルショックの不況にともない、社会民主党政権は右派からも左派からも批判を受けるようになりました。
彼らは戦後ずっと、特に大きな批判もなく政権を握っていましたが、1976年、44年間続いた与党の座を初めて失いました。
(※社会民主党政権になったのはこちらの記事の頃(1932年)→スウェーデンの歴史㉔農民の行進とグスタフ5世の中庭演説、労働紛争の激化と協定(1914年~1930年代)。記事の最後の方の協定のあたりに書いてあります)
同性愛が病気と言われなくなる
この頃から、スウェーデンではより「個人」「個人主義」が中心となっていき、以前は階級や身分を中心に行われていた様々な運動(労働者による運動とか)が、より「個別の集団」による運動へと変化していきました。
そういった集団の1つが、同性愛者たちです。
1944年以降、スウェーデンでは同性愛が合法となりましたが、依然として強い偏見が残っていました。特に、「同性愛は病気(精神的疾患)だ」とみなす向きがまだまだ残っていました。
RFSL(Riksförbundet för sexuellt likaberättigande ※現在は名称が一部変更されています)の人々は、同性愛に対する偏見をとりのぞこうと運動を続けていましたが、なかなか結果が出ていませんでした。
1979年夏、彼らは社会庁へ行き、デモ活動を行いました。彼らは社会庁の代表(※代表という訳で合っているかわかりませんが、偉い立場の人)との面会を果たし、それから間もなくして、同性愛は「疾病リスト(病気リスト)」から外されるという快挙をなしとげました。
(※スウェーデンは、ヨーロッパで初めて同性愛を「病気ではない」と認定した国になるそうです)
その後…
(※この後、1980年代以降のスウェーデンについて、番組では「新聞の見出しの横をジョギングする男性が走り抜けていく」といった形で次々に紹介しているのですが、全部追うのは大変なので、ほんの一部だけかいつまんで書いてみます)
・1986年、オーロフ・パルメ首相、ストックホルムで暗殺。こちら、未解決事件で、犯人はまだわかっていません(犯人はもう亡くなっているかもしれない、とも言われています)。これについてはこちらの動画(スウェーデン語ですが)が結構わかりやすいです↓内容が内容なので、閲覧注意ですが。
・1990年代、移民(難民)の増加。それまでは近隣諸国からの「労働移民」が多かったスウェーデンですが、この頃、難民としてスウェーデンに助けを求めてやってくる人達が増えました。
・1994年、EU加盟(※ただし通貨はスウェーデンクローナのまま)
(おわり)
ということです。
なんだか中途半端な終わり方になってしまってすみませんが、こんなところでこのシリーズは終えたいと思います。
(戦後の流れは、以前書いた住宅史の方がわかりやすいかもしれません)
今回歴史の記事をたくさん書いてみて、なんとなく、スウェーデンの歴史の全体の流れがわかったような気がしておもしろかったです。
もちろん、番組で説明されていることが全てではなく、違う見方をしたら全然違う歴史が見えてくるかもしれません。それはそれで、今後の学びとしていきたいと思います。
ゴールデンウィークを過ぎ、急に暑くなってきましたね。
次回からはまた通常のブログに戻りたいと思います。では。
