Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑩です。
前回までのものはこちら↓
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳①
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳②
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳③
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳④
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑤
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑥
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑦
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑧
Bosse Larssons minneskonsert (2022.11) の和訳⑨
動画
前回の続きから(1:09:17~)再生します。
前回はDitte Anderssonの演奏でした。今回はAnders Bjernulfの演奏です。
実はAndersの話は、方言の影響か、今の私には聴き取れない部分が多かったです。
一応頑張りましたが、途中(Bosseの話の部分)で全然聴き取れていない部分があります、すみません。
(Bengt):さて、次の演奏者をふまえて、ここでそろそろRättvik(レットヴィーク※地名)やBingsjö(ビングフェー※地名)とのつながり、伝統というものにあらためて目を向けたいと思います。Hjort AndersからViksta-Lasseへ受け継がれ、そしてBosseへと。
次に演奏するのはAnders Bjernulf(アンダーシュ・ビャーヌルフ)です。
(Anders):ここがステージ(アリーナ)の真ん中ですね。(ちょっと笑いが起きる)
こちらに参加させていただき、ありがとうございます。
Robert、(参加しないかと)訊いてくれてありがとうございました。
8~9歳の頃、私はRättvikのとあるおじさんと会い、一緒に演奏する機会がありました。
彼の名前はPål Olle(ポール・オッレ)、Östbjörka(ウストビョルカ※地名)の偉大な演奏家です。
私は彼からたくさんの曲を教わりました。
基本的には、Olleが教えてくれる曲の半分はBingsjö(ビングフェー※地名)の曲でした。
(曲を習い始めてから)数年後、Olleのもとへ行くとOlleは私にこう言いました。
「あなたはPäkkos Gustaf(ペッコス・グスタフ※演奏家)のところへ行くべきだ(演奏を習うべきだ)」と。
父は私をPäkkos Gustafのもとへ車で送ってくれました。
今、ここにこうして立つ前にPäkkos Gustafのことを思い出していたのですが…
「024640018」。
これがPäkkos Gustafの(家の)電話番号でした。
(笑いが起きる)
Pål Olleの番号は「024815105」でした。
(笑いが起きる)
返事をする場合は、当時は「05」でした。Gustafは「18」でした。
(※↑この1文は意味がわかりませんでした。それぞれの番号の末尾の数字だとは思いましたが…)
さて、私はPäkkos Gustafのもとへ行きましたが、その結果、すべてを習い直す必要がありました。
ÖstbjörkaのPål Olleに教わったことのほとんどは、正しい音ではなかったのです。
基本的にすべての音が間違いでした。
少なくとも、どの曲も、ちょっとしたことが違っていました。
「Pål Olleは間違った解釈(違う解釈/誤解)をしている」と、Päkkos Gustafは思ったようです。
その一方で、「違う解釈をした」という点では、Hjort Andersがいます。
Olleとはまた違う意味での、解釈の違いになりますが。
解釈の違いが生まれる理由としては、その人がどこで演奏を習うか(勉強した場所)にもよります。
Hjort AndersはBingsjöを離れてウップランド地方へと引っ越しました。ここにいる皆さんがご存じの通り。
そしてViksta-Lasseに出会いました。
この引っ越しの際、Hjort Andersが連れて行ったのは妻や子どもだけではなく、音楽もでした。
(※このHjort Andersの話の最初の方は、早くてきちんと聴き取れなかったので、「こうかな」と推測しながら訳しました)
長い話を短く話そうと思いますが、私は学業のため(ダーラナ地方から)ウプサラへ来ました。
そしてOlov Johanssonに会いました。
さきほど(コンサートの間に)考えていたのですが――こういったコンサートでは出番を待っている間に考える時間がたっぷりあります――、Olovと私がどうやって出会ったのかはよく覚えていませんが、
私はOlovから、彼がBosse Larssonから教わったたくさんのBingsjöの曲を教わりました。それらの曲はBosseがViksta-Lasseから教わったものです。
それはとても不思議な体験でした、ウプサラに来て、たくさんの(Bingsjöの)知らなかった曲を教わるなんて。
どこか、輪っかの最初と最後がつながったような(パズルの最後のピースがはまったような)感覚になりました。
一度、Olovと一緒にBosseの家を訪れ、Bosseと会い、知り合うことができました。
私たちは彼に挨拶をし、一緒に演奏をする予定で行ったんです。
彼と会うのは本当にかけがえのない素晴らしい経験(vördnadsfullt)でした。
彼については話に聞いていただけでしたから。
とても気さくで、そしてリラックスした雰囲気で過ごすことができました。
するとBosseがこう言いました。
「(※ここが聞き取れなかったのですが)○○から弾き始めることはできないか?」と。
(※ここでAndersが言っていることも聞き取れませんでした)
とりあえず私が言えることは、私たちはその時は、特にカプセルは飲まなかったということです。
(笑いが起きる)(※和訳⑥のカプセルの話をネタにしている)
私は、そういう(※ここがよく聞き取れず)○○な、「日常的な夜のセッション」のようなものは始めたことがありませんでしたから。
(※↑最後の聴き取れなかった部分は、「1杯のグラスで4~5個のカプセルを飲むような」と言っているように聴こえるのですが、文全体の意味がわからないので訳に入れませんでした)
では、2曲演奏したいと思います。
1曲目はÖstbjörkaの曲から始めます。私はÖstbjörkaに住んでいました。
Pers Hans(ペーシュ・ハンス)から教わった曲です。
Pers Hansは、自身のおじいさん(父方の祖父)であるPers Olle(ペーシュ・オッレ)から習いました。
さて、今日は(コンサートとしては)Bingsjöの曲というのがテーマだと思いますが、皆さんはすでにBingsjöの曲をよくご存じだと思います。
次に演奏する曲は3パートのポルスカですが、そのうちの「2パート目」をお聴きいただければ、皆さんのような「オタクな(nördiga)」――とスウェーデン語で言えますが――方々は、Hjort Andersの演奏するGärdsjöpolskan(イェードフェーポルスカン)と同じ(同じ旋律がある)ことに気づくかと思います。
聞き覚えがあるかどうか、ぜひお聴きください。
※Päkkos Gustafの表記は「Pekkos」「Päckos」など複数あり、どれも使われています。
※途中で「解釈の違い」という所がありましたが、ここは「missuppfattning」という単語で、文字通り訳すと「間違った解釈」とか「誤解」ということになります。実際には、1人1人の演奏家にとっての正しい音は少しずつ皆違っている(誰かの解釈は別の人にとっては全部間違いともいえるし正しいともいえる、伝統にならっていても必ず個性が出る)と思いますので、ここも「本当に音を全部間違えて教えられてしまった」という意味ではなくて、「解釈の違いによる両者の奏法の違いがあった」という意味かな、と私は思います。また、あえておおげさに言って、冗談っぽくしているのかもしれません。
⑮(1:13:18~)Andersの演奏1:Polska efter Pers Olle, från Östbjörka(ペーシュ・オッレ伝承のポルスカ)
参考:Gärdsjöpolskanの音源(Ole Hjortの演奏)↓
私も初めて聴いた曲ですが、この音源の0:57くらい~が、(Andersの演奏の1:13:58~くらいと)同じ旋律の部分だと思います。「2パート目」と言っていましたが、3パート目も同じかな?と思いました。
(続きはまた明日)
今回訳した部分は、最初に動画を見た時は、聴き取れなさ過ぎて絶望した部分なのですが…(笑)
とりあえず何度も聴いていたらAndersの発音に少し慣れてきたので、できない部分はしょうがないとして、なんとか頑張ってみました。
彼が早口なので、一言一句というよりはニュアンスとフィーリングで意味をとりながら訳した感じです(日本語として成立するように…)。
でも、聴きなれない地域の人の話を聴くのもまた勉強だと思いました。
演奏もウップランドの人とはまた違う演奏ですし、話に出てくる演奏家の名前も違う人達なので、おもしろいと思います。
明日もこのAndersの演奏の続きからいきます。
お読みいただき、ありがとうございました。