Bosse Larssonの追悼コンサートの和訳⑫です。
前回までのものはこちら
動画
前回の続きから(1:20:39~)の再生です。※は私の注釈です。
※前回はAnders Bjernulfの演奏でした。今回はHåkan Larssonの演奏です。
(Bengt):Anders、ありがとうございました。
さて、ここで、私たちは「フィドルとニッケルハルパの永遠の争い(どちらの楽器の方がより素晴らしいか)」(※和訳⑧参照)について、私たちの誰も正解には至っていなかった、と気づく時かもしれません。
なぜなら、それは(フィドルでもニッケルハルパでもなく)ハーモニカだから、です。すべての楽器の中で最も素晴らしいのは。
(少し笑いが起きる)
ということで、ステージへどうぞ、Håkan(ホーキャン)!
Håkan Larsson(ホーキャン・ラーション)は今夜は一人でいらっしゃいました。Sonia(ソニア※一緒に演奏するはずだったSonia Sahlström)は残念ながら来られませんでしたが、何か挨拶などがあるかもしれません。
(Håkan):ハーモニカ、そうですね。
Bosseのお父さん(Sven Larssonスヴェン・ラーション)はハーモニカを演奏していました。
ですので、ちょっとハーモニカを演奏させていただきます。
Sonia Sahlström(ソニア・サールストルム※Håkanの妻)も今夜来る予定だったのですが、残念ながら来ることができませんでした(※体調不良だと思います)。
ですので、自分ひとりでどうにかしたいと思います。
私たちの家族の中では、Bosseはよく「Snällisen(スネッリセン)」と呼ばれていました。
私たちは彼がときどき「金貨を紡げる」ように思っていたからです。
それで、Snällisen(※「親切な人」の意味)と呼んでいました。
(※「金貨を紡げる」の部分、明確な意味は図りかねますが(もしかしたら聴き間違いかもしれませんが)とりあえずこのままにしておきます)
SoniaはBosseにかなり早い頃から(若い頃から)会ったことがありました。
彼女がまだGöksby(ヨークスビー※地名)に住んでいた頃、Eric Sahlström(エリック・サールストルム※演奏家)、Soniaの父親ですが、Eric宛にハガキが届いたのだそうです。
ハガキの送り主は女性で、Bosseについての内容でした。
Bosseの連絡先をEricが知っているかどうかを、訊ねたものだったんです。
きっとBosseがとてもハンサムだったから、訊きたかったのだろうと思います。
(笑いが起きる)
今日ではあまりそういう語られ方(=Bosseはハンサムだったという話)をされていないなと思いますが、そうだったんです。
1970年代の初め頃でした。
…彼はハンサムでした。
(笑いが起きる)
そして、Bosseのお父さん(Sven)、彼はハーモニカを演奏していました。さきほどもお話しした通りですね。
彼(Sven)が1927年に作ったと言われている曲を演奏したいと思います。
Bosseが生まれるよりもずっと前のことです。
(※Bosseが生まれたのは1941年)
もしかしたら、この曲はBosseが生まれてすぐに耳にした曲の1つかもしれない、と私は思います。
Svenはこの曲を「Brunnslåten(ブルンス・ローテン、井戸の曲)」と呼んでいました。
Svenのお父さんが井戸へ水を汲みに行った時のこと(を曲にした)だそうです。
おそらく2つのバケツを持って。
最初のパートでは、井戸へ、軽い足取りで水汲みに行く様子が聴かれます。
そして2番目のパート、3番目のパートで水を家まで持ち帰る所では、音楽もゆっくりになっている(水が重くて足取りが遅くなる)様子が聴こえます。
では、Sven Larsson作曲の「Brunnslåten(井戸の曲)」です。
(ハーモニカの音が)聴こえますかね、やってみましょう。
⑰(1:23:22~)Håkanの演奏1:「Brunnslåten」 av Sven Larsson(「ブルンス・ローテン(井戸の曲)」スヴェン・ラーション作曲)
(1:26:01~)
(Håkan):ありがとうございます。
Sven、彼は伴奏(komp)を演奏するのが本当に素晴らしかったです。
メロディ+自分で伴奏、です。(※自分でメロディと伴奏の両方を演奏していた)
私もぜひその演奏方法を生かし続けたいと思っています。
それから、私はBosseが教えてくれるフィドルのコースに行きました。Ekebyholm(エーケビーホルム※有名なサマーコースが開かれる所)の。
20年前になりますね。
(ここでハーモニカを探しながら)…次の曲のキーのハーモニカをちょっと探していますが…。
そのフィドルコースでは色々な曲を教わりました。
そのうちの1曲が、「Oles polska(オーレのポルスカ)」です。
この曲は、Viksta-Lasseが多かれ少なかれ即興で弾いた曲を、録音したものです。
録音したのはOle Hjorth(オーレ・ヨット※演奏家)です。
Oleは(自分で練習した後で)この曲をLasseの前で演奏したそうなのですが、Lasseは「初めて聴いた曲だ」と言ったそうです。
Lasseはいつもそうなのだそうです、即興で弾いた曲に関しては(※自分が即興で作った曲のことは覚えていない)。
ですので、それら(多くの即興曲)は残っていませんが、この曲は(録音されたので)残っています。
その曲を、私はフィドルコースで、Bosseに教わりました。
(※Håkanは、確かフィドルもニッケルハルパも弾けたと思います)
また、私の名字は「Larsson(ラーション)」です。
これについてBosseは、「美しい名字だ」と言いました。
(笑いが起きる)
彼は、私がSahlström姓になるべきではない、と思ったんですね、
(笑いが起きる)
ですので、しませんでした。
(※SoniaはSahlström姓、HåkanはLarsson姓のままです)
「Oles polska(オーレのポルスカ)」を演奏します。
⑱(1:27:29)Håkanの演奏2:「Oles polska」 av Viksta-Lasse(「オーレ・ヨット(Ole Hjorth)のポルスカ」ヴィークスタ・ラッセ作曲)
※Oles polskaについては、こちらもどうぞ→「Maskin」のコンサート日本語訳②(「Polska till Ole Horth」という名前で演奏されています)
(1:29:35~)
(Bengt):Håkan、ありがとうございました。
即興で弾いて、しかも弾いた本人が忘れてしまう…なんて信じられないくらい、おとぎ話のように美しい曲です。
また、最も素晴らしい楽器はハーモニカだということもHåkanは示してくれましたね。
メロディだけでなく伴奏もつけられて、しかもポケットに入りますよ、と。
(笑いが起きる)
この点に関してはフィドルもニッケルハルパもたちうちできないでしょう。
(続きは明日)
Håkanの演奏は、スウェーデンの演奏家たちの中でも定評がありますが、話も演奏も安心感があり、やっぱり良かったです。
楽器が違うと、がらっと雰囲気が変わるのがおもしろいです。
ハーモニカは手の中に入ってしまうので、動画で見ていても本人が演奏している感じがあまりしなくて、少し不思議な感じがします。
続きはまた明日です。
お読みいただき、ありがとうございました。